寄り道しながら松岡さんに会いに行く
根石吉久
女房が土佐で同級会があると言った。一緒に行かないかというので、「快傑ハリマオ」に書いてもらっている松岡さんと飲みたいと思った。軽のミニバンでほぼ十日車中泊、基本的に自炊、なるべく高速道路を使わないという方針にした。この方針なら、普段の生活費より余計にかかるのは、ガソリン代だけということになる。ナビが安くなったので、ネットで三万円弱で購入。畑でとれたジャガイモ、コムギ粉、タマネギ等を段ボール箱に入れて積む。
9月15日午後、ガソリンスタンドでガソリン満タン、オイル交換、タイヤ空気圧点検。聖高原を登る。高速道路を安く走る場合はETCカードが必要だが、即日発行は川中島の西友ではやっていない。松本パルコへ寄る。二十分ほどでカード入手。ETC車載器は大阪あたりで買うことを予定し、ナビに伊勢神宮を設定して走り出す。ツタヤでキャベツ等買い諏訪湖へ。途中で夕方になる。蚊取り線香が入っていた缶の下部に穴をあけたものに着火剤と炭を入れてお好み焼きを焼く。火力が出ない。缶を二つ重ねて二段式にし、炭を入れる上の缶の底に穴を開ければよかった。食べ終わるまでに三時間以上かかる。食後コーヒー。諏訪湖を渡ってくる風が冷たい。道具類はダンボールにどかどか入れるだけ。五分程度で片付け終了。走り出す。十九号、塩尻から木曽路。見るものは、信号、交通標識、前を行く車と後続の車、夜の道。それをずっと見ているだけ。事故の多そうな道。いくら時間がたっても同じことが続く。信号待ち、発車、カーブ、減速、ハンドルにかかる重さ、微調整。同じことが続く。運転がひとつあるだけ。この経験は層にならない。層になるのは疲れだけだ。出会う車、追い越していく車はトラックが圧倒的に多い。運転している人たちは、こうして夜中にずっと運転だけしているのだ。
車の中で16日になる。名古屋市内を抜けたのは午前一時頃か。ナビの言う通りに走ると都市部を抜けるのは楽。四日市への道が狭く車が増える。他の車がスピードを出すので気が抜けない。狭苦しい道でよくもこんなスピートを出すものだ。四日市で停車。港の方にある巨大な工場を見る。満艦飾の無数のライト。ライトにラブホテルか遊園地の看板を混ぜれば、その気になってそっちに向かう車もあるはずだ。なぜ満艦飾になるほどのライトが必要なのかわからない。満艦飾の工場は大きなものが二つあった。広い範囲にわたって工場が続く光景を予想していたが、停車したところから見えたのは港の方の巨大な工場だけ。小さな工場がたくさんあるのかどうか、夜のせいでわからない。煙突はそれほど見当たらない。異臭を予想していたが異臭もない。港の方へ行く。車の窓を開けて走る。化学工場の近くで少し異臭があった。港沿いに走り、ファミレスでビールと鯖の味噌煮。運転を女房と交替。津で再び海へ向かう。海のそばの道ばたに軽自動車が駐められる程度の空き地をみつけ駐車。段ボールの箱に入ったものを全部車の外へ。ダンボール箱を解体し車の窓の形に切っておいたものを車の内側からガムテープで窓に張る。ダンボールの板は、冷え込み防止と外部からの視線遮断のため。昼近くまで寝る普段のリズムをなるべく確保するのに、朝の太陽光を遮るのにもいい。床にもダンボールの板を一面に敷き、塾で使っている長座布団を三枚並べ、その上にさらに三枚並べて二重にし、毛布をシーツ代わりにしてある。上掛けは毛布と薄い布団。枕は普段使っているもの。頭から脚の先までまっすぐにして寝てもまだ少し余裕がある。車で寝るのは初めてだが、寝心地はまずまず。女房と二人なので横が狭いが、寝返りは楽にうてる。だけど眠れない。木曽路、名古屋抜け、名古屋から四日市までの狭い道路で神経が立ってしまっている。酒を飲むが眠れないまま明るくなる。車のドアをあけてみたら、海がすぐそこにあった。波の音がしないからもっと離れているものと思っていた。奥村さんの家もこんなおだやかな海に面していたのかもしれない。酔っぱらって海岸を歩く。伊勢湾の夜明け。女房が貝殻を拾う。家へ持って帰るつもりで大量に集めたので、半分以下に厳選させる。車を駐めたところは海岸に沿った道の脇だが、通勤の車がしょっちゅう走る。ここじゃ眠れない。ナビで最寄りの道の駅を探し茶倉をみつける。天気がよく暑い。だらだら走る。眠い眼で松坂牛の看板を見る。道の駅・茶倉は山の中。駐車場の日陰に駐車。車の窓にまた段ボール板を張り、横になる。じきに寝入った。汗をかいて起きたら昼過ぎ。道の駅で、伊勢うどん、コーヒー。伊勢うどんは、うどんを茹でた湯をこぼし、強めの味のたれをかけて食う。熊野三社に行くつもりだが、熊野三社のそれぞれの神社の正式名わからず、ナビで設定できない。伊勢神宮を設定したままになっている。道の駅で無料の地図、観光パンフレット等入手。そこにも熊野三社の名前が出ていない。パンフレットに手作り豆腐の店が出ていたので、電話番号を入力し立ち寄り先として設定。