日本語素読レッスン
以前から構想はありましたが、2010年から日本語素読レッスンが実際にスタートします。
日本語素読レッスンがなぜ必要かはこちらをお読みください。
申し込みは、掲示板「大風呂敷」か、ホームページのメールフォームからお願いします。
転載(メール返信) 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 3月 3日(水)13時05分45秒
お返事が遅くなり申し訳ありません。
息子さんのためにスカイプでのレッスンをお考えとのこと、ありが
とうございます。
素読舎のレッスンでは、英語を始めるのは早くて3年生です。4年
生くらいからがいいと考えています。
小学校低学年のお子さんには、日本語の素読をおすすめしてきまし
たが、日本語にお金を払おうとする人がこれまでありませんでした。
しかし、掲示板「大風呂敷」でももこさんの名前で書かれておられ
る方(私の英語の生徒さんです)が、今年年長さんになる保育園児に
日本語の素読をやらせてみたいと言っておられます。「大風呂敷」で
「二人一枠」の相棒(ももこさんのお子さんの相棒)をやってくれる
人を探しておられましたが、相棒は現れておりません。
日本語の素読は、谷川俊太郎「朝のかたち」という選詩集(文庫本)
をテキストにしようと考えています。
Sさんのお子さんが日本語素読の枠に入っていただければ、「二人
一枠」が作れますので、一人6千円で使っていただけます。
ご検討願えませんでしょうか。
まだ孫に聞いていませんが、私の孫が今年小学1年生になります。
もし、「二人一枠」がうまくいったら、私の孫も加えていただくこ
とになるかもしれません。その場合は、「三人一枠」ですので、一人
4千円になります。
> ・親子で一緒にレッスンを受けることはできますか?
親子で同じ枠というのは難しいです。ただ、お母さんが一生懸命英
語をやっているのを見るのは、子供にいい刺激を与えると思いますの
で、お母さんも「二人一枠」の相棒をみつけられてレッスンを始めら
れるのはおすすめです。
どなたかお友達を誘っていただけたら、練習枠を作る作業に入るこ
とができます。
一枠1万2千円のレッスンですので、二人一枠だと一人6千円にな
ります。三人一枠だと、一人4千円になります。(英語のレッスンは
「三人一枠」はおすすめしていませんが、この4月から始めるレッス
ンで小学3年生二人、4年生一人の「三人一枠」を村田君(素読舎コ
ーチ)が開始します。小学生に限っては、「三人一枠」が可能です。
標準は「二人一枠」ですので、「三人一枠」で始めた場合も、いず
れは調整して、「二人一枠」に直していきます。
> ・レッスンをお願いして、すぐに受講できるものなのですか?
現在、私のレッスン枠はすべて埋まっております。村田君の他に2
名のコーチがおりますので、お気軽に「大風呂敷」で話してみていた
だくのがいいと考えています。コーチは私、村田君、吉さん、小川さ
んです。
先に書きました、「三人一枠」の小学生は、3月は村田君の手元で
「1ヶ月無料お試しレッスン」を行います。三人に納得してもらえた
ら、4月から私の手元でやはり「三人一枠」でレッスンします。その
ため、私が一年ほどレッスンしてきた別の「二人一枠」の生徒さんを、
村田君に預け、「三人一枠」用のレッスン枠を私の手元に作ります。
このようにして、レッスン枠を作り出しますが、何人もの人の都合
を調整しなければならないため、非常に煩雑な手続きになりがちです。
最近、私が「大風呂敷」上で提案して、今回の「三人一枠」は、関
係者全員で掲示板上で話し合い、全員が都合のつく形を作ることがで
きました。今後もそのようにしていきたいと考えております。金曜夜
11時20分に生徒さんたちとスカイプで話をしておりますが、ここ
へおいでいただいて、関係者で話していただき、相棒を決めたり、曜
日・時間帯などを決めていただくこともできます。
今回、私がおすすめしている「日本語素読」について、もし興味が
おありでしたら、「大風呂敷」でももこさんに話しかけていただくと
ありがたく存じます。途中から私も参加します。
また、お子さんの英語のレッスンは先の話になりますが、小学生が
どんなテキストを使って、どんな様子でやっているのかはスカイプで
参観していただけます。参観ご希望の場合は、メールでスカイプ名を
お知らせ下さい。
以上ですが、疑問の点は再度おたずね下さい。
掲示板はほぼ毎日見ておりますが、メールは数日開かないことがよ
くあります。ハンドルネームで結構ですので、掲示板に書いていただ
くことを希望しております。個人名等が必要な内容は、メールでお問
い合わせ下さい。その際は、メールを送った旨、掲示板にお知らせく
ださると助かります。
今後お問い合わせ下さる方の参考になる内容が含まれていると思い
ますので、個人名等を消した上で、このメールを「大風呂敷」に転写
させていただきますが、よろしくお願い致します。
10/03/03
根石吉久
日本語素読について 投稿者:フミ 投稿日:2010年 3月 5日(金)11時30分31秒
根岸さん、私の質問に丁寧な返信ありがとうございました。初めて投稿します。
息子(現小一)の英語素読は小学校3年生か4年生になった時にお願いしたいと思います。
それまでに、私が習うか考え中です。
お誘いいただいた、日本語の素読については、どんな意味があるのか?お金をかける必要があるのか?正直よくわかっていません。小学校で出される、音読の宿題さえ嫌々こなしている息子が喜んでするのか?それから、年長さんと小学2年生では、本を読む力がかなり違うと思うのですが、その当たりは問題がないのですか?
読書好きの息子を見ていると、音読するときよりも、黙読しているときの方が本の内容に敏感に反応を示しているようで、深く読んでいるような感じがします。
素読舎のHPを見つけてから、あまり日がたっていません。今日か明日、「英語どんでんがえしのやっつけ方」が手元に届く予定です。本を読めば、もう少し理解できると思います。
こんな状態で、質問するのも申し訳ないのですが、日本語の音読と素読はまったく違うことはイメージできるのですが、どう違うのか教えて下さい。
子どもの日本語素読を進める理由も詳しく教えてくださればと思います。
過去ログを探してみましたが、あまりに膨大で見つけることができませんでした。
よろしくお願いします。
フミさん 投稿者:村田晴彦 投稿日:2010年 3月 5日(金)16時37分22秒
フミさん、はじめまして。
素読舎の村田です。
小学校の5年生や6年生(あるいは中学生でも)に素読舎の英語のテキストを音読させると、まず英文について解説している日本語の文が読めない場合があるのです。見慣れない単語のならんだ固い文をすらすらよむことができない。学校の国語の授業でやる音読では全然足りない。ならば日本語を読むところから始めなければならない。通塾の方では以前、このような経緯から日本語の素読を始めました。
「音読」は、読む時に「気持ちをこめて」とか、「理解しながら」、というようなことを要求されますが、「素読」にはそういうことは要求されません。
たとえ文の内容を理解していなくとも、はっきりと読むことができれば、ひとまずOKです。内容をその場で理解しなくてもOKなので、難しい文章でも挑戦できます。
素読舎でやる日本語素読は、ある程度歯ごたえのある文章をテキストにします。また、同じところを何度も繰り返し読むやり方で読みます。その場で意味がわからずとも、繰り返し読んだ言葉が、身体を通して無意識に沈みこんでいき、いつの日か、一気に意味がわかる時がくるのです。そしてこうして理解したことは、忘れません。黙読とは理解の深まり方が違います。こうして、英語の前にまず日本語の足腰をしっかり鍛えようというということです。
1文単位で読んでいきますので、小学生の子は楽しんで読んでいますよ。
参考として、日本語素読が大学受験生にも役だったという記事を御紹介します。ホームページに、「長野南高校→名古屋大学工学部物理工学科 合格お祝い対談」http://www.sodokusha.com/taidan_tanaka.shtmlという記事があります。受験の時期、日本語の素読をしていたのが役にたったということでした。
フミさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 3月 6日(土)04時07分49秒
>小学校の5年生や6年生(あるいは中学生でも)に素読舎の英語のテキストを音読させると、まず英文について解説している日本語の文が読めない場合があるのです。見慣れない単語のならんだ固い文をすらすらよむことができない。学校の国語の授業でやる音読では全然足りない。ならば日本語を読むところから始めなければならない。通塾の方では以前、このような経緯から日本語の素読を始めました。
このあたりで村田君が書いてくれたのは、学力関係のことです。ひとまず、それが今の日本では「なぜ日本語か」「なぜ素読か」の一番わかりやすい理由だと思います。
私は語学論の論者や英語レッスンのコーチでもありますが、百姓でもあります。百姓をやっていると、今の時代、隣あう畑同士でも、まったく性質の違う畑であることはよくあります。現に、私の畑と隣の畑で、やっていることはまるで違います。ビニールを使ったり、化学肥料を使ったり、農薬を使ったりしている隣で、私はビニールも化学肥料も農薬も使わないで、家で食べる野菜や麦を作っています。失敗は多々ありますが、失敗なんかいくらしてもいい。畑を汚さなければ、畑の土がよくなるなら、と思っています。なんなら、食うものなんかとれなくても、畑の土がよくなって、微生物が元気に動いていてくれるだけでもいい。だけど、微生物が元気に動いてくれる畑だと、人間の食べるものもちゃんと穫れます。急がば回れなのか、残りものに福ありなのか、無欲の勝利なのか知りませんが、例えばこの二年ほど麦を作って、うちで食べる麦は、うどんやらなにやらいろいろ作りますが、買った小麦ではないので、お金もかかっていないし、うまいです。自分で作った小麦を食べると、アメリカの農薬漬けの小麦などまずくて食べられません。
