お手紙無断掲載その他
根石吉久
まずは松岡さんに、原稿を長くお預かりしたまま、なかなか四号発行にこぎつけられなかったことのお詫びをしなければならない。気力がなく、しばらく「快
傑ハリマオ」に手をつけることができなかったが、少し体調が戻ったらすぐに、百姓仕事が忙しくなって、なかなか「ハリマオ」にとりかかれなかった。
お預かりした原稿は、「松岡祥男」が最高度に開かれている。批評の刃は、部落解放同盟という組織の心臓に寸分の狂いなく届いている。その原稿がいまだ読
者の手に渡らない。原稿を催促した張本人が体調を崩し、松岡さんにも読者にもご迷惑をおかけしてしまった。申し訳なく思っている。(畑に出て、体を動かし
ていたら、ようやく少し回復してきました。)
たくさんの一財産をいただいたご報告
以下は普段使っていない旧型パソコンに、以前打ち込んだものの転写だが、私がマメでないため、データ漏れなどあるかもしれません。もし漏れていた場合
は、「てめえ、俺が送ったのは一財産じゃねえってのかよ」とお叱り下さい。しっかりとお詫びいたします。
奈良 小川様 あっちこっちおそうじ手袋2、あっちこっちふきん5、あっちこっち食器ガラス拭き2、プーさんハンカチ、プーさんタオル、フェイスタオル、
バスタオル、ポケットティッシュ42包、デュポンホロフィルダクロンシュラフ3,オレンジ・ジュース・コーラ・乳酸飲料でできるヘラクレスオオカブトの成
虫・幼虫成型器GUMIX1
川中島町 浜田様 苺ジャム一瓶一財産。
千曲市西沢書店様 創刊号売上金として、一財産四百円。(売り上げ金まるごと。書店取り分なし)
高知県川村様 土佐文旦(山口農園)ダンボール一箱ぎっしり一財産。
東京 足助様(松岡さん経由) 一財産千円
大阪 垣口様(松岡さん経由) 一財産三百円
土佐松岡祥男様 創刊号発行後、一財産一万円、ビール大瓶6本。二号発行後、一財産一万円、京都三月書房売り上げ金一財産二千円。三号発行後、一財産九千
五百円。京都三月書房売上金(1)一財産千六百円。京都三月書房売上金(2)一財産千六百円。
東京たけ様 シルクエビス24缶一財産
長谷川博之様 一財産三千円。
東京江戸の母様 ビール大瓶6本その他各種書類一財産
新潟 高橋様 一財産三千円(二千円?忘失失礼)
石田様 一財産二千円(千円?忘失失礼)
戸倉町村田様、川中島町浜田様 千曲市根石吉久様 一財産マイナス約5千円。(ビール、北海道ジンギスカン)日頃の「ハリマオ」への協力のお礼。
千曲市根石吉久様 一財産マイナス約8千円(須坂温泉古城荘宿泊代金+ビール一本)ハリマオ4号編集作業へのお礼。
以上が、これまでのところの「漏れがあるかもしれない一財産プラスマイナス」のご報告だが、最後の千曲市根石吉久様というのは、「快傑ハリマオ」の発行
人の私であり、今この文を書いているご本人様の何様のつもりである。この文を書きつつある今日は、二千十年五月十一日なので、正確には、明日の朝、古城荘
をチェックアウトするときの出費になる予定。横領か。
「ハリマオ4号編集作業」というのは、古城荘にパソコンを持参して、温泉で体をほぐし、湯上がりに「コクと香りのおいしい麦茶、W焙煎、熱風+砂煎り」
を買って部屋に戻り、麦茶を飲みながら、こうしてだらだらと書いていることをさす。今年の百姓仕事のこと、お手紙無断掲載、編集後記などだらだら書いて、
「快傑ハリマオ」のページを埋めようという魂胆のことなのである。
古城荘への支払いは、8千円では済まないかもしれない。部屋は静かで、窓は山に向いている。午後から雨が降り続いている。明日は山の新緑がきれいだろ
う。だから、明日もう一泊しようかと、つい先ほど考えたのである。もう一泊するための費用は、ワタシの郵便局の口座(「スカイプでレッスン」代金受け取り
口座)から出せばいいので、「快傑ハリマオ」の一財産で泊まるのではない。監査は根石吉久氏に頼むのでご安心を通り越してのご不安をお察しするしかない。