ナビの言う通り走っていたら、豆腐屋を無視して伊勢神宮に出た。豆腐屋の設定を確定しなかったらしい。豆腐を食いそびれる。有料駐車場に車を駐めた直後に無料駐車場をみつけ、二時間五百円の使い道を考える。伊勢神宮より先におかげ横町を歩くことにする。秋刀魚の押し寿司買い、川に出て食う。うまい。おかげ横町に戻り、イカ棒、タコ棒、フカのしゅうまい食う。揚げ物も油臭くなくうまい。なんで伊勢神宮の近くには揚げ物屋が多いのか。赤福本店で赤福とお茶のセット。薬局の薬の名前を染めた旗の林立を写真に撮る。車を有料駐車場から無料駐車場に移し、伊勢神宮に入る。よく手入れされた巨大な庭。二十分ほど歩いて社殿の手前に出る。門が閉まっていて社殿が見えない。巨大な庭を歩いて帰る。つまり庭を見ただけ。松は普通の大きさだが、みんな盆栽風の松。チャボがいた。夕暮れで、無料駐車場には、もうあまり車がない。行き先を道の駅・伊勢志摩にして走り出す。蚊取り線香が入っていた缶を焜炉にするのを失敗したので、レジャー用のガス焜炉を買うつもりで車を走らせるがそれらしい店がない。多分あるのだろうが、長野にあるものとチェーン店の名前が違うので、買えるはずのガス焜炉の近くを走破してしまっているのだろう。コンビニでガス焜炉を売っていそうなホームセンターの名前を聞く。コメリが近くにあるという。コメリなら長野にもある。コメリの看板が現れるのを待ちながら走るが現れない。その土地に住んでいる人が道の説明する場合、その人にとってわかりきったことを端折るのでわかりにくくなることがある。土地に対して意識の「さわり」が違うのだ。伊勢のあたりは高い山ではないが山が多い。どこか違う道へ入ったらしく、コメリはやはりみつからない。暗くなる。コメリをあきらめた頃、道の駅・伊勢志摩へ着く。女房がお湯に入りたいと言う。カーナビで最寄りの温泉を探す。浜の字がつく名前の温泉(名前忘失)へ向かう。傾斜のゆるい山道を登ったり下ったり。下ったところに、入り組んだ海岸が現れる。海岸沿いに走り、人に?浜温泉の名を言うが、そんなものはないと言う。ホテルで一浴可能なところはあると言う。そこへ向かう。ホテルの駐車場に?浜温泉の名前があった。?浜温泉という名前は観光客やカーナビ向けで、土地の人はそんな名前では呼んでいないということだろう。ホテルのフロントで一浴はやっていないと言われる。地元の情報もあまりあてにならない。フロントで紫光という別のホテルを紹介される。紫光は、さらに大きなホテルで、一浴八百円。断る。どこか他にもあるだろうと考え、道の駅・伊勢志摩車泊の予定を捨て、カーナビに道の駅・紀伊長島マンボウを設定し走り出す。しばらくずっと、いくつもの漁村の脇を辿る。昼間ゆっくりと、漁村の中の道を走りたいが、時々木の間から見える人家の灯りを見て通り過ぎるだけ。ときどききつい傾斜もある。一浴可能な温泉施設はたいてい八時から十時くらいで閉まるはずだ。そろそろもうどこも閉まる時刻だが、小さな旅館で一浴させてくれるところがあるかもしれない。道ばたに旅館の名前を書いた看板をみつけ電話する。湯船から湯を落とした後だとのこと。今日はあきらめるしかないかもしれない。普段、二百円の亀の湯(上山田)に入っているので、一浴八百円と言われると目の玉が飛び出す。許せないと思う。これまでの経験では、八百円の温泉と二百円の温泉では、まず間違いなく二百円の温泉の方が湯質がいい。建物が古くて小さくても湯質がいい。いつものように二百円、三百円程度のお湯を探す。二百円の温泉を探すのに、ガソリン代千円以上かかるのはかまわない。一浴八百円のお湯はお湯に入っていて気持ちがむしゃくしゃする。そんなメに会わされる必要はない。逃げるに如かず。海岸を外れ、単調な林の中を走る。人家が現れない。田んぼも畑もない。追い越す車もない。林が続く。ときどきカラオケスナックがある。人は林の中に住んでいて、カラオケをやりに道沿いのスナックに来るのだろうか。スナックに入る。客が五人いた。ママにこのあたりに温泉はないかと聞く。ないとの返事。生ビールを飲む。温泉をあきらめ、店を出る。運転交替。登りの急坂で女房がセンターラインを踏むので、右へ寄るなと怒鳴る。登りの急坂は対向車にとっては下りの急坂だ。向こうがセンターラインを踏み越す可能性の大きい場所で、こちらがセンターラインを踏むのが解せない。女房の運転で車に乗ることはあるが、普段は平らな道なので、こんな悪い癖のある女だとは気づかなかった。運転を交替する。夜道のせいか道が長い。コンビニの一軒もない。人家もない。相変わらず林の中の単調な道が続く。飽き飽きした頃、国道に出てまもなく長島マンボウ。みそ汁、塩尻で買った鯵の焼き魚。女房は昼間買ったパンとおにぎりも食う。黙々と食っている。午後、おかげ横町で揚げ物や赤福を食ったせいか、女房を怒鳴ったせいか、二日風呂に入らないせいか、寝不足のせいか、伊勢神宮社殿直前閉門のせいか、腹が減らない。蚊取り線香の缶焜炉は相変わらず火力が出ない。面白くない。そもそも面白くないことの最初は、ホテルの一浴八百円だった。ふざけやがって。ふて寝状態で寝入る。
