「日本語素読」を見学をした方の感想
日本語素読レッスン見学の感想 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 4月24日(土)06時29分40秒
根石さん ももこさん、Tさん そしてお子さん方々
レッスン見学ではお邪魔しました。ありがとうございました。私も子どものように
どきどきして、心臓がときとき、思い出しては、口元がにこにこしたまま書いています。
だって、子どもたちの熱心でかわいい声。たまりません!子どもたち、ほんとうに
集中してますね。驚きました。ももこさんの感想にもあるように、楽しいというのが伝わってきます。
NHK「日本語であそぼ」でも、小さな子供たちが難しい日本語をそらんじている姿があり、これもまた当然かわいらしいのですが、これは完成された姿で、一言の踏み外しもあってはいけない。踏み外し無い状態でオンエアされてるのでしょうが、素読舎日本語レッスンは、まだ本当に歩き始めたばかりの子どもがよちよち歩いていく。踏み外しそうで、たおれそうで、不安定。それがだんだんすらすらと言えるようになるその過程がちょっと私も見ることができました。
根石さんが先に読んだ文が意味の取れていた時、お子さんが、ふっと息がもれて(笑っちゃう)のも、すごいなと思いました。「死」とか「ミサイル」という語を含む言葉は、言いづらいのかなとも。
いずれにしても、スカイプで音とテキストの文字だけをたよりの音読は、暗闇で音がひとつのろうそくの火のようで、なんの視的刺激の無い環境で、音をてがかりに、ものすごい想像が働くのじゃないかと思いました。私もききながらいろいろ考えちゃいました。子どもさんも初めて見る言葉、言う言葉も多いし、ものすご~くイメージがふくらんでいるんだろうな~。
全然とんちんかんな感想ですみません。このことを会議で話したいなと思ったんだけど、ぐっすり寝てしまいました。
ももこさんが紹介してくだったリンクから『安達忠夫』という方の「素読のすすめ」というのを入手してみました。これから読んでみますね。
追伸:日本語よちよち歩きの子どもたちがものすごくいとおしく感じられたので、これを英語にあてはめてみると、英語べろんべろんの根石さんからみて、私たち塾生のよちよち歩き(千鳥足の生徒さんもいらっしゃいますね(^^)もいとおしくてたまらないのかな?なんて思いました。
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 4月25日(日)01時50分1秒
>根石さん ももこさん、Tさん そしてお子さん方々
ももこさんのお子さんの相棒のお母さんは、フミさんです。Tさんのお子さんは、村田君のところで英語を習っています。
>素読舎日本語レッスンは、まだ本当に歩き始めたばかりの子どもがよちよち歩いていく。踏み外しそうで、たおれそうで、不安定。それがだんだんすらすらと言えるようになるその過程がちょっと私も見ることができました。
子供が文字を相手にし始めるのに適した年齢は、5,6歳だろうと考えています。谷川俊太郎さんの詩は、ひらがなばかりで書かれたものが多い一時期がありました。今、使っているテキストには、大人の読者を想定した漢字の多い詩も載っていますが、ひらがなばかりの詩が比較的多く載っているので、使うことにしました。
このテキストを使って、大人(私)が、大人のイントネーションで日本語を読みます。子供はそれを真似して言おうとしますが、大人と同じにはなりません。ですが、先に無機的に字を覚えさせ、字をひとつずつ拾って読ませる(学校がこれをやっています)のと違うのは、読み方において、「先に全体がある」ということだと思っています。
「先に全体がある」場合、子供の目が字を拾うスピードが、大人(私・コーチ)の読みのスピードに追いつかないことがあります。それでかまわない。字がたどれていなくても、大人と同じように言えればひとまずOKなんだと子供はレッスンを通じて知ります。薄くあるいは濃く霧がかかった「景色の全体」を見るような状態で、字を見ているだけでいいのです。次第に、少しずつ霧は薄くなっていきます。霧が晴れるまでの間に、子供は「割り出す」ことをやります。普通の大人の読み方を何度も真似ているうちに、ひらがなのひとつひとつを「割り出す」のです。