そもそもワタクシは、「快傑ハリマオ」創刊号発刊当初から、会計報告はやる気がなく、いただいた一財産、出費等に関して、「だいたい〜円」「だいたい〜
個」としか認識しておらず、基礎データは書類を書き写したもの以外は、ことごとく「だいたい〜くらい」である。今日書いたものは、以前に書いたものの転写
で、それらしく見えるが、それでも会計報告にはならず、ご芳名録だと考えたい。考えていただきたい。考えましょう。
温泉に泊まって、自腹雑誌の記事を書いたりすることは、青年時代によくやり、中年時代にまったくやらず、老年時代の前半でまたやり始めたということにな
る。またやろうかなと思いついたのは昨夜のことだった。鋳物師屋村の協議員会や区政についての泥を吐いたことがきっかけではなかろうか。これについては、
今は触れたくない。内臓に悪いので、また何か言うとしたら、別の機会にすることにする。ひとまず鋳物師屋を離れたいと思って須坂にいる。
オリジナル農法など
百姓仕事が面白いのでやりすぎて疲れたことも、古城荘泊まりを考えたきっかけになっている。
百姓仕事と言っても、田で米を作ることはせず、もっぱら畑の土づくりだった。それを三十年以上やってきた。野菜は作らず、土だけ作ってきた。三十年以上
という時間のうちで、野菜や麦、芋などを収穫し始めたのは、ここ三年ほどのことである。
土づくりの初めの頃、土を深く掘り起こし、キノコクズと呼んでいるキノコ栽培後に出る細かい木のチップを大量に入れ、掘った土を埋め戻して畝を作った。
カモミールだけ植えたら、見事なものになった。カモミールの草丈が人の背丈ほどになった。特に何に使うわけでもなく、カモミールの花を眺めた。その後は、
畑のごく一部分でじゃがいもと韮を細々と作りつづけたくらいである。他に何をしていたかというと、畑を草ぼうぼうにしていた。土に埋めたキノコクズのせい
か、数年は毎年見事な草の畑になった。畑一面の草が人間の背丈をはるかに超えるほどに順調だった。畑に入って上を見れば空が見えるが、前や横を見ればジャ
ングル。畑を歩こうとすれば、平泳ぎするように草をかき分けなければ歩けなかった。何年かしたら肥切れしたのか、草丈の低いものが生えるようになったが、
やはり草ぼうぼうは続いた。自宅を自作していたから、畑を気にしながら、畑を畑らしくすることにはとうてい手が回らなかった。というか、今も私の畑は畑ら
しくない。
五、六年前にエンジンの刈り払い機を買った。畑の草を刈るのが楽になった。草刈りも大雑把にやっていた。他人から見れば、とうてい百姓をやっているとは
見えなかったはずだ。畑に草を生やし、それを刈り払い機で刈っていただけだから。
ある日、隣の畑のおやじさんと話をしたら、高校の山岳部の後輩の父親だということがわかった。後輩は農協に勤めているという。「まるで百姓をやりやがら
ねえんだ」とおやじさんは息子のことを言った。先日も、田植えを手でやるか農協の機械を使ってやるかでもめたばかりだと言う。おやじさんは手で田植えをし
たいが、息子は金を払って農協から人と機械を借りてやると言い対立したそうだ。「お前も、田や畑を自分で切り盛りしていかなければならなくなるから、よく
考えなければいけない」と親父さんは息子を諭した。息子は「俺の代になったら、田も畑もみんな売っ払ってやる」と言ったそうだ。その後で、おやじさんは私
の畑を見て、「こんなもんでもやらねえよりはましだ」と言った。
失敬な、とは言えない。その頃の私の畑は、そういうものだった。他人から「こんなもん」呼ばわりされても仕方がない状態だった。
自分のおやじから畑を借りるようになってから、農薬も化学肥料も一度も買ったことがない。ただ草を生やしていただけだから、以前に人に貸していた時に畑
に入った化学肥料や農薬は三十年の間にほぼ抜けただろう。私にとっては、それも土づくりだった。