17日、10時頃起きる。自動販売機でコーヒーを買ってきて、ぼんやり椅子に座っていたら昼になる。すぐ作って食べる気にならない。道の駅の食堂でうどん。やはり、普段より出費は多くなる。マンボウの肉を使ったかき揚げが乗っている。マンボウの肉は歯触りがおもしろい。肉が特にうまいというのではない。ソフトクリームとコーヒーを頼み、店の外のテーブルで煙草。売店で金山寺味噌買う。昨夜、お湯に入ろうと思って入れなかったので、今日の予定はまずお湯に入ること。道の駅のチラシに古里温泉というのがあったのでそこに向かう。姿のいい湾が見えたところで、カーナビが湾の方へ降りることを指示した。海を見ながら温泉につかれるのかと思ったがそうではなかった。古里温泉入湯料500円。循環だが湯質はいい。客は地元の人が多い。地元の人には海なんか珍しくないから、海が見えないところに湯船を設置したのか。海が望めて湯質がよければ、観光客が来すぎるので眺望を削ったのか。湯をポンプアップしているのだったら、もう10メートルもポンプアップすれば、浴室から姿のいい湾が見えるはずだ。もったいない。浴室もあちこちを見てきた大工のつぎはぎだらけの内装でめちゃくちゃ。一時間半ほどで湯から出て、テレビのある休憩室でアイスクリームとお茶。さっぱりした。カーナビを道の駅・きのくにに設定。途中、立ち寄ったホームセンターでガスのキャンプ用焜炉ようやくみつける。予備を考え、ガスボンベ二つ買う。他に、ガムテープ、デジカメ用とヘッドライト用に単三と単四の乾電池買いまた走る。郵便局の標識があったので、国道から枝道へ。途中、スーパーで大根用おろし金、フライパン、アルミの風よけ、たわし買う。他に、柿、油揚げ、焼きそば、薩摩揚げ、キャベツ、牛肉、パン、ヨールグルト買う。郵便局で金を4万5千円おろす。また走る。熊野古道という看板がやたらに現れるようになる。熊野権現へ行くための古い道を保存したものらしいが、道の駅で手に入れた地図には肝心の熊野権現が載っていない。熊野古道はやたらにいくつも載っている。熊野権現を地図に載せず、熊野古道ばかり載せているのは、世界遺産指定のおこぼれにあずかろうとする周辺の市町村の思惑だろう。肝心の本宮を載せておかなければ、その周辺で観光客の足を止められる。馬越峠へ通じる古道というのを歩いてみる。ひとかかえもあるくらいの平らな岩を敷いてある。三人くらい横になって歩けるくらい広い。斜面に石が敷いてあるので、段差が多い。30分も歩いた頃、すぐ先で何かが動いた。近づくとマムシだった。敷いてある岩の上でゆるいとぐろを巻いているのは、その形で休んでいたのか。動いたのは人が近づくのを感知してとぐろになり、攻撃に移れる態勢をとろうとしたのか。気づかずに歩いていたら、噛まれていたかもしれない。段差の多い道だから、足元に近いところを見ていたので、視野の隅でまむしが動くのがわかったのだ。サンダル履きで出かけてきて、サンダルのまま山道を登っていた。足を止め、マムシだと言っても女房には見えないらしい。麓で借りてきた杖で見るべき方向を示すが見えないらしい。背丈ほどの杖の先をマムシのすぐそばまで近づけたらようやく女房にも見えた。マムシは古道の整備に使っている自然石の色によく似た色だ。杖の先を少しずつ押すようにすると、マムシはようやく向こうの方へ少し逃げた。もっと速く杖を動かせば杖に噛みつくかもしれない。下りよう下りようと女房が言うので、マムシを放置して下山する。もったいない気もする。マムシの捕まえ方を知っていれば、捕まえてマムシ酒を作れる。一本の棒に噛みつかせて、もう一本の棒で頭を潰すっていうのは駄目なのかと考えながら、足元をよく見て歩く。マムシが歯を使えなくすればいいのだと考える。スッポンが噛みついたら雷が鳴るまで離さないと言われるくらい、スッポンは噛みついたものに執着する。鯉釣りの外道でスッポンが釣れたのを調理するとき、スッポンに手ぬぐいを噛ませたことがある。噂通り、スッポンは噛みついたまま離さない。スッポンの背中をつかんで、手ぬぐいを引っ張ると、スッポンは執着してますます手ぬぐいに囓りつく。手ぬぐいの端をまな板の下にたくしこんで、首が長くにゅっと出たところを出刃で叩き頭を転がした。生血を飲むという話を聞いたことがあるので、頭のない首から出る血をコップに落として飲んでみた。うまくもまずくもなかった。生き物の血の味がしただけだった。スッポンは煮て食った。頭も手ぬぐいから外して煮た。煮るとスッポンはうまい。マムシも執着心が強ければいい。執着心が強ければ、棒二本で始末がつけられる。