そういう話と、幼児教育と何の関係があるのかと思われるかもしれませんが、私においては同じ話です。畑の面積というものは変わりません。なになに保育園から、なになに小学校に通うことになり、なになに先生が担任だというのは、子供の希望とは関係なく決まります。それが、畑の面積は変わらないということです。
しかし、畑の土の質は、親の考えで別物になります。
例えば、2,3,4歳の頃に子供を英語漬けにするような行為は、畑に劇毒の農薬を散布するのと同じようなことだと考えています。微生物が死にますから、土がよくなるのを邪魔します。私が塾を始めてから、10年くらいたった頃から、学校の勉強はよくできるのに、心の貧乏くさい子供をよく見るようになりましたが、子供を英語漬けにするような行為と根が同じだと思っています。
今の時代は、用心しないと土が悪くなる時代です。
小学校低学年の子供は、日本語の素読をやるのがいいんだと言っているのは、放っておけば土が悪くなる時代を私たちが生きているからです。
2,3,4歳の子供を英語漬けにした場合、子供の心(土)がよくなるか。悪くなります。日本語をちゃんとしゃべっている子供に、ことさらに日本語の文を素読させた場合、子供の心(土)が悪くなるか。よくなります。
子供が日本語の素読をやるということは、けっきょくきちがいじみたこの時代を生きなければならない子供に対する解毒作用であろうと思っています。2,3,4歳を英語漬けにすることは典型的にきちがいじみたことですが、英語でなくても、子供は日常的に毒をかぶる時代です。
薬を使って悪くなったものを、別の薬を使って解毒するというのとは違います。子供に素読をさせることは、放置することとも違います。ハルさんが書かれている「自然治癒」の力を強める作用が、素読にあると思っています。
「有用微生物」という言葉があります。味噌、醤油、納豆、チーズ、酒、酢、みんな有用微生物が作り出すものです。
子供が素読する日本語は「有用微生物」になります。この「有用微生物」が多いと、例えば英語を「種のまま」=「命を宿したまま」持ち続ける場合に、非常に「種」にとっていい環境ができます。
「生の英語」「生きた英語」という幻想によって、子供を英語漬けにした場合、その英語は、害をなす微生物(バイキン)になります。
常に、拮抗関係があり、バイキンが多ければ、有用微生物は死んでいきます。有用微生物が多ければ、バイキンが死んでいきます。
学力という観点から見えるものは、「結果」だけです。村田君が書いたものに、何も嘘は含まれていませんが、まだ「結果」だけ見ている文章だと思いました。
いい結果が生じたのは、拮抗関係において、有用微生物が勝ったということです。なぜそれが起こったのでしょう。
日本語の中に生まれた子供が日本語を素読した場合、話し言葉だけでは宿らない微生物が生まれます。文字を媒介にし、音声によって身体化された言語というものは、話し言葉とは違う地平にありますので、話し言葉だけでもたらされる微生物とは別種の微生物が生まれます。それは有用微生物なのか、バイキンなのか。
ここに、語学論から生まれた「磁場」という観点が生きてきます。日本語の文字を媒介にして、音声化(身体化)したときに生まれてくるものは、有用微生物になります。なぜなら、その全体を日本語の「磁場」が包み込んでいるからです。話し言葉でもいいですし、黙読による読書でもいいですが、そういうところから、栄養をもらえる。ごくなじみのいい環境から、養分をもらって、有用微生物が増えていきます。
その逆が、2,3、4歳の子供の「英語漬け」です。ここに生じる微生物はほとんどまるで生きる場所がない。植物のたとえ話で言えば、種に水を与えて、芽を出させたはいいが、芽を出した植物が根を下ろす土がないというのと同じです。だからといって、人間が死んでしまうわけにはいかないので、芽を出したはずの英語はバイキンとなるしかありません。アメリカだったら有用微生物であるものが、日本ではバイキンになるという絶対的な関係があります。
つい最近、英会話学校=ハイエナ論のことが少し話題になりましたが、そのハイエナ論に書いたものも、「磁場論」です。
くどくどと書いてきましたが、肝心要のことは、「磁場」ということに尽きます。
おそらく、私の語学論における「磁場」という一語を理解していただければ、「なぜ日本語の素読か」「なぜ日本語にお金を払うのか」という疑問は解けると思います。
韜晦するつもりはまるでありませんが、今のところは、力がなく、以上のような説明しかできません。
どなたか掲示板の常連さんが、また別の観点から書いてくれれば、もっとわかりやすい説明がありうるだろうと思います。
力不足で申し訳ありません。
>小学校で出される、音読の宿題さえ嫌々こなしている息子が喜んでするのか?それから、年長さんと小学2年生では、本を読む力がかなり違うと思うのですが、その当たりは問題がないのですか?
読書好きの息子を見ていると、音読するときよりも、黙読しているときの方が本の内容に敏感に反応を示しているようで、深く読んでいるような感じがします。
「音読の宿題」ですか。なるほど。じゃあ、やっぱり私の方法では、「音読」ではなくて、「素読」です。「素読」は生徒とコーチが一対一でやるのが基本ですので、宿題にしようがないのです。なるべく自分でも読んでおいてねということはいいますが、それは学校の「宿題」などというものとは違います。
素読舎は、生徒の「繰り返しそのものにつきあう」わけです。
学校は、とてもじゃないがそんなことはやってられないので、宿題にして、それを「音読」と勝手に命名しているだけです。「音読」がはやったので、「音読」と命名しておけば、学校の授業という儀式はとどこおりなく先に進むだけのことです。
学校の音読なんてものに、実質はありません。ここでも、できる子ができるようになるという独占が生まれるだけです。
「音読の宿題」などというものはでたらめなものです。お子さんが嫌々やるのは、それが宿題を済ませるという儀式に過ぎなくなっているからです。
お子さんが喜んでするかどうかは、無料お試しで一ヶ月やってみてもらえばはっきりすると思います。そうすれば、ももこさんのお子さんにも、無料お試しで一ヶ月使っていただくことができます。駄目だったら、コンビを解消していただき、ももこさんのお子さんにまた相方が現れるのを待っていただくことになります。
年長さんと小学2年生が組めるのかに関しては、2年生の知的レベルが年長さんを刺激して、年長さんを頑張らせるような作用をもたらすと思います。やってみないとわかりませんが、表に現れている言語駆使能力にかなりの差があっても、やれると思っています。
音読している時より、黙読している時の方が、深く読むということは大いにありうること、というよりそれは普通のことだと思います。
音読が必要だというのは、より高度なものを扱うようになるときに、無理が生じないように、準備をしておくということです。この辺に関しては、村田君が書いてくれたものでいいと思います。
音読そのものが直接に作用して、考えるとかよく意味を解するということが起こるのではなく、音読によってより広い範囲の日本語にわたって準備が整っていくので、黙読での読みが深まるという間接的な作用があるのだと考えています。
ひとまずこれだけに致します。
まだ疑問は晴れないことと思いますが・・・。
フミさん 投稿者:ハル 投稿日:2010年 3月 6日(土)12時57分57秒
はじめまして。今月から小学2年と3年の子供が体験レッスンを始めましたハルです。
日本語素読の意味、価値で迷われているのですよね。 お気持ちよく分かります。
読書好きのお子さんは学校の教科書の音読は嫌いでしょうね。つまらないとおもいます。
音読は、内容を理解できるお話を声に出して何回も読んで、深く読解していく。だから、学年レベルの平易な物語を読みますよね。
素読は、内容理解は無視して読むので、古文やら古典まで読むんですよね。名文と言われる美しい文章を子供時代に素読していたら、きっと高校生ぐらいになって、記述問題や論文で底力が発揮されるのではないでしょうか。きちんとした心に響く日本語を操る人は頭の良い人だなーと感じます。あこがれます。同じ語学の英語も理解しやすいと言いますね。
ところで、素読舎で日本語素読をしているのは知りませんでした。知っていたら、私も子供が1年生ぐらいからやらせたかったです。 英語レッスンでたまに日本語もやってもらいたくなりました。まー体験中の身なのでここだけの話(?)です。
回答にならずすみません。とりあえずは私のように無料体験をしてみてはいかがでしょうか。その結果で、日本語を始めるか3年生になって英語からにするかお考えになったら良いと思います。
根石さん、みなさんへ 投稿者:フミ 投稿日:2010年 3月 7日(日)19時05分3秒
根石さん、みなさん、日本語素読についてのたくさんのご意見ありがとうございました。
土曜ミーティングと呼んでいる我家の家族会議で話し合いをして、日本語素読の無料体験をさせて頂くことに決めました。
我家の子育ては、助産院での出産から始まり、自由でのびのびした保育で有名な保育園で食育も含めて丁寧に育ててもらいました。小学校では、きのくに子どもの村小学校という自由な小学校に入れるかどうかでもなやみましたが、本人の意思や色々なことを考え、地元の公立小学校(有名なお受験校区)を選びました。私たちの育て方が良かったのか?悪かったのか?かなり、つわものの息子です。学童保育の先生から「トットちゃんみたいですね。」と言われたときは、さすがにこのままでいいのか不安になりましたが、人に迷惑をかけているわけではないので、まぁいいかなと現在に至っています。
まわりの子どもたちは、低学年から公文や学習塾に通っていますが、子どもには、無駄に多くの勉強をさせるのではなく、学ぶことの大切さ、楽しさを知ってほしい。自分の行きたい道が決まったときに、全力でがんばれる基礎力をつけてほしいと願っています。
まじめに緊張感を持って、スカイプでのレッスンに取り組めるのか不安なところですが、よろしくおねがいいたします。