数年前に、川口由一という人が書いた本を読んだ。「妙なる畑に立ちて」という書名だったような気がするが、手元にないので正確ではない。(家に帰ってみ
つかったら確認するが、すぐ見つかるとは思えない。)
川口由一は、農薬を大量に使う農業をやって体の調子をおかしくした人である。大量に使ったと著書にある。村の人たちに農薬の使い方を教えていたこともあ
るそうだ。草を生やし、草と一緒に野菜を育てるやり方に切り替えて、村の人たちから気違い扱いされた。川口のお母さんは、畑に草を生やすのはどうかやめて
くれと川口に頼んだそうだ。「こんなことをやっていたら恥ずかしくて村の中を歩けない」と。
私は、後輩のおやじさんから気違い扱いされたのではなく、畑を「こんなもん」呼ばわりされただけだから、川口よりはよっぽどましであるとしなければなら
ない。
直接の師弟関係はないらしいが、川口は福岡正信を自分の有機農法の先達と考えている。福岡も草を生やしたまま、草の中で野菜を育てた。福岡も家族ともめ
たらしい。というより、家族から干されたらしい。私も川口や福岡を知らなかった頃から、畑に草を生やしていた。盛大に生やしていた。川口や福岡と私が違う
のは、当時の私の畑の草の中に野菜が見あたらないことだろう。いくら探してもない。草しかないのだ。ないったら、ない。
川口や福岡のやり方をした場合、野菜より草の方が勢いがよければ、草が野菜を覆ってしまい、野菜に日光が当たらなくなる。だから川口は草を刈る。草を抜
かないで刈る。根元から刈るのではなく、野菜が覆われてしまわない程度に刈る。「なるべく刈らない」が基本だが、やむを得なければやむを得ない分だけ刈
る。昆虫などの小さな生き物やバクテリアを殺さず、むしろ、微細なもの、目に見えないものが作るバランスを維持するためである。
川口由一の本に、「草は刈ってその場に置く」とあった。私の畑はジャングル状態を経た後の状態だったから、川口を真似てやってみた。というか、自宅自作
で手が回らず、長く、草を刈り払い機で刈り払っていたから、自然に「草は刈ってその場に置く」ということになっていた。本を読む前からやってはいたのであ
る。三年ほど前から、それをもっと草丈の低いものを相手に継続してみた。採れないことはない。ぼつぼつとなら採れる。麦などは味がいいが、野菜などはまだ
それほどうまいと思わない。
川口の基本的な方針の一つに「持ち込まない、持ち出さない」というのがある。これは川口と福岡が違う点だ。「持ち込まない」というのは、基本的に畑に生
える草だけで土を作るということを言っている。だけど、人糞や米糠などは「おぎない」として持ち込んでいる。「持ち出さない」というのは、草や作物の収穫
部分以外の体を持ち出さず、畑に残すということだろう。厳密に「持ち出さない」ことをやれば、収穫することもできない。トマトやナスを家に持ち帰る(持ち
出す)こともできない。それじゃ「農」にならない。
川口は、山に肥料をやる者はいないのに、木は太るじゃないかと言う。なるほどと思う。しかし、私の畑で、牛蒡、人参などは採れなかった。ジャガイモは採
れた。私の畑は川口の方針と相性がいいはずだが、化学肥料や農薬を使ってきた人が、いきなり川口のやり方に切り替えたら、数年はひどい目にあうことは間違
いない。
川口のやり方の最大の欠点は、時間がかかるということである。畑ができるまでに、少なくとも五年、砂地では十年はかかるのではないか。数年はとにかくひ
どい目にあうから、若い人はやってみるといいと思う。もうすでに、日本の畑の土は十分に悪くなっているからだ。(草を生やした畑に目が慣れると、周りの畑
が砂漠に見える。)
三年ほど川口のやり方でやった畑に棒を刺し込んだ女房が、つい先日びっくりしていた。野菜はろくにとれなかった畑だが、棒が50センチほども簡単に土中