「熊野のマムシ酒」などというブランドがあるのかどうか知らないが、あれば飲みたい。なにしろ熊野のマムシだからな、と言いながら冬に炬燵でマムシ酒が飲めるはずだ。しかし、マムシに執着心がなければいけない。棒に囓りついた後、人間の足が動けば、棒をやめて足にするというような臨機応変をやるようだと対策は別になる。マムシの習性がわからないので、手出ししないで放置してきた。こんなに登ったのかと思うほど下りが長い。ようやく車まで戻り、すべての古道を無視して道の駅・熊野きのくにまで走る。熊野きのくにで、洗濯板(実用予定)、鰻を獲るためのウケ(ディスプレイ用)、木のカブトムシのおもちゃ(孫のおみやげ)など買う。買い物したら夕方。女房が煙草がないというから、熊野市まで行く。スーパーで煙草入手。酒が残り少なくなっているのを思い出し、道の駅近くの村の酒屋へ。三畳くらいの小さな店だが、ウイスキーはウイスキー、ワインはワイン、日本酒は日本酒と一応グループ分けして棚に置いてある。店のおばちゃんが、「ここらには何もない」としきりに言う。買い物には熊野市まで行くと言う。熊野市まで行けば何でもあると言う。こちらはひとまず酒さえ手に入ればいい。ウイスキーのグループの中に十センチくらいの小型のワインボトルみたいなのがあった。「これワインですよね」と言うと「ワインじゃないよ、ウイスキーだよ」とおばちゃんが言った。輸入物らしく横文字が書いてある。スペイン語らしい。「これください」と言うが、おばちゃんは瓶をくるくる回して「値段がわからない」と言う。ひっくりかえして底まで見ている。おばちゃんは「三百円でええわ」と言った。三百円払った。道の駅へ戻って飲んでみたらワインだった。おばちゃんは、ウイスキーを原価無視で売ったつもりなのだが、ワインのこんな小瓶なら二百円くらいだろう。おばちゃんは損するつもりで得した。こちらも「三百円でええわ」にした。すぐ空になった。焼きそば、みそ汁、ニンジンのサラダ、長島で買った金山寺味噌でもろきゅう、梅干し。車の荷台から箱を全部降ろし、窓に段ボール板を張り、横になる。紐で吊したヘッドランプの灯りでヘミングウェイを読んでいるうちに寝た。
18日。十時頃起きる。パン、ヨーグルト、卵焼き、もろきゅう。道の駅の横を降りた川で五センチに満たない稚魚の群れを見る。アマゴだと思われるが、アマゴは群れを作るのか。稚魚の間だけ群れを作るのだとすれば、ハヤなどと同じ習性か。川から戻ってくると、女房がちょっと見てと言う。「この人の車すごい」と女房が言う。老人が一人いて笑っている。見ろと言われた車は、うちのと同じ軽のワゴン車だが、車の中が細工してある。後部座席は取り払って、運転席から後ろは合板で床が張ってある。後部座席の足が置かれるところは床よりも低いので、床下収納庫になっている。荷台の後部は、上部三分の二が棚になっていて、まったく隙間がないほど箱が並んでいる。薬箱まである。テレビもある。釣り竿もある。寝るときは、棚の下に脚を入れて寝るのだそうだ。後ろにはねあげるドアをあけると、車の外からも棚の上の物が取り出せる。運転席と助手席の上にも棚が作ってある。運転席の屋根の上には、BSアンテナとかいう丸いものがあり、どこへ行ってもテレビ番組が見られるそうだ。「テレビが見られるから退屈せん」と老人は言った。「テレビなんか見なくても退屈せん」と思ったがそうは言わない。老人は奥さんと一緒に旅している。もうじき八十歳だそうだ。奥さんは旦那が車の改造をしきりに自慢しているのをにこにこして聞いている。こちらは、ふむふむと言い、なるほどと言い、うーんとうなり、感心する。面白いことは面白いので、写真を何枚か撮る。そこまではいいのだが、老人は、うちの車のまわりでごちゃごちゃになっているダンボール箱やフライパンやアルミの皿などを顎で示し、「これじゃいかん」と言った。まあしかし、言わせておけばいいので言わせておいたら、老人はどんどん言う。何度も「これじゃいかん」と言う。余計なお世話だ。老人が言う「これじゃいかん状態」は、整理整頓の精神がないということだろうが、うちにだってそれがないわけではない。食品は食品でだいたい一つのダンボール箱に入れる。というか、放り込む。フライパン、焼くための網、ガス焜炉、などは道具類として別のダンボール箱に入れる。というか、放り込む。おおまかな分類意識というものだったら、うちにだってある。移動の時は、敷き布団はそのまま、上掛けは畳む。布団類衣類は後ろの窓から後続車が見える程度の高さまでは積む。空いている敷き布団の上に窓用のダンボール板を置き、各種道具類、食品など入れたダンボール箱を四つほど載せて移動する。うちはそうする。バック時、後ろの窓から外が見える方がいい。寝るためにはダンボール箱に入ったものを全部車の外に出すが、出すだけなら一分も要らない。しまうのも五分もあればいい。問題ない。「雨が降ったらいかん」と老人は言う。