これは、字を覚えさせて、字を拾わせて読ませるやり方とはまったく別の方法です。字は子供の体にとっては暴力的なものです。字を覚えさせ、字を拾わせて読ませる方法は、この暴力性に非常に無自覚です。素読を原理とした方法は、まずは音によって「なじませる」のです。よくなじませて、子供が自分で「割り出す」ようになるのを待っています。
子供が字に出会い、字を身体化する時に、素読は最高の方法だと思います。
おそらく、すべての文化圏に広める価値のある方法だと思っています。
英語でもイヤリア語でも、何語でもいいですが、「書く言語」に堪能な方が、素読を広めるために書いて下さればいいのだがと思っています。英語の場合なら、私が書くものを英語圏の人たちが普通に読めるようにチェックをいれてくれる人が必要です。英語ネイティヴで、言語や語学に興味のある人が必要です。ただ英語が話せるから英会話の先生をやってる程度の人では駄目です。言語や語学に興味があり、素読を紹介する英文にチェックをいれて、やたらとんちんかんなものに直したりしない人である必要があります。最終的には、直しが入ったものを、私がチェックすることになります。
イタリアの子供がイタリア語をやる場合、中国の子供が中国語をやる場合、日本の子供が日本語をやる場合、アメリカの子供が英語をやる場合、どの場合にも素読は有効です。
ところが、日本では「日本の子供が日本語をやる」という言い方がなかなか通じないのです。わざわざ日本語なんかやらなくたって、うちの子は日本語を達者に話す。お見事というくらいに口応えだってする、というわけです。
こういうふうに簡単に考えてしまう人たちは、子供にとって、字を通じて出会う日本語は、テレビやおしゃべりや口応えの日本語とはまた別の種類の日本語なのだということがわからない人たちです。
たとえば、
そのどれひとつとして
わたしはたずさえてゆくことができない
せめてすきなうただけは
きこえていてはくれぬだろうか
わたしのほねのみみに
「たずさえてゆく」なんて言い方は、まず話し言葉では使いません。「私は遠足におやつをたずさえていった」なんてことは言いません。「持っていった」と言います。「きこえていてはくれぬだろうか」なんてことも話し言葉では言いません。「きこえていてくれないだろうか」と言います。
このあたりが、子供はとても言いにくいんです。そして、このいいにくい言い方をいいやすくしたとき、子供の感覚の地平が広がります。
しばらくの間は、ひらがなばかりのテキストを扱い、次の段階でわずかに漢字が混ざっているものをやります。この漢字は、文部科学省が小学校の各学年に割り振ったものには何の関係もなく、谷川俊太郎が詩の中で漢字にすべき必然を感じて使っているものです。
>いずれにしても、スカイプで音とテキストの文字だけをたよりの音読は、暗闇で音がひとつのろうそくの火のようで、なんの視的刺激の無い環境で、音をてがかりに、ものすごい想像が働くのじゃないかと思いました。私もききながらいろいろ考えちゃいました。子どもさんも初めて見る言葉、言う言葉も多いし、ものすご~くイメージがふくらんでいるんだろうな~。
イメージの動きは、人によってまちまちだろうと思っています。
でも、日本語の「口語体」の文の素読が、子供の想像力を刺激し、イメージ形成力を養うことはあるはずです。誰も数値的に検証できないだけだと考えています。
>ももこさんが紹介してくだったリンクから『安達忠夫』という方の「素読のすすめ」というのを入手してみました。これから読んでみますね。
時間がとれませんので、どんなことが書いてあったかご紹介下さい。
面白そうなら、私も読んでみます。
>追伸:日本語よちよち歩きの子どもたちがものすごくいとおしく感じられたので、これを英語にあてはめてみると、英語べろんべろんの根石さんからみて、私たち塾生のよちよち歩き(千鳥足の生徒さんもいらっしゃいますね(^^)もいとおしくてたまらないのかな?なんて思いました。