に入るところがあちこちにできているのである。通路は決めておき、通路だけ歩き、畝は踏まない。畝には刈った草を置き続けただけである。それを三年やった
ら土が軟らかくなったので、棒が簡単に深く入るようになった。それともあれは、うちの「循環液肥」のせいもあるのか。川口の手法を継続すべきかどうか迷っ
た。
川口や福岡のやり方にはないが、私が去年思いついたやり方がある。今年、畑の一部で始めて、「千曲川水系小墳群」とごたいそうな名前をつけた。「小墳」
は「古墳」の間違いではなく、草や木の枝などを集めた高さ五十センチほどの有機物の小さな山積みのことである。
畝の幅を一辺とした正方形くらいの小さな面積に、草や細い木の枝を置く場所を決める。そういう場所を、畝にいくつも作る。どこで草を刈っても抜いても、
近くの小墳の上に放ればいいようにする。これで、私は「草は刈ってその場に置く」という川口の方針の「その場に」ということからひとまず逃れる。
多数の小墳の他に、畑の隅に中墳も作ってある。これは、剪定枝やら河原の葦や茅などを積み上げた山だ。この山の裾をめくると、有機物が土に接した部分か
らこなれていくのがわかる。木の枝などは手で揉むとぼろぼろと崩れるようになる。そのこなれたものを小墳と小墳の間、作物を作る面へ「持ち込む」。持ち込
んで、土の上層部と混ぜる。川口は草を「その場に置く」だけだが、私はこなれた有機物を土の上層部に混ぜる。これはブラジル経由の有機農法をヒントに考え
ついたやり方である。
小墳や中墳には河原の葦や茅なども置く。庭の剪定枝なども、一年でこなれそうなものは畑に「持ち込」んで、小墳の上に載せる。何年もかかりそうなもの
は、中墳の上に放り投げ、乾いたら足で踏んづけてぼきぼき折る。
「千曲川水系小墳群」というのは、小さい堆肥の山をやたらに畑一面に点在させたものと言えば、わかりやすいだろうか。小墳づくりでは、畑の近所の草や木
の枝は「持ち込む」のである。台所から出る生ごみなども、小墳の頂上を少しかきわけて載せ、草などかぶせておく。
小墳と小墳の間で、まるで家庭菜園みたいに小さな面積に種まきや苗の植えつけをする。作物をつくる面のひとつ分は、小墳ひとつの面積と同じくらいであ
る。
うちの便所からつながっている発酵漕(日本バイオテクノ製)は優秀で、三日ほどで大便・小便を発酵させてしまうが、この発酵後の液も小墳や中墳にかけ、
雨の少ないときに小墳や中墳の内部を湿らせる。
発酵漕から蒸発散漕に集まる液体は水状になり、ほとんど臭わなくなる。軽トラックにタンクを積み、エンジンポンプで発酵済みの糞小便を汲み上げ、エンジ
ンポンプで畑や公園に撒くことをこれまでもときどきやっていた。公園の芝生に撒いても、畑に撒いても、それが三日前までの糞だと気づいた人は今までに誰も
いない。すでに糞小便そのものではなく、発酵の終わったものだから、糞小便と言ってはいけないのかもしれない。すでに転生しているのだから、もう糞小便と
はレベルが違う。うちでは一時「うんこ汁」などと言っていたが、今年あたりからはもっと近代的に「循環液肥」と呼ぶことにした。そうすると「うんこ汁」よ
りあやしげな語感があると私は感じるが、もっといい名前を思いつくまでの暫定案とする。
ごみを消却・溶融してできるスラグを路盤材にすることなどを、行政は「循環」などと言っているが、きたならしいことだと思う。汚染に向かっているもの
を、「循環」などと言っているのだ。うちの「循環液肥」の「循環」はそんなものではない。材料は糞小便だが、できた「循環液肥」は、川に流せば川がきれい
になる。だけど、もったいないので、川には流さない。今年からは小墳群ができているから、じかに畑に撒かず「小墳群」にしみ込ませてやればいい。
千曲川の河原からの草や小枝、台所からの生ごみ、ストーブで薪を焚いた灰、便所からの「循環液肥」は、すべて小墳群に分散され、畑に点在するようにな