しかし、4つほどある段ボール箱と衣類は後部荷台から、助手席と運転席に移すと全部収まってしまう。運転席や助手席から車に出入りできなくなり、出入り口が車の横腹だけになってしまうのが多少不便であるが、それも雨の日だけだ。問題ない。まるで問題ない。うちの車見てみますかねと老人に言い、後ろのはね上げ式のドアをあける。要するに何も加工してない車である。がら空きである。人にわざわざ見せるほどのものではないのだが、しかし見せる。断固見せる。運転席と助手席以外は全部寝室である。「まあ、広い」と奥さんが言った。へへへ、広いんですよね、とは俺は言わない。何しろ、寝るときは荷台に寝具以外は何もない。棚の下に足をつっこんで寝るなんてことはしなくていい、とも言わなかった。「これじゃいかん」なんて文句を言う人には、無加工の車の広さをよく見せてあげるだけだ。だけど、いつものサービス精神で、老人ご自慢の車の写真はその後も何枚も撮ってしまった。まあその車はその車で面白いのである。八十歳の老人ご夫妻に「気をつけて」とご挨拶申し上げ、走り出す。再び熊野市に向かって山を降りながら、話題は老人の「これじゃいかん攻撃」になった。「これじゃいかん」の口調を真似しているうちに、女房と大笑いになった。女房の意見だと、山口県の人はおせっかいなのだそうだ。中原中也も山口じゃなかったか。中也もおせっかいなのか。おせっかいだ。東京のやつらは、小林秀雄も大岡昇平も中也のおせっかいを嫌ったのだ。中也のおせっかいは大したもんだとは、女房に言わない。文学のわからん粗野な女と話をすると、何が喧嘩の種になるかわからない。中也のおせっかいは、ご本人がいくら荒れてもこころ細い。こころ細いのに娑婆で太くなる。落差が内側に向いた矢印で中也に刺さる。中也はそれに苦しめられた。ハチキンとやらの男らしい土佐の女にそんなことを言っても駄目なのである。ハチキン女にわかるのは龍馬は子供の頃は弱虫だったというような伝説だけだ。うちのハチキンは子供じゃないと勘弁しないのだ。大人の男はバーンとしていろ。うちだってほら、バーン、ご覧の通り。うちに出入りしているキリピーという独身女は、うちの女房を見て、「男前だよねえ」と言う。「男だよねえ」とまで言ったことがある。俺はうれしくない。ハチキンを怒鳴りつけている俺も大したもんだとも思わない。車を止めて、カーナビを設定する。相変わらず熊野権現をカーナビがみつけない。熊野権現の代わりに、奥熊野古道ほんぐうという道の駅を設定する。これで熊野三社のうちの本宮の近くには行くはずである。近くまで行って人に聞けばいい。それにしても、熊野権現本体が見つからず、ほんぐうという道の駅が見つかるというのはどういうことか。ソニーの3万円弱のカーナビは馬鹿。熊野の一語で、熊野三社をみつけるくらいの機転がきかないのか。きかない。道の駅ばかり載せていて、熊野三社を載せていない無料地図も馬鹿。こちらのお名前は、「わお!マップ 道の駅版 南三重・東紀州」。道の駅専用の案内地図でも、馬鹿は馬鹿だ。ソニーは民俗学の勉強が足りない。「わお!マップ」は商魂だけの馬鹿地図。熊野市の市街を抜けて山道にかかったところで、手作り豆腐の旗を見たと女房が言う。どうせまた他にもあるよねと言う。他にあるとは限らない。Uターン。この女房は足元のマムシは見えなくても、食い物の名前を書いた旗はすぐにみつける。三百円でもめん豆腐一丁買う。氷ももらえないかと言うと、豆腐と同じくらいの重さのおからを冷凍したものをただでつけてくれた。氷がわりにしろという。ありがたい。さて後でおからをどうやって食うかと一瞬考えた。豆腐は楽だ。豆腐ほど楽な食い物はない。醤油をかければすぐ食える。昔、塾生がうちに遊びに来たとき、飯を食わせるおかずに豆腐ばかり連続で出したことがあった。「出すだけぇ、切るだけぇ」と塾生連中は連呼し女房を怒らせた。女房は、文句があるなら食うなと言った。塾生はたらふく食った。今回は旅なので、「出すだけぇ」でいい。「切るだけぇ」さえやらないで、そのまま箸やフォークでつついて崩して食えばいいのである。「醤油かけるだけぇ」はやる。文句あるか。だけど、おからはどうやって食うのだ、という疑問を脇に置いて、豆腐屋で熊野三社のことを聞く。三社を結べば距離にして百キロくらいとのこと。三社を結べば三角形になるという。どんな形の三角形かはわからない。一つは新宮市にあるらしい。もう一つは那智にあるらしい。新宮に行くことは当初予定していた。中上健次が車を運転したはずの道のどこかに車を止めて、海からの風に吹かれてみようと思った。しかし、いったん本宮に向かって山を登り始めてしまうとおっくうになった。道の駅・熊野きのくにで山口県八十歳老人が言ったことによると、和歌山から徳島に渡るフェリーが土日は車一台千円だという。人も一人千円だという。大阪・神戸を下道で抜けるのか高速で抜けるのか後で考えることにして棚にあげてあった。