スカイプを使うには何が必要なのか、教えてください。
日本語素読~こころは育っているのかな? 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 4月26日(月)04時32分13秒
根石さん、ハルさん、Tさん 失礼いたしました。
日本語素読の方法について、なるほどと読ませてもらいました。
>字を覚えさせ、字を拾わせて読ませる方法は、この暴力性に非常に無自覚です。
確かに、わが身のことを振り返るのはちょっと無理ですが、息子に対してはどうだったか?と思うと不幸な体験をさせちゃったのかなと感じました。ひらがな読めるね。次はじゃあこれが読めるはずというとらえていたな~と思います。大人が先に呼んであげて、後追いさせてというのもやったことないですね。
『暴力性』
これにやられてしまうと後遺症がでてきそうですね。その点「なじませる」素読というのは、逆に豊かな面を育ててくれそうですね。うちはどうかな?どうかなとちょっとひや汗かいています。
>わざわざ日本語なんかやらなくたって、うちの子は日本語を達者に話す。お見事というくらいに口応えだってする、というわけです。
DSだって、文字を読みながらちゃんとロールプレイングゲームを進められる。だから文字は読めている。という意見もありますよね。
安達忠夫「素読のすすめ」が、ハルさんがおすすめの本だったとは!まだぱらぱらとしか見てませんが、しょっぱな帯のところに「有機農法」が例えにあったので、思わず根石さんを思い出してしまいました。非常にそそられる内容ですね。明治期はもちろん海外でのことまでも含めていて読み応えあり。これから熟読します。
ただ『日本語の素読』は書いてありませんよね。
早速息子も「読んでみよう」のページをチャレンジしていました。千字文冒頭の音読みです。(強制したわけじゃないのに、子どもは声に出すのが楽しいんですね。)
「たずさえていく」のところ、確かに二人ともつっかえてましたね。
なじんだとき地平が広がっていくの説明も、納得です。私は金曜日の自分の感想で、音を聞いてイメージが広がっていくと受け止めたのですが、これは大人の感想になっちゃっていて、子どもさんたちはイメージ以前の、ことばの音とリズムを楽しんでいるのかもしれませんね。それがだんだん霧がはれて自分のたち位置がわかると、それぞれの景色が見えてくるのかな。
私、素読舎掲示板は、なんかいつも固いことを書いていて、とっつきにくいな~と感じて遠慮していたのですけども、いざ体験してみて、英語素読レッスンで、「体(口、腹筋)」をいい意味で壊され(解体され)、今、日本語素読に触れることができて今度は「頭」が壊されている気がします。へんてこな日本語ですみません。
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 4月27日(火)00時50分14秒
江戸の母さん
>>字を覚えさせ、字を拾わせて読ませる方法は、この暴力性に非常に無自覚です。
>確かに、わが身のことを振り返るのはちょっと無理ですが、息子に対してはどうだったか?と思うと不幸な体験をさせちゃったのかなと感じました。ひらがな読めるね。次はじゃあこれが読めるはずというとらえていたな~と思います。大人が先に呼んであげて、後追いさせてというのもやったことないですね。
『暴力性』
これにやられてしまうと後遺症がでてきそうですね。その点「なじませる」素読というのは、逆に豊かな面を育ててくれそうですね。うちはどうかな?どうかなとちょっとひや汗かいています。
就学前後に家で子供に字を覚えさせる人たちのほとんどすべてが、字を覚えさせ、一字ずつ子供に字を拾わせて読ませるような落とし穴に落ちると考えています。子供が自分で字を拾おうとするのは一向に構わないので、放っておけばいいのですが、親が子供に字を拾わせて読ませると、子供を勉強嫌いにさせる可能性は非常に高いです。私は子供の勉強嫌いの多くを親が作り出しているのではないかと疑っています。
本当はもっと多くの人たちに、素読舎の「日本語素読」というものを知ってもらいたいと願っています。しかし、日本の近代の殿堂=学校が、素読を覆い隠してしまい、素読が何であるかがわからなくなっている現状では、素読舎に注目して下さる人は、非常に少ないはずです。
「めくら千人、めあき千人」とかいう言い方があったと思いますが、日本の近代においては、「めくら千人、めあき十人」くらいでしょうか。十人いたら上出来かもしれないとすら思っています。
子供が字に出会う年齢で、しろうとが下手に子供に手を出すと、ろくなことにならないと思っています。
>DSだって、文字を読みながらちゃんとロールプレイングゲームを進められる。だから文字は読めている。という意見もありますよね。
その種の言葉は、交通標識に書いてある情報みたいなものだろうと思います。日本語を海だとすれば、情報を伝えるだけの言葉というのは、海水をコップにすくった程度のものに過ぎない。
>安達忠夫「素読のすすめ」が、ハルさんがおすすめの本だったとは!まだぱらぱらとしか見てませんが、しょっぱな帯のところに「有機農法」が例えにあったので、思わず根石さんを思い出してしまいました。
「素読」を「有機農法」に喩えるのは、非常に正確な比喩だと思っています。
しかし、現在では、「有機農法」の「有機」が問題です。例えば、化学肥料の代わりに、鶏糞を肥料に使った農法は「有機農法」ですが、現在では畜糞がすでに汚染されている場合が多いです。餌に混ぜて鶏に抗生物質を食べさせている養鶏家がほとんどだからです。
学校がやっている「音読」のルーツは、日本では「素読」にありますが、学校の「音読」は抗生物質まみれの鶏糞みたいな「有機」ブツです。
30年以上も一滴の農薬も使わず、「有機肥料」を買ったことがない私の畑で穫れるものと、そんじょそこらの「有機農法」で作るものとが違うのと同じくらいに、素読舎が扱う「素読」と学校が扱う「音読」は違うと思っています。
ここでも、私は「しろうとが下手に手を出すとろくなことにならない」と言おうと思います。小学校の学校の先生たちは、「素読」や「音読」に関してはほとんどまったくの「しろうと」に過ぎません。教員免許という国家資格を持つ「しろうと」に過ぎません。
私が言う意味での「しろうと」「くろうと」においては、国家資格など何の意味もありません。
>ただ『日本語の素読』は書いてありませんよね。
不思議ですね。日本人が素読をやるのに、日本語をやるのが一番自然なことなはずですが。素読舎が「日本語素読」を表メニューにしなかったのは、英語に目を奪われる日本人が多すぎるためでした。「商品にはならん」と私はずっと思っていました。しかし、ものごとの本来から言えば、「日本語素読」が幹であり、「素読を使った英語学習」は枝でいいはずなのです。
>早速息子も「読んでみよう」のページをチャレンジしていました。千字文冒頭の音読みです。(強制したわけじゃないのに、子どもは声に出すのが楽しいんですね。)
仏教の経文や漢文だけに素読のテキストを限るのは、頭が固いと思います。私は頑固ですが、頭が固いわけではなかろうと自分で思っていますので、ヘーキで日本語の口語文を素読のテキストにします。小学生に本当に必要なのは、日本語の口語文の素読です。
学力の元になるのはネイティブな言語の「言葉の力」なのです。
「急がば回れ」以外に本当の方法はないのです。
この意味においても、幼児英会話は気違い沙汰です。
>私、素読舎掲示板は、なんかいつも固いことを書いていて、とっつきにくいな~と感じて遠慮していたのですけども、いざ体験してみて、英語素読レッスンで、「体(口、腹筋)」をいい意味で壊され(解体され)、今、日本語素読に触れることができて今度は「頭」が壊されている気がします。へんてこな日本語ですみません。
このあたりをもう少し詳しく書いていただくようお願い致します。
根石さん、ももこさん 投稿者:フミ 投稿日:2010年 4月29日(木)12時47分31秒
日本語素読をやりはじめて、一ヶ月が経ちました。
感想も送れなくて済みません。仕事が忙しくなってきたので、時間が取れず、ブログのスピードについていけていません。ごめんなさい。
小学2年生の息子は、やや緊張感にかけるところもあり、素読の後半は姿勢が悪く、本のページの端をめくって遊んだりしています。この前も、「はっきりしゃべって」というような意味のことを。根石さんから言われていたと思うのですが、背中が丸まって、ぼそぼそ読んでいるのが気になりました。「素読」といイメージには、私は勝手に時代劇の中の子どもたちが背筋をピンと伸ばして、真剣に読む印象があったので、その印象からは程遠いもぞもぞ状態です。時にはこちらが舌を巻くほど上手に、学校の宿題の音読をするときもあるので(たいていはいい加減な早読み)英語と違って、ひらがな中心の素読は良い意味での緊張感を保つのが難しいのかもしれません。日本語素読の効果については、子どもが楽しんで一生懸命取り組めればそれでよしと思っています。
谷川俊太郎さんの格調ある、でも、かたくない日本語を読むのは、言葉のリズムを体で感じればいいですね。二人の音読を聞いていて、ももこさんの年長の息子さんは言葉の意味がつかめなくて、言いづらい言葉、カタカナ部分に緊張感があります。聞きなれない言い回しは、言葉のイメージがつかみにくいようです。しかし、真剣に取り組む様子が声からも聞き取れます。
小学2年生のうちの子には、もっと、活舌よく読むようになど、厳しく要求をだして頂ければとい思います。活舌の悪いときは姿勢が乱れています。背中が丸くなると声はこもることが、観察していてよくわかりました。
意味が分かる分からないに関わらず、素読することは子どもの言葉の幅、深さを広げると思います。根石さんの日本語素読と並行して、「子どもたちの遺言」(谷川俊太郎の詩集絵本)など、親子で素読してみようと思います。また、子どもの素読に良い本があれば、どなたでも推薦してください。
ところで、今月は金曜日が5回ありますが、明日もレッスンはありますか?また、来月からのお月謝の入金方法も教えてください。個人的には子どもが3人ぐらいで月4000円ぐらいならうれしいなと思っています。もちろん、このまま二人でもかまいません。