申し訳ありませんが、私はコーチであり、英語ネイティヴではありませんので、英語の生徒さんを「いとおしくてたまらない」と思うことはありません。助走はできるようにしたんだから、もういいかげんに本格的にやり出せよというようなことを思うことはあります。つまり、語学のコーチというのはとても不幸な意識を生きることを強いられます。
小学生相手に日本語の素読をやっていると、この不幸な意識から瞬時逃れることができます。書かなくてはならないものがあるときに、畑に行って草や土を相手にしているときに似ています。しばし逃れることができます。
日本語素読~こころは育っているのかな? 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 4月26日(月)04時32分13秒
根石さん、ハルさん、Tさん 失礼いたしました。
日本語素読の方法について、なるほどと読ませてもらいました。
>字を覚えさせ、字を拾わせて読ませる方法は、この暴力性に非常に無自覚です。
確かに、わが身のことを振り返るのはちょっと無理ですが、息子に対してはどうだったか?と思うと不幸な体験をさせちゃったのかなと感じました。ひらがな読めるね。次はじゃあこれが読めるはずというとらえていたな~と思います。大人が先に呼んであげて、後追いさせてというのもやったことないですね。
『暴力性』
これにやられてしまうと後遺症がでてきそうですね。その点「なじませる」素読というのは、逆に豊かな面を育ててくれそうですね。うちはどうかな?どうかなとちょっとひや汗かいています。
>わざわざ日本語なんかやらなくたって、うちの子は日本語を達者に話す。お見事というくらいに口応えだってする、というわけです。
DSだって、文字を読みながらちゃんとロールプレイングゲームを進められる。だから文字は読めている。という意見もありますよね。
安達忠夫「素読のすすめ」が、ハルさんがおすすめの本だったとは!まだぱらぱらとしか見てませんが、しょっぱな帯のところに「有機農法」が例えにあったので、思わず根石さんを思い出してしまいました。非常にそそられる内容ですね。明治期はもちろん海外でのことまでも含めていて読み応えあり。これから熟読します。
ただ『日本語の素読』は書いてありませんよね。
早速息子も「読んでみよう」のページをチャレンジしていました。千字文冒頭の音読みです。(強制したわけじゃないのに、子どもは声に出すのが楽しいんですね。)
「たずさえていく」のところ、確かに二人ともつっかえてましたね。
なじんだとき地平が広がっていくの説明も、納得です。私は金曜日の自分の感想で、音を聞いてイメージが広がっていくと受け止めたのですが、これは大人の感想になっちゃっていて、子どもさんたちはイメージ以前の、ことばの音とリズムを楽しんでいるのかもしれませんね。それがだんだん霧がはれて自分のたち位置がわかると、それぞれの景色が見えてくるのかな。
私、素読舎掲示板は、なんかいつも固いことを書いていて、とっつきにくいな~と感じて遠慮していたのですけども、いざ体験してみて、英語素読レッスンで、「体(口、腹筋)」をいい意味で壊され(解体され)、今、日本語素読に触れることができて今度は「頭」が壊されている気がします。へんてこな日本語ですみません。
江戸の母さん 学校の音読について投稿者:チョコ 投稿日:2010年 5月21日(金)13時25分44秒
学校で音読の宿題がでるようになって、半月ほど過ぎました。
毎日、週末も音読の宿題があって、予想通り次男(小1)は音読がいやになっているようです。
学校の音読のせいで、根石さんの素読がいやにならないように気をつける必要があると思っています。
小学生のほかのお子さんはどうなのでしょうか?
<後略>
音読は 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2010年 5月21日(金)15時09分31秒
>ちょこさんはじめまして。
小5、小1の男子二人の母です。
うちの場合、音読は読み聞かせ(教科書に限らず)の時間にしてます。
何の意味があるのかわからないので。
一度か二度くらいは教科書の読みを親がします。
そのくらい読めばたいてい子供たちは耳で覚えてしまうみたいです。
不真面目のススメ・・・なんて、だめでしょうか?