都市の渋滞を抜けてから淡路島の上を走るより、フェリーで徳島まで二時間ならフェリーが楽だ。熊野本宮まで行って新宮まで戻り、三社のうち二つ見たのだからもう一社もと見ていたら、女房の同窓会の二十一日までに土佐に着くかどうかわからない。松岡さんと飲むことになっているのも、二十一日である。女房は同窓会に行くのだし、俺は松岡さんと飲みに行くのだ。本宮へ行ってから一路脇目せず和歌山に行くと豆腐屋で決める。走り出す。が、すぐ停車して、「紀州犬のふるさと」という看板を写真にとったりした。サイクリングのおじさんと抜きつ抜かれつになる。ナビは「一般道路距離優先」という設定にしてあるが、途中でやたら狭い山道に連れ込まれた。ずいぶん高いところを走らされる。ずっと下の方に見えるのが熊野川の上流なのか。どんどん坂を下って、川にかかった橋を渡る。河原がずいぶん広い。両岸は傾斜のきつい山。植林の林が多い。伊勢、志摩の山とはまるで違う。長野でもめったに見ないようなきつい傾斜の山が聳える。かといって、河原が広いので、河原沿いを行く車道はまったく暗くない。ときどき、車を止めようかと思うような風光明媚がある。風光明媚はすぐ飽きるので、車から見るだけにする。少し店などが見当たるようになったと思ったら、いきなり車道の脇に急な石段が現れた。熊野権現に着いたのだ。ざっくばらんに石段の登り口に車が駐められる。石段を登る。傾斜のきつい山の頂上にお宮があるが、そこまで直線に登れるように石段にしてある。ヤタ烏のみやげものが目に付く。ヤタ烏は神なのか神の守護役なのか。まつってあるのはスサノオノミコトだというが、どんなもんだか。本来ヤタ烏が神だったのを、スサノオノミコトにすげかえたのではないかと思う。山本かずこさんが別名で書いた本に、山形(?)のお宮に行ったとき、夜中に烏が鳴いたことを特別なことのように書いてあったのを思い出す。山本さんも岡田さんも、夜中に鳥が鳴くことを知らないのだなと思ったことを思い出す。俺は夜を徹して鯉釣りばかりしたことがあるが、夜中の河原が音に満ち満ちているのを知って驚いた。葦を鳴らす風の音ばかりじゃない。足元のテトラに水がぶつかる音ばかりじゃない。生き物たちがやたらやかましいのだ。特に鳥がうるさい。ヨシキリは一晩中鳴いている。水鳥たちも鳴く。山だって同じだろう。夜に山道を人が歩けば、烏は信号を交わすはずだ。夜に烏が鳴くことは別に特別なことではないだろう。それが烏の普通の生活なのだ。それはともかく、烏の漆黒は修験によく似合う気がする。呪術によく似合う気がする。昼間の烏はどうってことない。烏の基本的な行動は、山から里に来て、河原などでよく遊んで食ってから、一日の終わりに山に帰るということだ。うちの畑にいる烏は人間を馬鹿にしてから山に帰る。本拠地は山だ。だけど、熊野のきつい山だから烏なのか。烏が神だから熊野なのか。いずれにせよ、多くの場合、夜の烏の声は修験者だけが聞くだろう。交感はありうるだろう。スサノオノミコトをまつっているという説明の看板が再三あったが、山のてっぺんに社殿が四つある。おもしろい数だ。三つなら中心と脇を形成できるが、四つだとどれが中心かわからない。真ん中の二つが中心なのか。中心が二つあると、船頭が二人船で山に登るがと思う。女房の顔は見ない。スサノオノミコトがいる社殿は、まんなかの二つのうち、右側にあった。中心が二つだとすれば、それは日本神話と妥協した数ではないか。妥協しなければ、烏が神でいい。このお宮はどこかで妥協したのだろうと思う。四つの社殿に向き合う位置にも社殿のようなものが一つあるが、これは四つの社殿(の中)に向けて祝詞を唱えるための建物。ちょうど祝詞を唱えているところを聞くことができた。音楽として聴けば抜群にいい。ジャズよりいいなと思う。祝詞が言っていることはわからないが、いいものを聴いた。長野のあちこちで聞く祝詞とは、リズムがまるで違う。ずっと骨太の音楽だ。茣蓙を敷いて酒を飲みながら、半日くらいゆっくりと聴いていたいと思った。4つの社殿に、3本足の烏か、さて、と言って、石段を降りる。体が若ければ、烏が舞い降りるように石段を降りることもできるだろうが、ゆっくり石段を踏んでゆっくり地べたまで降りる。茶屋に入り詣で餅を食う。抹茶がうまい。メニューに鮎があった。ここの鮎かと聞くとそうだと言う。鮎を一匹焼いてくれと頼む。時間がかかるとのこと。どのくらいか聞くと、二十分くらいとのこと。二十分か。二十分くらいはなんでもない。焼いてくれと言う。体の頑丈そうな初老の男が心配そうにテーブルの近くまで近寄ってくる。テーブルまで来て腰をかがめて、俺と目が合う。人差し指を一本立てて、黙って首を傾げる。顔がなければ、しぐさがお人形みたいに可愛い。小声で「一匹?」と言う。女房と二人連れなので一匹「ずつ」の間違いではないかと訊いているのだ。