よろしくお願いいたします。
素読 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 5月 2日(日)06時44分39秒
会議で、たけさんより「何故子どもたちは素読を続けるのか?これをつきつめると教育の本質がわかってくるのでは」とありまして、ものすごい考えさせられました。
確かにうちの子ども、最初のほうは文字に目がやられて唇をさわりはじめ声が出なくなって、もうこれは続けられそうも無い!と私がしゃしゃりでて”ママストップ”をかけてしまったこともあったのですが(その節は失礼いたしました)でも、今は見違えるほどです。それでもすらすら言えるかというとそうでもなくて、何度も音が出なくてやり直しさせられている時があり、先日のレッスンでは、「もうやめてくれ~~」「出ないのは当たり前、だって普段、聞いてない音なんだもん、初めて聞く音なんだもん」「親の私だって簡単には出ない音、だいたい親がしゃべってない言葉を話すってどうなのよ~」等と思ったのですが、レッスンが終わると子どもたちはけろっとしていて「楽しかった」というんですよね。子どもたちから「もうやめたい」と聞いたことは未だにありません。
前に音が出せなくて読みこなせなかったあの文、この文も、今はすらすら読んでいるので、自分たちの中で多分、”自信”が積み重なってきてるんじゃないかなと推測します。
とにかく素読舎で体験レッスンした子どもたちは、やめませんよね。楽しいんですね。
私がこないだ書きました「素読を知ったことで”頭”が解体されてる」という箇所ですが、
それは、言葉=意味 が先行していて、書かれた文字はすぐ理解しなくちゃ、書かれたものを理解しなくちゃいけない というのがいつも頭にあったのです。ここが、が~んと壊れたなという感覚です。この壊れ方は爽快です。
会議でも話ていただきましたが素読は「意味以前のことば」「言葉そのものを楽しむ時期」というのが素読だと。読み聞かせは子育て過程で、皆、一般的にやるのに、このあとすぐ文字を音をくっつけてしまい、文字を読ませていくが、この前に「素読」があって、ここで子どもたちが音に文字を重ねていく作業があるべきなのに、現代はこれが抜けている。
安達忠夫さんの言葉で大人と違い子どもは、言葉そのものの響きが面白くて、砂場で砂だんごをつくってる時のように集中し、手で砂の感触を楽しみ、舌と口と耳と目とそして心で言葉の”手触り”を楽しむ とありました。子どもにとって素読は”泥だんご”遊びと同じなんだ!と知ったとき、子どもたちが夢中になる遊び(ほっておけば6時間は軽く集中している)”泥んこ遊び””どんぐり割””桜の花びらひろい””石(ひろう、ならべる、投げる・・・”こんなものがざ~っと頭をよぎりました。
最近ちら読みした鹿島茂さん(フランス学者)が音読を推奨してる記事だったのですが、ここで表意文字アルファベットを用いるインド・ヨーロッパ語圏では文字(音声記号としての文字)は「自分の声帯という発声器を使って、他の人が発音していた記号を再現するもの」
としていまなお音読圏であるが、「日本は黙読文化圏の極北」に位置していると書いてありました。こういう文化圏であるから、音読がすたれていくのは当然の帰結かもしれませんが、こんな楽しいことを捨象していくのはもったいないことですね。子どもは声に出して読むと、ほんと楽しそうです。(また「学校での音読」については、また長い話になりますが・・・)
私も早く早く意味をつかまなきゃという読み方をずっとしてきていて、実はなにも理解してなかったのでは? なんだか、日本語素読をやりたくなってきました。これ以上村田さんに負担を負わせられませんが・・・日本語素読テキストを作ろうという話1年前くらいにありましたよね。
子どもたちへの素読体験(実子、実子+近所の子)については、別に投稿します。おもいがけない障害も発見です。
日本語素読挑戦! 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 5月 3日(月)04時48分44秒
根石さん、「お座布団一枚!」ありがとうございます~~
”小学校でやっている音読”と”素読”の違いも、改めて整理することができまして、
ほんと~にすっきりしています。
何故学校では音読はやるのに、素読をやらないのか?
言葉と意味、意味するものと意味されるもの、ここの間にある”暴力性””恣意性”と
言語の習得過程にある未熟な状態に対する影響を、じっくり考えていくと、母語であっても
素読は、取り入れていったほうがよいですよね。ここがうまく説明できていけばいいのですが、それができてばたいしたもんですよね。これから、考え続けますね。
さて子どもたちへの「素読レッスン」お試しに挑戦してみました。先日見学させてもらったのを参考にしています。
実子にも最近ちょこまかやってるのですが、妹はしゃきっと声を出しているのですが、兄は、だらだら。横になったり、文の一部を変えて「おしり」等を交えて、ふざけてしまいます。
先日、息子以外のご近所さん(4歳、5歳、8歳)とうちの娘が集まる機会があったので、挑戦してみました。はじめてこんなことやるぞという子どもたちは、とても、元気に復唱してくれます。ところが、娘が兄と二人でやってるときの兄状態で語句を変えて「おしり」を入れてふざけます。なんでしょうね、これは。親だと甘えてしまうのか?他の子どもに親を取られるのが嫌でふざけたことをして注意を集めたいのか?これにひっぱられて、皆笑い出して、まともに進みません。
ちなみに、読んだのは、「朝のかたち」、漢詩の一部です。ふざけて続けられなかったのですが、皆が声に出して読んだ詩につられて、適当に言い出した言葉を紙に書き留めていったら、これがまた楽しいらしく、それぞれが脈絡の無い言葉、リズムのよい言葉がどんどん出てきて、書き留めた紙の言葉をまた順に読んでいったり、読んでとせがまれたり・・・不思議な時を過ごしました。次の日も、「またあの遊びやろうよ」と4歳の子。無意味な言葉遊びというのかな。楽しかったようです。
落ち着いてふざけず素読する時空間を成立させるのは、かなり困難です。自分の子どもがいなければ、たぶん成立するのかなとも思います。でもそれは難しいです。あと、問題は私の声ですね。4歳の子は舌たらずなとこもあるのですが、とってもかつぜつが高くよく通った声でほれぼれするようです。私も、声に磨きをかけたいな~と思っています。
ちなみに、先に書いた鹿島茂さんの引用の結びは、アメリカ大統領の演説は、あんなにも心に響くものがあるのに、日本では声、発声に魅力があり、人をひきつける演説ができる政治家はいない。読み上げられた言葉で人を動かすのが政治であるはずなのに、日本の政治家は書かれた文章を読んでいるだけだ。だから、政治家になりたければ、音読の練習をしなさいという趣旨でした。
子どもたちへの素読、また挑戦してみます。
文字に目がなじむ 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2010年 5月 3日(月)16時28分2秒
小5の長男は文字を読むことが苦手でした。
書くことも苦手でした。
学校で「これだけは読もう」のようなイベントがあり、
規定の本を何冊か読まなくてはいけないことになっています。
息子は去年の前半くらいまでは「読んで」と私に持ってくるので読み聞かせをしていました。
文字に拒絶感があると感じていました。
ところが去年の後半くらいから自分で読むことが多くなり、
今年度に入ってすぐ、かなりの長編(息子にしては)を自分で読みきりました。
本を一心不乱に読んでいる息子というのはとても新鮮な光景でした。
素読の効能だと思います。
息子が読んだのは狼が出てくる話だったというので、私はこの連休に狼を見に動物園に行きたくなってしまいました♪
野生のが見たいと息子は言いますが、野生のを見たら食べられてしまう・・・おいしそうな息子なのです。
ハルさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 5月 4日(火)22時37分52秒
「素読のすすめ」届いています。ありがとうございます。
半分ほど読みました。
古典を読むための、伝統的な素読ですね。
私は、明治の二葉亭四迷が強引に立ち上げ、昭和に入って、太宰治、椎名誠を経て、平成のただいま、無数の小粒なエッセイ群となっている「近代の日本語の口語」をこそ、小学校低学年の子供が素読すべきだと考えています。
格調高い古典文体を始めるのは、高学年の方がいいと思っています。
やはり学者さんの書いた本であり、素読をある枠の中に閉じこめています。
細かいことを言えば、そのあたりが批判点です。
「音読み」(訓読に対する)というのは、中国語のリズムを半分程度は伝えていると思いますが、どこに出しても意味をなさない読み方で、そんなものをやっている暇は学者の家系じゃないと無理だと思いました。
やるんなら、訓読とまともな中国語の音で読むべきだと思います。
素読に使った素材自体が、後に意味を醸すのでなければ、「音読み」の音というものは、学校英語の英語音と同じで、役立たずのままになります。ただ単に、遠く響く中国語のリズムというものに触れるだけのことになります。
ハルさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 5月 6日(木)04時19分31秒
安達忠夫さんの「素読のすすめ」、あとがきまでようやくたどりつきました。
あとがきがいいです。素読するにあたいする文章です。
旧版のあとがきと新版のあとがきをここに転写させていただくことにします。
江戸の母さんたちが、素読用口語テキストを作られるなら、そこに収録してもらいたいと思います。その価値がある文章です。
批判点は批判点として提示しましたが、読了後、深く頭の下がる書物でした。同じ素読一派の一人として、いいものを読ませていただきました。あとがきに近いところに書いてあるカルタのことなど、素読舎の忘年会などで遊ぼうかなど、ヒントをもらいました。