5年生のほうは最近はとっきどきは弟に絵本や弟の教科書を読み聞かせしたりしています。
可愛いです♪
日本語素読 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 5月23日(日)03時13分17秒
根石さん お母様方
金曜日レッスン見学ではありがとうございました。
娘が電源を切ってしまい、挨拶できずに退席してしまいすみませんでした。
娘も興味もつかな~とも思ったのですが、反応がイマイチだったので、もうちょっと経ってからのほうがいいかもと思いました。絵本読み聞かせは好きなんですけどね。
今後も私が日本語素読について学びたいので、邪魔にならないようにしますので、見学させてください。開始時間を7時半と思ってましたが、7時20分なのですね?もしお子さん方が気になるようなことがありましたら、なんなりと報告してください~~よろしくお願いします。
私のご近所さん&実子相手の日本語素読は進まず、相変わらずの手探り状態です。
「やろう」という落ち着いた時間が取れない、テキスト選択の問題と、年齢の問題、等など。まともにやろうとするとほんととんでもないことですね!”素人は手出しすべからず”というのも納得です。それでも、音読の楽しさ、国語の多様な世界をちょっとでも子どもと一緒にひもとけていったら、いいなぁなんて考えてます。国語の文献をあたると、もうほんとにどっから手をつけたよいのやら、迷宮いりものです。
先日村田さんのところの英語レッスン通塾生の方が小学生の頃から国語素読を平行してやっていることを聞いて、もう7年(かな?)英語と同時に積み重ねてきたその素読の内容を聞きまして、これはすごい財産だろうな~~と感動しました。そんな経験がもてるなんて、すばらしいなぁ。選択されたテキストも面白い。生徒さんにとっては、貴重な経験になってるだろうなと思いました。
根石さんには、また爆弾(?!)をくらっちゃうかもしれませんが、斉藤孝「声に出して読みたい日本語」を中古で入手しまして、参考にしています。
あとがきのところで日本の伝統的な文化で<腰ハラ(*漢字変換できませんでした。”月”偏に”土”です)文化と<息の文化>を紹介しています。
ちょっと引用します
「かつては腰を据えてハラを決めた力強さが、日本の生活や文化の隅々にまでいきわたっていた。腰はハラを中心として、自分の存在感をたしかに感じる身体文化が存在していた」
この腰ハラ文化は、息を深く吸い、朗々と声を出す息の文化により体の中心に息の道をつくるそうです。
ちょっと前の話題で吉さんが『肝』という言葉を使ってらしたのを思い出されたのですが、これは「ハラ」なので違うかもしれません。でも、月偏の単語同士ということで(^^) 言葉と体のつながりの重さを感じました。 根石さんとしては、斉藤氏につっこみどころが満載かもしれませんが・・・気を害してしまいましたらすみません。
私は自分のことで言いますと、日本語素読・音読の経験値は学校でも全然ありませんでしたが、(音読が取り入れられたのは、最近ですかね~)今、素読舎レッスンを受けるようになり、日本語と違う息の吐き方、舌の使い方等劇的に変わりましたし、「ん!変わった」を実感してます。まだ頭脳の”副作用”は書けるほどではないですが・・・
こう書いていて気がついたのですが、息子たちの英語(日本語)素読レッスンも、続けてきていて鍾乳洞のあのつらら(?)みたいに、確実に目に見えないなにかが積み重なって結晶になっていってるんでしょうね。本当に続けられて感謝しています。
チョコさん、学校の音読と素読舎の素読、これは確実に違うと思います。また、別に書きますね。
日本語素読見学 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 6月19日(土)02時36分33秒
今日はありがとうございました。下の娘が、子どもの声って、共鳴しちゃうんですかね?復唱したがって(いや、何行か一緒にやっていました(><))すみません。息子も途中からやってきて「あ、やってるんだ」と兄貴風をふかしてるような反応でした(^^)
私のために見学させてもらったのですが、おもいがけず、娘がやりたくてうずうずしているようです。まだ時期が早いかなとも思います。このあたりも、会議で相談したかったのですが。
日本語素読 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 6月20日(日)07時25分10秒
根石さん チョコさん