「一匹」と言う。たったの一匹ですとまでは言わない。鮎は川の藻の匂いがすればそれでいい。登ってくる途中、みかんの無人販売をしているところがあって、みかんを買った。9月のみかんは酸っぱいが、100円で20個も買えた。あの酸っぱいみかんの汁を鮎にかけたらうまいだろうと思った。車は近いが、めんどうくさい。疲れてきているのか。鮎をつついて食う。うんうん、うまい。確かにうまい。こんなうまいものをたくさん食べてはいけない。女房が南海フェリーに携帯から電話。土日は車一台千円で和歌山から徳島に渡れると聞いたがと言うと向こうがそうだと言う。車検証があれば手続きができるとのこと。19日、和歌山・徳島片道を予約しろと女房に言う。予約が多く、夕方か夜の便しかないという。好都合だ。どうせどこで寝たって起きるのは昼近くだ。夕方か夜の便がいい。予約成立。そうなれば、今日のうちになるべく和歌山に近いところまで行っておいた方がいいが、そろそろ温泉に入りたい。腰をかがめ、お人形のように首を傾げた屈強な男に、近くに共同湯はないかと聞く。渡瀬温泉という名が出る。茶屋を出てナビで設定し走り出したらすぐに着いた。しかし、共同湯がみつからない。ホテルの従業員に共同湯のありかを聞くと、うちのホテルでも湯に入れると言う。共同湯がいいと言うと、さらに山を登ったところの湯の峯温泉にあると言う。茶屋の男は渡瀬温泉と言ったが、地元では渡瀬温泉も湯の峯温泉もひっくるめて渡瀬と言っているのかもしれない。湯の峯温泉共同駐車場に駐車。軽のワゴン車で人がものを売っているようだったので、その人に共同湯の場所を聞く。歩いて5分程度でみつかる。一人二百五十円。熱かったら一時間、ぬるかったら一時間半と入口で女房と決めて入る。熱い。熱いが本物だ。源泉の温度が百度近いのを水で薄めているらしいが、それはしょうがない。湯の花がたくさん踊っている。しばらく足湯。しばらく腰湯。つかのまのんびりする。少し肩までつかるが長くはそうしていられない。窓から冷たい風が入るので、体を冷やしてまた入る。やはり長くは入っていられない。ざっと体を洗い、ゆっくりと体を冷やしてざっくり入る。湯の窓から、すぐ隣の薬師如来を祀った寺の瓦屋根が見える。このお湯は旅館に泊まってのんびり入りに来るのがいい。夏に来れば床に寝転がって、山の冷気で体を冷やしてから、ざんぶりとはいることができるだろう。いい湯だ。一時間はじきにたってしまった。出ると女房はもう出ていた。湯に近い店で缶ビール一本、めはり寿司二つ頼み一つずつ食う。基本的に自炊として出かけてきたが、なんだかんだと買い食いする。「これじゃいかん」と山口県八十歳老人は言うだろうか。缶ビールうまい。めはり寿司うまい。生卵が売っていた。「温泉卵でしょ」と店の人に言うが、生卵だと言う。薬師如来の寺の脇に源泉が噴いている。生卵をそこに漬けて自分で温泉卵にしろということらしい。だけど、わたしらは車の中に生卵を所持している。だけど、わたしらは熱い温泉に入った後で気持ちよくて、車まで生卵を取りに行く気がない。生卵は一袋に十個くらい入って売られている。多すぎる。難しいところだ。お客を温泉卵ワークショップのお客にして、生卵を自分で温泉卵にさせた方が、お客は源泉の熱さに感動し、わあ温泉卵ができたと感動するからよろしいのだろうが、俺はいますぐ温泉卵を食いたい。ビール、めはり寿司、温泉卵と一連の飲み食いの呼吸が店の思惑と合わないのであきらめる。共同駐車場に戻り、駐車場の隅のトイレで、あああと声を出しながらのんびりと小便する。出ると女房が軽のワゴン車でものを売っている人と話し込んでいる。何売っているんですか、野菜ですかと聞いたら、ものを売っているのではなかった。大阪から温泉に入りにきた人だった。この駐車場に入ったとき、てっきりものを売っているのだと思ったのだが、奥さんが温泉に入りに行っている間に旦那さんが夕飯を作るためにいろいろ広げていたのだと判明。奥さんは湯から帰ってきていた。普段から足が痛いのだが、温泉に入ると楽になり、特にここの熱い湯がいいと言う。この奥さんは話好きで、うちの女房も話好きだから、話がどんどん盛り上がる。しかしあたりがどんどん暗くなってくる。旦那さんが釣りが好きだというあたりから、俺も発言数が増える。俺が釣りをした後の車の中が臭くてたまらないという女房の話のあたりから、奥様同士でさらに話が盛り上がり、釣りは臭いと言い、魚は臭い臭いと言っている。臭いわよねえと言っている。あんたらも脚を開けば魚みたいにくせえんだなどと私は言わない。旦那たちはにこにこしている。ひたすらにこにこしたり、にやにやしたりする。どうも話が終わらない。今日のうちになるべく和歌山に近いとこまで行くんだと思い、さて、と言う。それで名残惜しくお別れができたが、とっぷりと日は暮れた。大阪のご夫婦に教わった「トンネルを抜けてすぐの一軒家の焼き鳥屋」は閉まっていたので、「めちゃうまい焼き鳥」はあきらめる。