安達さんは、口語の日本語の素読を否定しているわけではないことも、その後読み継いだところではっきりしました。
私も、古典や漢籍の素読を否定しているわけではない。しかし、五、六歳で始める素読は日本語の口語の方がいいと考えています。古典や漢籍は小学高学年くらいからかと思います。
(旧版あとがき、冒頭)
ようやく書きおわった。青息吐息でここまでたどりついてみると、今さらながら、何ひとつ身についていない、素寒貧の自分を見いだす。イソップ物語のカラスは、ほかの鳥たちのきれいな羽をせっせと拾い集めて、みすぼらしい自分の羽を飾りたてようと試みた。読者諸氏よ、これを虚栄として笑いたもうな。今のわたしには、そのカラスの気持ちが痛いほどによくわかる。
(新版あとがき、部分)
素読は脳の活動に、いかなる影響をおよぼすのだろうか。
わたし自身も、むかしから、この問題に関心をいだいてきた。幸いなことに、大脳神経学の最先端で活躍しておられる川島隆太氏の快諾を得て、目下、脳と音読のつながりに関する本を共同執筆している。川島氏は「音読ほど脳全体を活性化する作業を見たことがありません」と述べ、ごく簡単な計算や、音読・素読などが、わたしたちの脳(特に前頭前葉)を活性化する最もすぐれた方法であることを、ポジトロンCTや機能的MRIを駆使した最新の研究から実証しておられる。
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新版のあとがきから引用した部分に続けて、『数ヶ月以内に出版される予定なので(仮題『脳と音読』講談社現代新書)、本書の姉妹編のような感じで参照していただければ幸いである。』という文があります。
多分、現代のお母さんたちには、CTやらMRIを駆使した最新の研究の方から素読に迫っていただくほうがわかりやすいのではなかろうかと考えてしまいました。私も見つけたら、安達、川島氏の共著を読んでみます。
本当は真にタオ的直感でわしづかみにしてもらうしかない方法なのですが、現代の日本はそういう直感が生きることのできる場所が非常に小さくなっています。口で説明しても、まずわかってもらえないのが素読です。
いずれにしても、いいものを読ませていただきました。感謝しています。村田君にも回して読んでもらうつもりです。
学校がやっている「音読」は、安達さんが言う「音読・素読」とは別物です。というより、しろうと衆(先生達)が見よう見まねをやっているだけというのが実情です。特に、生徒一人一人の「繰り返しそのものにつきあう」ということにおいては、学校の音読には根本的な欠陥があります。
斉唱・群読などと言われているものなら学校でもできます。
生徒一人一人の「繰り返しそのものにつきあう」ことは、現在の学校では絶対に無理です。(素読舎がやっているのは、「学校では絶対に無理」な素読・音読です。)
私が学校の先生に提唱したいのは、生徒五人を相手に「技法グラウンド」を変形させ、その後、斉唱・群読をやるやり方です。これなら学校でもできます。
センスのいい先生なら、すでにやっている人がいるかもしれません。
タオ的センスのない先生達は、素読舎で「技法グラウンド」そのものを習得してもらいたいものです。
「技法グラウンド」と斉唱・群読の組み合わせが、学校がやるべき音読の最初にして最後の形だろうと考えています。
うちの孫も小学校に入り、音読をやらされていますが、宿題でやらされているところがとことん気に入りません。
音読の「宿題」!
素寒貧なのは、安達さんではない。現代の日本の学校だ。
日本語素読 子供の感想 投稿者:チョコ 投稿日:2010年 5月 7日(金)22時27分44秒
1回目のレッスン、ありがとうございました。
レッスンが始まるまで、子どもは「ドラえもん」を見ていました。
おそらく「ドラえもん」に後ろ髪引かれる思いと、自分も兄と同じようにレッスンできるという
楽しみな気持ちが混ざってのスタートだったと思います。
ちなみに当日の夕方まで「僕だって英語がいい!日本語なんてもうちゃんと読めるよ!!」
と言ってました。
本日「朝のかたち」が届いていたので、一応ページを開いていましたが、読んでいません。
ほぼ全て口真似です。
彼はまだ文字をひと文字ずつ拾い読みしている状態です。
隣で様子を見ていての感想です。
彼は舌足らずではないのですが、普段使わない単語はいいにくそうでした。
それだけではなく、正しく聞き取れていませんでした。
文字を見ていないこともありますが、知らない言葉は聞き取りにくいんだなぁーと、
改めて感じました。
終わってからの本人の感想です。
「難しかった。でも難しいところがおもしろかった」
と言っていました。
声だけですが、一緒にレッスンするお友達がいたのもうれしかったようです。
お友達を家に呼ぶのが大好きなので「あの子はいつ家に遊びに来てくれるの?」
と聞かれました。「いつか一緒に遊べるといいね」と話をしました。
根石さん、フミさん、ももこさん、来週もよろしくお願いします。
根石さん 投稿者:ミキ 投稿日:2010年 5月 5日(水)23時16分25秒
お世話になっております。再度、息子についてなのですが,私自身がレッスンを体験し(まだ始まって1ヶ月ではありますが)、いろいろと考えた末,やはりこちら根石さんの所で預かっていただきたいのです。母国語が違う特殊な例である事は承知しておりますし,学校の成績などに何の変化がなくても一向にかまいません。素読の効果は,学校の成績などよりももっと大きなものだと感じています。
まずはテキストが問題,という事でしたので,根石さんのテキストABCDの日本語部分を現地語に翻訳する許可をいただけないでしょうか?繰り返しの部分があるとは言え,三万行近くのものを終わらせるのに夏頃迄かかるかもしれません。
テキストが準備出来た時点で,もう一度改めてレッスンのお願いをしたいと思うのですが、、、。
(私が練習をしているのを見て,「僕のレッスンはいつ始まるんだ?」という様なことを言うので,それなりに本人にもやる気はある様です。)
是非よろしくお願い致します。
ミキさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 5月 6日(木)01時39分9秒
息子さんはイタリアで生まれてイタリア語で育ったので、日本人のお母さんから生まれたのであっても、言語的にはイタリア人だと考えるのがいいと思っています。
私が作ったテキストは、日本人の子供が英語をやる場合を想定して作ってありますので、そのままでは使えません。日本語による説明部分をイタリア語に直し、「お母さんか、英語を話すイタリア人」によってレッスンするのがいい、というあたりまでは、前回お話しました。
(言語的に)イタリア人である息子さんを素読舎の生徒としてお受けする場合は、教材の英語部分だけを「技法グラウンド」で扱うというやり方以外はできません。村田君も私も他のコーチも、イタリア語による説明部分をイタリア語として読むことができないからです。イタリア語部分は息子さんが自分で読んで理解してもらい、普段のレッスンでは英語部分の「技法グラウンド」のみを行うしかありません。
「技法グラウンド」というのは、コーチが一回読んだ文を生徒が五回(以上)繰り返すことです。その場合、「はい」とか、「いいよ」とかこちらが言って、次の文に移るのですが、この「はい」や「いいよ」くらいを息子さんが覚えれば、次に移ることを指示することはできるでしょう。しかし、他に問題が多出することが予想されます。
特に、「音づくり」に関する指示です。一例を言えば、「もっと狭いア」という指示を出すことがあります。この場合の「ア」は日本語の「ア」なのだというような問題です。日本人には有効だが、イタリア人には無効だというような問題です。
この音とこの音には特に気をつけなければならないというような基準があるのですが、「特に気をつける必要のある音」というのも、日本人の場合とイタリア人の場合とで違ってくるはずです。素読舎が指示できるのは、日本人が特に気をつけるべき音であって、イタリア人がどこに気をつける必要があるのかは把握できておりませんし、イタリア語でできた口の筋肉のどこをどうすべきかも把握できておりません。
「音づくり」の指示を一覧にしてもそれほど量的に多くはなりませんが、それらの指示のひとつひとつがイタリア人向けでなければ「音づくり」は成立しないと思っています。
素読舎の「音づくり」はまったく日本で生まれたものであり、アメリカの音声学の引き写しではありません。素読舎の「音づくり」の音とは、「日本人の体にとっての」英語の音です。その音が、「アメリカ人の体にとって」も英語の音であるなら誰にも文句は言わせない、というのが基本的なスタンスです。
イタリアにも、これと同等の英語の音の扱い方が生まれるべきだと考えています。もしもすでにあるのであれば、それを使われることが最良です。そういうものがあるのかどうかも私は知りません。いずれにせよ、今回の事例では、最大の困難は「音づくり」にあります。
語学の方法として素読が有効であることは間違いありません。素読はどこの国に持ち込んでも有効です。しかし、息子さんが英語を練習する場合には、現にある素読舎でなく、「イタリア人向けの素読舎」=「素読舎イタリア分室」が必要になります。
素読そのものを学んでいただいて、「お母さんか、英語を話すイタリア人」が「技法グラウンド」を駆使していただくことが必要だと考えています。つまり、イタリアで「イタリア人向けの素読舎」を作っていただく必要があると考えています。
イタリア語でできたイタリア人の口の筋肉のどこをどうすれば英語の音になるかを知っている人がどうしても必要なのです。
村田君がミキさんに向けてやっているレッスンを私がスカイプで参観し、様子がわかった上で言うべきことかとも思いますが、時が来たら、ミキさんがイタリアから日本人の生徒に向けてスカイプで英語のレッスンなさるのがいいと思います。レッスンを受ける立場を継続しながら、自分でもレッスンすることで、素読舎のレッスンの中に素読がどのように生きているのかを理解していただくことができると思います。そうすれば、私が作ったテキスト(教材)をイタリアでどのように加工すべきかもわかっていただけると思います。