ありがとうございます。上の子の開始の時、ちょっと先にはじめていたゆっくり母さんのお子さんとの合流のことを思い出しました。ほんのちょっと先なのに、なかなか難しいのですよね。声が出るようになるのは、なかなか大変ですよね。日本語素読をやってほしいのは、上の子のほうなんですけどね。
娘も、前前回の見学の時も途中からそばにいたのですが、音を小さくしてテレビを見てました。でも、3人のお子さんの苗字をちゃんと覚えていて、ことあるごとに私に3人の名前を確認したり、何歳なんだろうね?○君は元気だったね。開きましたって、言ってたね。と言ってくるので、よく覚えているようです。日本語素読そのものよりも、3人の同世代の子がなんかやっている、声が聞こえてくるというのに激しくひきつけられているようです。
娘は5歳です。ただ、まだ子ども特有のきまぐれがあるので安定は期待できないところもあります。気持ちとしては名前を覚えた3人のお子さんと一緒にやりたいそうです。これは4人編成になるし、チョコさんちもますます抵抗ありますかね。
チョコさんちのお子さんと一緒にできたらいいですよね。皆さんの枠の調整もまたお願いすることとなりますが・・・ちなみに、希望時間で一番良いのは金曜日7時半以降、他なるべく週末です。安定して続けられるか、ちょっとまだわかりませんが、ご検討お願いします。
日本語素読見学の副作用? 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 7月 9日(金)01時47分21秒
明日の日本語素読見学もよろしくお願いします。
娘ですが、レッスンで何度か読んでいる
「かみはしろ かみはゆき かみはふゆ」という詩を
よく覚えているようで、突然暗誦しだしてびっくりします。
夕食でそうめんを食べているとき、「夏はそうめんだよね~」といったら
「なつはかみ」と言い出しておかしかったです。すかさず息子が
「意味わからない」っと、ツッコミをしていましたが、娘は言葉の
音とリズムを楽しんでいるんだなと思いました(^^)
見学が終わったあとも、私が適当に読み上げると
子どもたちはそろって、まねしたり(しなかったり)
てなことをやってます。
でも、うちは5歳違いの兄弟なんですが、
同じ年齢の頃を思い出しても、言葉に対する集中度と吸収度が
下の娘のほうが驚くほど強いな~と思います。お手紙ごっこも
今ブームですが、そもそも兄には、なかった文化ですね(><)
日本語素読見学感想 投稿者:江戸の母 投稿日:2010年 7月10日(土)04時39分10秒
参観させていただいて、ありがとうございました。雑音だしてすみません。
ももこさん
お子さんお大事に~~お耳が痛い中、よくがんばってましたね。そして自分で「調子が悪い」と根石さんにつたえられたのは、すごいなと思います。当たり前のことでしょうが、どうもそういうのがうちの場合、難しい。学ばせていただいております。
今日はテレビが見たいといって娘は帰ってこなかったのですが、最後のほうちょっと聞けて、終わったあと次のレッスン開始場所をこちらも開けまして、私が読み、子どもたちが読み、をいうのをちょっとやって、そのあと息子が「俺が読む」というので、リード役を息子、復唱を私と娘を2つ、3つやっていました。日本語素読を聞いた後にもたらされた効果というか、日本語素読が我が家を通り抜けた後の「余韻」がなせる技なのだろうなと思います。
詩を声に出して読むというのは、文字が読めるようになったら、急に忘れてしまったような気がします。(20歳頃、私は偶然にも詩を作る人たちと知り合えてへんてこな体験をしましたが。あとちょっと前に『詩のボクシング』もはやり(?)ましたよね)
詩は黙読するものというアタマが出来上がっていたのを、パリンと割られたような心地よさを感じます。子どもがいなかったらこういう経験できなかっただろうな~
S君も、さすがお兄ちゃんで、すらすら読めているなと思いました。地下鉄千代田線~のあたりも一生懸命読もうとしてましたよね!読んでいるとき、彼の中でイメージはどれくらい動いているのでしょうね。
騒がしくしてすみませんが、またよろしくお願いします。
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 7月11日(日)01時36分28秒
>そのあと息子が「俺が読む」というので、リード役を息子、復唱を私と娘を2つ、3つやっていました。
この組み合わせはいいですね。
続けてみて下さい。
そうすれば、私の小学生用英語教材とご家庭内日本語素読がリンクします。