る。小墳と小墳の間では野菜を育てるが、一年か二年野菜を作った後は、その場所が小墳の場所になる。小墳だったところは野菜を作る場所になる。つまり、小
墳と栽培面が交替する。
小墳の引っ越し時には、土に近いところでこなれた有機物を五センチほどの深さでごく浅く土に混ぜ込む。原型をとどめて固いままのものは隣にできる小墳の
上に放る。
川口由一が作った畑は、もっとも理想的な畑だ。しかし、あれは川口由一にしか作れない畑だと考えた方がいい。川口は省力的だと言うし、誰にでもできると
言っているが、私にはできない。私は川口よりはるかにずっとずぼらだし、私の畑は砂地で、雨や養分が抜けやすい。しかし、川口由一が「楽園」と呼ぶあの畑
のことを忘れることは決してないだろう。あれが私がめざすべき畑なのだ。
そこに至る途上での具体的な手法では、川口由一と同じようにすることはやめることにしたのだ。
川口由一は枝葉にあたるものを根本としてしまった。いや、川口由一がではない。川口の本を読んでそれを真似た私がだ。同じ言葉で言っているものが、川口
と私とでは似て非なるものだろう。もし作業が同じでも、それを適用する土質や季節が違ったら、結局違うのだ。川口には楽園が作れたのだ。どんな世界にも名
人上手という人がいる。川口が作った畑は、小さな畑が向かうべき理想の方位にある。それは今後も変わらないだろう。批判点は、川口が「楽園」
以後の手法を畑を作る手法にしたことにある。
掲示板「大風呂敷」で、ももこさんという英語の生徒さんが、ブラジル経由の有機農法のことを教えてくれた。「根石さんのやり方と似ている」とのことだっ
た。紹介してもらったホームページに「土は上から作れ」という言葉があった。このホームページから私が本当に受け止めたのはそれだし、それだけだ。有機農
法とか自然農とか自然農法とか言われてきたものも、「土は上から作れ」の一言でみんな言えてしまうではないかと思った。本当に言うべきことは「上から」と
いうことではないか。土の「中から」ではなく、「上から」である。
福岡でも川口でも、実はそうしてきた。土を上から作った人たちだ。しかし、それを言えていない。福岡も川口も言えていない。「草は刈ってその場に置く」
というような言い方をすると、人はその具体的な手法にとらわれてしまう。具体的な手法というものは根本ではない。川口の農作業の所作が映像化されると神事
の舞いのようになってしまうことを川口は食い止めることができなかった。
福岡も「人事を尽くして天命を待つ」とか「無為自然」という言葉以上のことは言えなかった。
「土は上から作れ」という「作れ」の部分だけでも、川口は違うと言うだろう。土は「作る」ものではないと言うだろう。土は「できる」のだと言うだろう。
人間はその準備をしたり手伝いをする脇役にすぎず、土は自分で勝手に「できる」ものだと。福岡もそう言うだろう。そして、そのことに関しては、川口や福岡
の言う通りなのだ。それが福岡の「タオ」であるし、川口の「自然」であり、彼らの根幹だ。それがなければ、彼らの畑に私が興味をいだき続けてきたはずもな
いのだ。
しかし今の私にとって、ポイントは「作る」なのか「できる」なのかではない。私自身は、土は「できる」ものだと思っているが、準備したり手伝ったりする
ことを「作る」作業だと言ってもさしつかえはない。重要なのは「土は上から」の「上から」ではないか。福岡でも川口でもそうしてきたではないか。そして、
それを言えなかったではないか。そして、それだけが有機農法やら自然農やら自然農法のこれからにとって根幹にあるべきものではないか。雨が「上から」降
る。雨は「上から」下に向かって土にしみる。元はそのことだ。それがなければ微生物は生きられないという意味で根幹である。
調べてみたわけではないが、私はホームページで読んだものを「ブラジル経由」だと思っている。「ブラジル発」ではないと思っている。福岡の「タオ」や川