息子さんが英語を始めるのは、急ぐ必要はないと思っています。
ドイツ語と英語が兄弟くらいの関係だとすれば、イタリア語と英語は従兄弟くらいの関係になるだろうと考えてきました。この言語的な血筋というものは、語学の場面で非常にものを言います。
ロンドンの語学学校に一月ほど通ったことがありますが、イタリア人の生徒は、いきなり英語をしゃべっていました。音は95パーセント以上がイタリア語なんですが、言語の骨組みは「ヨーロッパ語一族」の骨組みなので、英単語さえ覚えれば、骨組みに載せることができるのです。音がイタリア語なので、他の国の人には通じないし、文法も間違いを多く含むのだろうと思うのですが、英語を教えていた教師には十分に通じていました。イタリア語だけで育って、いきなりそのレベルは確保できてしまうのです。
これは日本人が日本にいてやっている英語にはまったくない性質です。
日本人の英語は、接ぎ木のような乱暴なものになります。大がかりな外科手術のようなものになります。
接ぎ木可能な木もあれば、不可能な木もあります。素読舎から見れば、多くの日本人が「それはそうやって接いでも枯れるよ」とあらかじめわかっていることをやっています。学校でも英会話学校でもそうです。まあしかし、これは今回のこととは別の問題です。
イタリア人の英語は、多少の違いはあれ、いったん育った木の枝を整えるくらいのものになります。見た目がどんなに違うものになっても、元は同じ木なのです。同じ根と同じ幹から生えた別の枝であり、別の葉なのです。枝の接ぎ木くらいは必要になるだろうと思いますが、接ぎ木はその程度のものです。
根元から幹さえも接ぐ必要のある日本人とは事情が違います。
バイリンガルというのは、二つの別の種類の根から一本の幹が生え、その先がまた二つの別の種類の木になっているというようなことです。この場合の、「一本の幹」というのは、人間の個体として「ひとり」分に数えられるということを意味します。日本で現在はやっている幼児英会話というものは、そういうけったいなものを作ろうとしていると見えます。明らかに虐待です。幼児は平気な顔をしているかもしれませんが、その後、その子供が育つ過程で遅かれ早かれ虐待になります。それを虐待と呼んで間違いないのは、「磁場」がひとつだからです。日本語の「磁場」ひとつしかないのに、根を二つ持たせてしまう。二歳、三歳の子供に英語ネイティヴに話しかけさせればそれが起こります。根を二種類持たせても、人間「一人分」の範囲でしかないから幹は一本であり、その後芽吹いたかと見えた一方の枝は、貧弱化するか枯れます。もし、貧弱化せず、枯れなければ、主言語になるべき枝の方(日本語)が貧弱化します。
息子さんの英語のレッスンは、急ぐ必要はまったくないと考えています。
私が作った教材の日本語部分をイタリア語に直すことは、準備の一部にすぎません。ミキさんが「音づくり」のできる人になっていただくか、英語の「音づくり」のできるイタリア人をみつけていただく必要があります。私は、ミキさんがイタリアで「イタリア人向けの素読による英語のレッスン」をやってくれることを期待しています。それが、「イタリア人向けの素読による日本語のレッスン」になってくれたら一番うれしいことです。あるいは、「日本人向けのイタリア語レッスン」や「アメリカ人向けのイタリア語や日本語」のレッスンに。
ミキさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 5月 7日(金)11時10分33秒
メール読ませていただきました。
書いて下さったことを読んで、ミキさんが求めておられるのは、むしろ(日本における)「日本語素読」に同等する、イタリアにおける「イタリア語素読」ではないかと思いました。このコーチは比較的簡単にみつかると思います。そして、それが今の息子さんにはもっともいいものだと思います。息子さんとお母さん(ミキさん)とで始められるのもいいと思います。いいコーチが見つかれば、お母さんと息子さんの二人が生徒になればいい。コーチをお父さん(旦那様)にやってもらったらどうですか。お母さんにとっても、非常にいいイタリア語のレッスンになると思います。お母さんの友達にコーチになってもらい、お母さんと息子さんで生徒になることもできます。お父さん(旦那様)やお母さん(ミキさん)の友達にコーチをやってもらう場合は、コーチ法だけをミキさんからコーチによく伝えます。(そこだけはしっかり承知してもらわないと、よくある「なんとなくの音読」になってしまいます)
息子さんにとっては、イタリア語が形成してきた富をひとまず音として内在化させることになります。年齢からして、イタリア語の古典にあたるものをやって大丈夫だと思います。テキストの選択は、お父さんやお友達に相談なさるのがいいと思います。
小学生の英語のレッスンが「時間の無駄」であることは、日本だけでなくイタリアでも同じなんだというお話は興味深く思いました。これに関しては、あせらず、放置しておくのでいいと思います。ついいらいらしたくなるのはわかりますが、放置でいいと思います。ただ、掲示板等で「無駄」であることの認識をお母さん達が共有していくという作業は必要かと思います。素読舎でも「母の会」のようなものが自然に形成されて、掲示板があります。そちらでお話なさるのもおすすめします。私は基本的には、「語学論一本槍」でいきたいと思っていますので、普段はそちらの掲示板におじゃましないことにしています。「ちょっと出てこい」と言われれば出ていくということでやらせてもらおうと思っています。
英語のレッスンでは、「技法グラウンド」をほぼ原形通り使っていますが、「日本語素読」では変形させています。ここ1ヶ月やってきた形では、私(コーチ)が一度読んだものを、生徒二人がそれぞれ一度ずつ読んでいます。それで、ある程度の「なめらかさ」が得られれば、次の行へ移ります。(谷川俊太郎の詩を扱っていますので、行を単位にして素読しています。)
むしろ、ミソは、T,FN,FFという繰り返しの構造の方にあるかもしれません。これは、「その場での繰り返し」だけでなく、「復習の繰り返し」でもあり、長い目で見たときの、レッスンの構造を作ります。口で言うと難しそうですが、村田君の(ミキさんに対する)英語のレッスンが進み、テキスト(「ゴースト」)の「音読」が始まれば、自然と体得されるようになると思います。
素読舎の「音読」が一般の音読と違うのは、このT,FN,FF の構造を備えていることです。
しばらくの間、スカイプで「日本語素読」の参観を続けられることもおすすめです。今月から「三人一枠」でやりますが、多分、どのお母さんも参観を了解してくれると思います。これは、江戸の母さんにもおすすめします。一度だけの参観だと、T,FN,FFの組み立てがわかりにくいでしょう。もっとも江戸の母さんは、すでに英語のレッスンで「音読」を開始していますから、まもなくT,FN,FFの構造はくっきりしてくると思います。
「日本語素読」や「イタリア語素読」に応用する場合は、時間制限などは設けません。いつまでも「自然な速度」だけでやっていきます。T,FN,FFの構造だけを応用します。ミキさんの場合なら、「イタリア語素読」に応用できます。
ひとまず、素読そのものと、レッスンの(長い目で見た場合の)組み立てを学ばれ、その後、息子さんの英語に関して対策を立てられたらどうでしょうか。
T=Top
FN= Feedback (from) Near(Neighbour)
FF= Feedback (from) aFar
のようにとらえて下さると、イメージがわかりやすいと思います。
「日本語素読」を参観なさる場合は、掲示板でそうおっしゃって下さい。
メールへのお返事を掲示板上でしましたがお許し下さい。他の方の参考になるものを含むと考え、こうさせていただくことが多いのです。ミキさんからいただいたメールも、日本とイタリアと事情は違うとは言え、参考になるものがあると思うので、さしつかえなければ、私の手で転写させていただきたいと思いました。公開されて不都合な情報はほとんど何もなかったと思いますが、この部分を伏せろというようなことがありましたら、メールでお知らせ下さい。
根石さん 投稿者:ミキ 投稿日:2010年 5月 8日(土)04時46分51秒
そうですね。そう言われれば,多分私は母国語素読に惹かれているのだと思います。もし息子が日本で育っていたら,日本語の素読をお願いしていたと思います。しかも,テキストが谷川俊太郎!詩の中では萩原朔太郎の「旅上」がとても好きですが,谷川俊太郎は「どれでも」と言っていいほど好きです。
差し上げたメールで使えそうな所があれば,使ってください。「群れの持つ音」と「少年期の群れに対する欲求、必要」と「素読」の間につながりがあると感じているのですが、どんなふうに繋がっているのかがまだ良く整理出来ません。
息子のイタリア語素読のコーチとして夫はちょっと無理かもしれません。父親というより,兄貴分と言った感じで,今夜の夕食では「どちらが沢山苺を食べたか?」で息子ともめていました。トホホ、、、です。
市立図書館に仲良くさせていただいている,詩人でもある女性が居るので,相談してみようと思います。
時間が調節出来れば,将来、日本語素読のレッスンを参聴させていただきたいです。その時は掲示板でお願いする事にします。よろしくお願いします。
ミキさん 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 5月 8日(土)06時49分6秒
根石さんが書いていた
>小学生の英語のレッスンが「時間の無駄」であることは、日本だけでなくイタリアでも同じなんだというお話は興味深く思いました。
について、聞いてみたいなぁと思っていたのですが、さしつかえなかったら教えてください。”群れ”の話も難しそうですが、聞いてみたいです。
そして、萩原朔太郎!と聞いて出てきちゃいました(^^)なぜこうも惹かれるのでしょう
いいですよねぇ~私も大好きで、素読舎に出合ってからか、出会った後か、忘れましたが子どもに読ませたことがあります。まず自分が読んできかせなきゃ、だめでしたね。自分が読んでる間に、飽きてむこういっちゃうかなとあせってたんですが、今はいっちゃってもいいや、読んでいようっと構えができました。最近うちでも、谷川俊太郎を読んでます~私だけ読むときもあるし、娘がまねっこするときもあり。(息子はコロコロに夢中)娘の反応は、ほんと面白いです!とにかく、家の中に音を響かせておくのはいいなと思って、やってます。でも、寝転んでだらだらの姿勢ですから、”ちゃんと素読”してほしいですね~
根石さん、ももこさん、チョコさんへ 投稿者:フミ 投稿日:2010年 5月 8日(土)21時56分19秒
根石さんへ、
口座番号了解しました。
日本語素読も2ヶ月目に入りました。
年長、一年生、2年生の3人ですが、多分実際3人を引き合わせてみると、こんなに年齢が違うのかと実感するのではないかと思います。
子どものこの3年間は言語能力が本当に大きく発達する時期です。
我家はほとんど字も教えず、勝手に自分で読めるようになり、書く方は、何とか名前だけは書ける状態で、昨年、小学校に入学しました。
しかし、小さなときから読み聞かせはバッチリしていたこともあり、彼の物凄い口答えを聞いていると、言語能力は人一倍発達していると思います。不思議なのですが、小学校で色んな漢字を覚えると共に、読む本のレベルがメキメキ上がり、はじめはどの子もハマル「怪傑ゾロリ」から始まり、あっという間に低学年向けは卒業して、最近では青い鳥文庫の「西遊記」にはまっています。
子ども向けの本は1,2年生の漢字はルビが振っていないことが多いので、それが読めるようになると、言葉さえ理解できればどんどん読めるようです。
そのような状態なので、素読はなんとなく余裕の様子。大体、これでいい気になって追い越されるのが彼の常ですが・・・。
どうぞ、彼にはビシバシ指導してやってください。
近頃はトム・ソーヤの冒険を読み聞かせていますが、昔の訳は本当に難しい言葉が多いなぁと感心します。しかも、行間に秘められた表現が多く、さすがに理解できないところも多々ある状態です。古典的児童文学は素読ではなく、読み聞かせにお勧めです。
続きが知りたい誘惑に負けて、あっという間に自分で読むようになります。
絵本の後、エルマーの冒険や龍の子太郎、おしいれのぼうけんなど、低学年向けの本、その後は長靴下のピッピ、名探偵カッレ君、やかまし村の子どもたち、メアリー・ポピンズなどなどお勧めです。かなり私の個人的趣味も入っていますが。
どうぞ、低学年、保育所、幼稚園の子どもたちには日本語素読と合わせて、読み聞かせをお楽しみください。
チョコさん、ももこさん、これからもよろしくお願いします。
フミ
素読・営業第2課 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 5月 9日(日)07時10分18秒
ご近所のお母さん方へ、「素読」の話をしてみました~。ぶっつけ本番で、なにをどうしゃべったらいいのか、あたふた状態でしたが、「素読」という言葉をはじめてきくお母さん方でしたので、「素読って何?」からはじまり「音読とどう違うのか?」「なぜ、素読をするのか?」の話をするわけですが、手に汗状態でした。(これが素読舎の入社試験だったりして?)
「素読」とは、江戸時代からある~から説明するのですが・・・・
重要なことを言うのを忘れました。”感性を育てる”です。でもこれは、私が声に出して言うと軽くなっちゃいそうです。どう伝えられるか、腕の見せどころですな。
私としては、日本語でも英語でも素読に興味もってもらって、江戸母レッスンに参加し体験してもらって、楽しめたら幸いで、その後、本格的にスカイプで素読舎レッスン(英語でも)にきてくれたらいいなと思っています。
感触としては、日本語素読への反応がよかったです。
まだ小学校あがりたてのお母さんとしては、学校での「音読」が苦手のようだから、という理由でもありますけどね。
「江戸母先生」でよければ・・・(無料でやりますよ)という流れになっているのですが、果たして環境が整いません。(子どもたちが集まるとわれ先にと、ふざけますからね。笑いをとったやつが偉いみたいな)これが有料になると、親も子も身を引き締めてくるかもしれませんね。でも、有料なんてできませんが(汗)
ちゃんと素読にむかえそうな子だけを集めてやるというのも手かもしれませんね。遊びの時間に、呼び出して5分でもいいかな。
特に「日本語素読」は、何を読むのか?と聞かれ、今塾で読んでいるもの、もしくはうちで読んでるものの名をあげたのですが、言葉につまりました。「上質の日本語でかかれた現代の言葉」と説明すればよかったのかな。
「上質の日本語」に音読ではなく素読で触れていく。このことを説明して理解を得るのは、かなり難しいです。まず、学校で音読はやっているし(毎日の宿題もある)、子どもも文字は読めるようになった。さらに黙読でたくさんの本が読めるようになっている。そういう子には、「素読」は、なにをいまさら~的な印象があるのかなとも。(「黙読」文化圏の極東ですもんね。私もずっとここにいることに気がつかなかったわけですから)
江戸の母さん 投稿者:ミキ 投稿日:2010年 5月 9日(日)17時09分59秒
こんにちわ。息子は今10歳、4年生です。(6月に終了。9月から5年生、小学校最終学年です。)
昨日持ってかえってきた英語のテストは,こんな感じでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1. Read.
Hello! I'm Jane. I'm a girl. I'm 12. I've got long,curly,black hair and brown eyes.
I've got two black cats and four small dogs. We have a big garden! My favourite
animal is the dolphin, but I like cows, sheep and horses, too. I love animals, but I'm
scared of spiders and snakes!
My favourite colours are purple and blue. I don't like green.
I like chips, pasta and ice-cream, but my favourite food is pizza. I don't like fish and cheese.
My favourite sport is basketball, but I don't like football or tannis.
My birthday is in August, but my favourite season is spring. I like flowers and trees!
Look! This is my family! My mum Helen has got long, straight, black hair and green
eyes. My dad David has got short blond hair and brown eyes. There are my brother
Richard and my sister Laura: he's got short, black hair and brown eyes; he's got freckles.
She's got blond hair and blue eyes; she's eighteen and her favourite sport is tennis.
She's got glasses.
2. Draw and colour Jane. Write the names and colour Jane's family.
ここに,5人の絵があり、Janeの髪の毛は自分で描く、他の人物の髪に色を塗る様になっています。
3. Read the text again. Tick T for true or F for false.
1. Jane is eleven.
2. Her hair is black and her eyes are brown.
3. Her favourite animal is the dolphin.
4. She's got four cats.
5. She's scared of snakes and spiders.
6. Her favourite colours are purple, blue and green.
7. Her favourite food is pizza.
8. Her birthday is in spring.
9. She has got two brothers.
10. Her brother Richerd has got black hair.
11. Her sister Laura is 8.
12. Jane's favourite sport is basketball.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1. Liste and write.
一本の道路を挟んで6つの四角があり,そのうちの1つにHOTELと書いてあります。多分聞き取りで,そのHOTELの横にMUSEUMとか,向かいに BUS STATIONとかを書き入れたのだと思います。単語としては、HOTEL,BUS STATION, SQUARE
CLOTHES SHOP, SUPERMARKET です。
2. Look at number 1 and write. (例を見ながら,質問,または答えを書き入れる)
1. Where's the hotel? _______________________________
2._________________________ It's opposite the hotel.