口の「自然」がブラジルを経由して、福岡や川口の胸元へ戻ってきたのだと思っている。(福岡は亡くなってしまったが・・・)ブラジル経由で彼らの胸元へ突
きつけられているのだと思う。なぜ肝心要のことを言わなかったのだ、「上から」という肝心要のことを。肝心なことは、「草は刈ってその場に置く」というよ
うな手法じゃない。
余談だが福岡は大百姓だ。小百姓にはあの感覚はない。福岡はゆったりしており、川口のように先鋭的にはならない。木を切り倒して荒れ地に丸太を敷き詰め
て放っておけば、三十年か四十年すれば畑になるだろうというようなことを考える人である。小百姓はまずそんなことは考えつかない。福岡は百姓としては上層
の人であり、お偉方との人脈もあるらしい。著書の中に、何かのパーティで、農協のお偉方が福岡のところにやってきて、「福岡さん、あんたがあんなことを
言ってもらっちゃ困る」と言ったというようなことが書いてあった。「あんた」というのは、上層の大百姓のあんたということであり、「あんなこと」というの
は、農薬も化学肥料も要らないということだ。
福岡に較べてという意味でだが、川口は小百姓である。その感覚の狭さまで含めた上で、私は川口に親近感をもってきた。私が小百姓の出だからだ。その分だ
け、川口に対して批判点も持っていて、それはここまでの文章に反映しているだろう。
宿屋に泊まると百姓仕事ができない。だから、百姓仕事をすることをあきらめることができる。そのおかげで、川口、福岡という先達のことを少し書くことが
できた。ブラジル経由の有機農法については、今後もう少し調べてみようと思う。これはとば口だと思う。
というところまで、須坂の古城荘で書いた。結局二晩泊まることにして、今は午後。窓から山の新緑を見た。風が吹き、新緑が揺れた。風に応じて動く木の
緑。あそこに「古代」があると思った。そう思ったのはどういうことなのか自分でもよくわかっていない。
今は深夜。「お手紙無断掲載」をやろうと思い、大型の紙封筒を二つ持ってきてあったが、古城荘では手をつけられなかった。これ以降は、帰宅して仕事机の
上で継続することにする。
お手紙無断掲載
お手紙やファックスは、仕事部屋の引き出しの一つにどんどん放り込む。途中で掻き回して読む必要のあるときがあり、順不同になってしまう。したがって、
ここに掲載するものも順不同である。3号に掲載したものとは重複しないようにしたいが、すでに掲載したものより以前のものが混じるかもしれない。また、改
行をせず詰めることがある。
秋の農繁期でお忙しいことと思います。そちらを優先してください。雑誌みたいなものは暇を使ってやれば、ちょうどいいのだと思います。
では、また。お元気で。2009・10・5 松岡祥男拝
根石吉久様 「快傑ハリマオ」全30冊分としまして、金、一冊100円として、カンパさせて下さい。今回はありがとうございました。 長谷川博之
前略 こちらこそ、たいへん遅くなりまして申しわけありません。重ね々々おわび申し上げます。いくら送ったらいいのか、ずっと考えていまして結局このく
らいのところに落ち着きました。少ないですが、とりあえず2号か3号分というところでお願いします。ところで2号は出たのでしょうか。ぜひ続けて下さい。
それでじかにお金を同封しました。郵便局が遠くてなかなか行けないのです。それでこういうことになりました。
そちらの寒さはどうでしょうか。こちらは例年より暖かいとはいえだいぶ冬に近づいてきました。遠くの山々の頂は雪で白くなっています。
鋳物師屋という地名も何か由緒ありそうですね。湯元はお察しのとおり、近くに温泉がわき出ています。それでわが家も毎日温泉に入っています。この間少し
行った山道で仔熊を見ました。そんなところです。お忙しいと思いますので、ご返事は不要です。
では以上、よろしくお願い致します。
09.11.29 早々