3. Where's the square? ________________________________
4._________________________ It's between the hotel and the supermarket.
5. Where's the supermarket? _______________________________
3. Read and draw the route. (文の右に絵地図があり,道筋をたどる様になっています。)
Turn right, and tuen left.
Go straighton and turn left.
Go straight on and turn right.
Where are you?
At the _________________
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
イタリア語と英語の間では,単語を置き換えてしまえば、わかってしまうのです。そして単語も半分くらいはすごく似ているので、初めて見る単語でも簡単に想像がつくのです。
なので、今回のテストでも、like, don't like, 色の名前、数、have, where, straight が,わかっていれば,出来てしまいます。息子も,Where's the bus station? と書くべき所を The bus staition? に省略してバツ,(でも,気持ちはわかる。),答えのほうの Itを書き忘れてバツ(イタリア語は,動詞が人称により,単数か複数かによってすべて活用が変わり、動詞を見れば主語がわかる為、主語が省略される事が多いのです。その感覚のまま答えたんだと思います。)、その他は全部で来ていました。という事で,このテストはイタリア語を母国語とする子供にとっては全く簡単と言えると思います。
問題は,例えばこのテストにあった例文を読ませるとどうなるか?アララ、,アララ、、全くのイタリア語読み。
これじゃ通じないよ、、、となってしまうのです。
文法的に兄弟で,違っている単語さえ覚えればわかってしまうなら,何故それを小学校1年生から時間を割いてやるのか?どうして「音」はやらないの?イタリア語が母国語の子供の英語学習に,唯一必要な「音」をやらずに,放っておいても出来る文法をやるのは、時間の無駄でしょ?と思うのです。
個人的には,小学校では国語と算数,そして遠足だけをいっぱいやってくれたら良いと思っています。英語をやるなら「音」のみ,そしてイタリア語(文法も)をがっちりやってくれないものか,と思います。
日本の子供達と比べるのは条件が違いすぎて意味がありませんが,やはり「国」の教育案というのはどこの国でもこんなふうに的が外れているのでしょうか?
学校の音読について 投稿者:チョコ 投稿日:2010年 5月 9日(日)22時12分6秒
素読と学校の音読の違いって、説明を求められるととても難しいです。
私自身が十分理解できていないのだと思います。
上の子の時もそうでしたが、下の子も音読の宿題が始まりました。
上の子どもは6年生ですが、この宿題1年生からずっと続いています。
上の子が1年生のときは、夫婦で観客をしました。
今は子どもが自主的に音読の宿題を止めてしまっています。
下の子は一緒に音読しています。今は初めての宿題なので喜んでいますが、
しばらくしたらいやになってしまうのではないかと思います。
私は、学校の宿題の多くは子どもの学ぶ意欲を引き出す効果が無いと感じています。
私自身、学校での詩の郡読は大好きでしたが、宿題の音読は味気ない気がしていました。
ミキさん 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 5月 9日(日)23時33分16秒
学校の様子、書いてくださってありがとうごさいました!
イタリアという遠い国の出来事で、私には無縁だなと思っていたのですが、今回こうして知ることができて、身近になった気がしております。英語とイタリア語の文法での問題点は、正直よくのみこめないのですが、音をすっとばしてというところは、こちらと共通ですね。インターネットがメインになってきているし、メール(書き言葉)のやりとりができれば実務に損がでないとの決定権と申しますか判断が「国」のどこかの機関にあるのでしょうかね?
書いてくださったテストの「1. Read.」の3問は面白いなと思いました。親子でも髪や目の色が違うなんて、日本ではありえないからこうした設問も想定できませんが、自己紹介のリアルな文を通して英語を理解していく力がついていくだろなと思いました。実際のお父さんのイメージとかできて、楽しそうです。かたや、こちらの小学校の英語教育では、挨拶、号令を覚えたり、ゲーム、歌をとりいれたり、動物や果物、体の部位を覚えているようです。会話では、What ○○ do you like? I like ○○.のやりとりをジャンケンしながら皆と対戦することで、コミュニケーション能力を向上させるという・・・等等があります。文構造もまったく違うので、イタリアで英語を学んできた子と日本で学んできた子とを比較するのは的外れかもしれませんが、このゲーム主流のやり方で日本の小学生は、いつ 「1. Read.」の問題を解けるようになれるのだろうか?と、また余計な心配をしてしまっています。おお、長くなっていってしまう・・・
今の学校のやり方だと、『相手の言ってることを理解する。その指示どうりに反応する』ことはできていくと思うのですが、それ以上のことはできるのかな?と、素人ながらに疑問に思ってます。(というか、小学校では別にやってもらわなくてもいい。ただ”遊ぶ”だけなら、おしくらまんじゅうとかだるまさんがころんだとか、日本の遊びでもコミュニケーション能力が磨けるのではないかと、言ったらもともこもないですが・・・。青い目の人に慣れる、英語に興味を持つというのが目標なので、これはクリアしているようです。)
とにかく親ができる最低限で最大のことで、子どもとしっかり対話していくのが、なによりで、読み聞かせも、もう読めるでしょと突き放さずに、まだまだ続けていいのだなと最近気がつきました。
長くなってすみません。
ミキさん、今後ともよろしくおつきあいお願いします!
江戸の母さん 投稿者:ミキ 投稿日:2010年 5月10日(月)15時37分33秒
>このゲーム主流のやり方で日本の小学生は、いつ 「1. Read.」の問題を解けるようになれるのだろうか?と、また余計な心配をしてしまっています。
日本にいると、親がこんなふうに周りに焦らせられてしまうのはわかります。でも本当に<余計な>心配なんですよね。息子にとってあの例文を理解するのは,日本の子供が「漢字入りで書かれた文をひらがな文に直す」程度の事なのです。そしてそれは息子の優れた能力なんて言うものではなくて,発祥元を同じとする言語を使っている子にとっては「あたりまえ」。日本語で生活している子供に同じ事を求めるのは酷ですし,全く意味が無く,失うものが大きすぎると思います。(媒介としての英語を手に入れても,媒介させるのもがなければ意味が無いのに。)
土曜日に知り合いの女性詩人の新著発表会(ホントにささやかなもの)があって、「やはり,日本語,日本語で書かれたものに,とても惹かれる」と言っていました。(私が日本人だから,特にそう言ったのかもしれませんが、、。)別なものの見方、感じ方,言葉の扱い方を知ってみたいそうです。俳句とか短歌が好きなんだそうです。私も詩では,短いものが好きです。短いからこそ研ぎすまされていて,膨大なイメージを引き連れてきてくれる、というか、、、。
子供達の,目には見えない心の成長(発酵?)を信じていけると良いですよね。その為にも,周りが「追いつけ,追い越せ」と煽らないでいてくれれば良いのに,と思います。
ミキさん 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 5月10日(月)23時38分9秒
>「漢字入りで書かれた文をひらがな文に直す」程度の事
>発祥元を同じとする言語を使っている子にとっては「あたりまえ」。
これを読んで、お~!と声に出してしまうほどびっくりしてしまいました。
日本語はあまりにも英語に遠く、いつかどこかで読みましたが、海辺で砂のお城を作っているかのような作業にも似た試練というか、虚しさがついてまわる気がします。
日本語を母語とする、しかも母語形成過程の子どもにとって、英語をやることって、ほんとどうなんでしょうね。改めて考えさせられました。「遊び」でいいんだという気もしてきました。
知り合いの女性詩人の方、イタリアの方なのでしょうか?日本語に魅力を感じているなんて、嬉しいですね(^^)
「子供達の,目には見えない心の成長(発酵?)」って、面白い表現ですね。とかく”この年齢でこのことまでを”と基準に合わせて子どもを測っちゃいがちですが、”後からでもできるようになる”を信じて、ゆっくり生き急がせないよう、注意します~。
さっき娘が母の日で摘んできた草花、これがしおれてしまってるのを見て、「なぜ、枯れちゃうの?」と言うので「花は根っこがないと育たないんだよ」と答えまして、あ~そうだなぁと。目立たないけれど、養分を吸っている根。根があるから花が咲く。咲き続けることができるのは根のおかげ。小学生の子どもって、見えない部分の根を育てる時期なのかもしれませんね~。
そういえば、萩原朔太郎ですが、何年か前に読んだのですが、子どもの頃、医者の父に連れられて、見たくない手術シーンを見せられたそうですよ。そのトラウマが詩にも現れているとか。確かに気持ち悪い印象もあって、そこがまた私は魅力なのですが。
音読と素読 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 5月12日(水)11時09分10秒
チョコさん
音読は「脳にいい」という説が普及した成果で、どこでも取り入れられているようですよね。でも、素読が広まらないのはなぜ?(>_<)
素読との違いは、音読は読むごとに理解を深めて表現していくことが要求されていくのではないかな。素読は、理解を押しつけない。ただ読むだけ。チョコさんが「観客」と書いていたのが示唆的で、音読はつきつめると「演技」を求められていくと思います。(このあたりは、前回の会議室でも話が出たのですが)経験値の少ない子どもに、その演技を期待するのは、どうなんだろ~。それよか、実際の経験を増やすほうがね、ほしいよな~と。
だから、手抜き読みをしてる子のほうがかえって素読になっているというか(^^)
また、楽しめるかどうかは、読む内容にもよりますよね。