(新潟T様)
まだ山は白くなりませんが、こちらもかなり寒くなってきております。毎日、薪ストーブに火を焚いています。
お手紙を読ませていただいたら、お金が同封されており、どきどき致しました。申し訳ありません。
私から松岡さんに120部さしあげています。松岡さんが「吉本隆明資料集」を送るのに使っているメール便の送料を増やさずに同封できるということで、松
岡さんから「資料集」の読者に一部ずつ送付されていると思います。松岡さんからのプレゼントだと思っていただけばいいと思います。
2号はもう出ておりますが、今回、「資料集」の発行に「ハリマオ」の発行が間に合いませんでした。次回の送付時に2号が一部お手元に届くものと思います
が、こちらから創刊号と2号を各3部送らせていただきます。もし多すぎるようでしたらおっしゃって下さい。もっと必要ならそれもおっしゃって下さい。読ん
でくれそうなご近所の友達に手渡していただけたらうれしく思います。
昔、「月刊ヘルニア」という雑誌をやって「定価・一財産」としたことがありました。読者が、図書券、ビール券など送ってくれました。ふざけて「一財産」
としたのでしたが、ビール券などはありがたく使わせていただきました。
この文庫本はいいんだが、たまたま二冊手に入っちゃったから一冊送ってやろうかとか、「一財産」という表記は、その程度に気楽にお受け取り下さると幸い
です。
鋳物師屋という地名についてはよくわかりません。生まれたのは隣の中という村です。親が鋳物師屋に田を持っていたので、自分で埋め立て家を自作しまし
た。こちらにおいでの時はお寄り下さい。 根石吉久
前略 「快傑ハリマオ」ありがとうございます。2号おもしろく読みました。けっこう順調に出ていますね。この調子で続けていって下さい。なお3部は
ちょっと多いかなと思うので、2部でお願いしたいのですが、よろしく。
いきなり現金を送りつけたりしてすみませんでした。図書券とかビール券とか、そういう手があったのですね。今度からよく考えておきます。宝くじというの
もありますね。
寒さにむかう折、お体に気をつけてお過ごし下さい。
では又、お元気で。 草々 (新潟T様)
高知・Kさんへ. 文旦をダンボール一箱送ってもらったお礼状(ハガキ)
文旦、たくさんありがとうございます。
「ハリマオ」編集室へいただいた一財産として、版下をやってくれている村田君その他の人々にもわけます。
しかし、昨年秋お世話になり、私の方から何もお送りしてないので、恐縮もいたしました。恐縮しながらいただきましたが、うまいです。ありがとうございま
した。
根石吉久
田中エリスさんの掲示板に投稿
ホームページのどこかにメールアドレスがあったはずだと思い、探しているのですがみつかりません。メールを書いてから、アドレスを探していて、ついつい
面白いので読んでしまい、そして、いまだメールが出せないままです。キケンですが、当方の連絡先を書いて、投稿させていただきます。
田中エリス様
はじめまして。根石吉久というじいさんです。
「ワンレグとなんとかとスパンコールが好きなんでしょ。ねえおじさん。」という文を今日、ネットの写真集を見ていて読ませていただきました。コピーが禁
止されているので、「なんとか」とか記憶に頼って書いており申し訳ありません。
で、多分、全部好きだと思います。しかし、ワンレグっていうのは聞いたことがある程度、スパンコールって何だ?わけわからんというじいさんです。人に聞
いてもすぐに忘れてしまいます。
あ、そうだ。私、midnight press
っていう詩の雑誌でご一緒させてもらったことがあります。そのせつは、ご挨拶も申し上げず失礼致しました。最近、松岡祥男さんと話して、「田中エリスさん
は面白い」ってことで意見が一致しました。
最近あまり金をかけずに、雑誌を始めました。松岡さんに書いていただいています。「快傑ハリマオ」という薄い雑誌です。自分で印刷しています。そこへ田
中さんに書いてもらえないだろうかと思っています。特に書かれる短歌に私は目をつけています。短歌だけ印刷されるのはお嫌いでしょうか。これまでに書かれ
た短歌を十首くらいずつ掲載させていただくことでもかまいませんので、印刷させていただけませんでしょうか。
もちろん、活きのよい現代詩が穫れればうれしいです。
原稿料はS太郎さんほど高くなく、インコ一羽より安くないそうですが、S太郎さんは日本で一番高いあのS太郎さんでしょうか。ふうむ。
しかしまた、私はビンボーですのでお金が払えません。百姓をしていますので、ときどき野菜などお送りするくらいの稿料になります。流通を通っていないご
く小さな雑誌です。こんな変な依頼はソク却下されるかもしれないと覚悟したうえで書かせていただいております。
「快傑ハリマオ」は、これまでわずか2号出ただけですが、書いていただける可能性がありましたら、メールにご返信いただけると幸甚。雑誌をお送りして見
ていただきたいので、ご住所もお願い致します。
387・0015長野県千曲市鋳物師屋642・3
根石吉久
根石吉久様
はじめまして、こんばんは。田中エリスです。昨年末に私の掲示板にお手紙を頂きながらお返事が遅くなり、大変失礼致しました。ごめんなさい!
素敵な書き込みとご依頼を、どうもありがとうございました。私の短歌や詩などでよろしかったら、ぜひぜひ書かせて下さいませ!
ご返信をしないままでしたので、いきなりご信頼を失ったかたちになったと思います。申し訳ありません。けれども、もし書かせていただけるなら締め切りは守
ります。原稿料などは、恐れ入ります、いただけません。書かせて頂くだけで十分でございます。
もし、「快傑ハリマオ」を送って頂けるなら、こちらの住所にお願い致します。
〒・・・−・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
お手数をお掛け致します。どうぞよろしくお願い致します。
田中エリス
田中エリス様
掲示板に書かせていただいてから、しばらくお返事がいただけなかったので、こりゃ、フラレタナと思っておりました。
ただいま、「快傑ハリマオ」の編集中で、ひょっとしてと思い、普段開かない infoseek
の受信箱を開いてみましたら、エリス様からメールをいただいているのを発見しました。お互いに、およそネット時代とは思えない、ゆっくりしたやりとりで、
いいリズムだと思い、そちらもなんだかうれしくなりました。読んだのが遅れたのをお詫びしなければいけない場面なのですが・・・。
書いていただけるとのこと、ありがとうございます。4号には間に合いませんが、5号にお願いしたいと思っています。短歌でも詩でも結構です。
締め切りは、4号が発行されて、1ヶ月か2ヶ月後くらいです。4号が出ましたら、ゆっくりととりかかっていただければと思います。
明日、「快傑ハリマオ」3号までお送り致します。
以上です。よろしくお願い申し上げます。 根石吉久
(註)田中エリスさんに原稿をいただけないかと書いたのが昨年の12月10日、メールでご返事をいただいたのが、今年の4月5日。その返信メールに気づい
たのが、一ヶ月半後の5月17日(ついさっき)。その間、松岡さんとのファックスのやりとりで、松岡さんは、田中さんは結婚されたのかもしれない、詩なん
か書くより幸せな結婚生活をしている方がいいことだと言われましたが、田中さんから書いてくださるとのお返事で、じいさんはいきなり舞い上がり、急遽、田
中さんのメールを無断掲載した。怒られるかも。原稿料のことなど、まずいかなあ。ぎりぎり大丈夫じゃないかなあ。春大根二本で勘弁してもらえないかな。
読者諸兄諸姉、5号に乞うご期待。
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