風呂上がりにビールを飲んだので、女房の運転で走り出してじきに寝た。がたんと揺れて目が覚めた。長くは眠れない。細くてしょっちゅう曲がる道。舗装はされている。そのうちに広いドーンとした道に出るのかと思っていたが、ドーンとした道は現れない。今日も夜道をひたすら走るだけ。車のすれ違いもほとんどない。途中で運転を代わる。ナビに設定しておいた道の駅・十津川郷が現れたので駐車。足湯がある。どうせさめたお湯だろうと手をつっこむと熱い。一晩中かけ流しているらしい。まだ先が長いので足湯はあきらめる。夕飯を作る。手作り豆腐の店で買った豆腐のヤッコ。うちの畑から持ってきたネギの薄切りで薬味。うまい。うちの畑の小麦粉と手作り豆腐の店でもらってきたオカラを混ぜてお好み焼き。醤油をかけて食うだけだが、これが思いがけずうまい。自炊は昼間の買い食いでかなり崩れているが、お好み焼きの自炊はこれで三度目か。旅の自炊でお好み焼きはいい。切って混ぜて油を敷いて焼くだけ。キャンプなどでよくカレーを作るが、ごはんをといだり焚いたり、カレーの具を切ったり煮たりで大変である。手間を惜しまず皆で作るからおいしいというわけなのかもしれないが、うちはそんなことはしない。お好み焼きが楽。混ぜるものを変えればそれほど飽きもしない。うまいなあと言うと、うまいねと女房が言う。おからは無料でいただいたものなので、豆腐代300円で、二人ともうまいうまいと満腹になる。豆腐も上等だった。十津川は紀伊半島では人気スポットではないだろうが、いろいろと遊べそうな感じがある。一晩中足湯をかけながしているところは長野にもそんなにはない。コーヒーで休んで、片付けてまた走る。もう走るだけ。走っているときは、ひたすら道が長いと思うが、後になればごく短い、というよりも何も記憶に残らない。そういう道だ。そういう道をただただ走る。途中でナビが左に曲がれと言う。なんでと思うが不案内な土地なのでナビの言う通りに左に曲がる。急に道が細くなる。元々細い道を走ってきたのだが、一段と細くなった。軽自動車がやっと通れるくらいに狭い。Uターンできるような場所はない。ナビが何度も「進路を切り替えます」と言うが、どうやって切り替えるというのだ。切り替えます、切り替えますと何度も言う。同じ道を前に行くしかないのだ。対向車が一台もない。あったらおおごとだ。ナビがまた「進路を切り替えます」と言う。うるさい! いくら行っても同じ道。杉林ばかり。ナビは「一般道距離優先」に設定したのだったか。これはしかし、一般の一般道ではない。どう見ても山奥の林道である。こんな道は、昼間でも杉林の世話をする人以外は通ることはないだろう。ところどころに転げ落ちた岩がある。車から降りてどける程の大きさではないから、踏まないようにして前に行く。車の外を見ていた女房が、落ちたらどこまで落ちるかわからないと言う。谷が深いと繰り返し言う。まっくらだから深く見えるんだとは俺は言わない。黙ってよく道を見て運転する。すごい急斜面だと女房は言う。この女は、人を不安にさせる情報ばかり伝える女である。ずっと黙っていると、こんな道、お父さんでなければ運転できないなどとおだてもする。ことさらにゆっくりと走る。時速10キロか。海外なんかに冒険に行くやつの気が知れない。冒険なんか馬鹿なカーナビがあればたちどころにできる。これだけ密に杉が生えていれば、落ちたってじきに車は杉の幹にひっかかってタイヤが空回りするだけだと自分に言い聞かせる。ところどころ路肩が崩れかけているので、路肩の方に目をやり、タイヤの位置を強く意識する。山に突っ込まないように山側にも目をやる。落ちている岩を踏まないように、とにかくゆっくり行く。とにかくゆっくり行けば、いつかどこかに出るはずだ。あせらないもんね。なんなら夜があけたっていい。その方がいいかもしれない。こんな道はいやだ。車のヘッドライトはあるが、それ以外の光りというものがまったくない。ヘッドライトに浮かび上がるのは、太い杉の幹だけだ。こわいね、こわいねと女房が言う。この女は人の平常心を失わせることは平気である。突然、高野山と書いた看板が現れた。そんなはずはない。このまま行けば高野山に行くってのか。そんなところに行く気はまるでなかった。こわいね、こわいねと女房はもう言わないが、こわいね、こわいねと今度は俺が思ってしまう。昔の人は、こんな暗い山の中を歩いたのだろうか。泉鏡花の「高野聖」を読んだことがあるが、山蛭が木から落ちてきて血を吸うようなことが書いてあった。車で走っているから山蛭は気にしなくていい。へっちゃら。それにしても木が迫る。やたらに太い幹が間近に浮かびあがる。植林した人工の林だが、カーブを曲がるたびに太い幹が現れ、なぜかしょげる。どこまで行っても道は細いままだ。この道終わるんかと言うと、女房は終わらないみたいと言う。マイナス思考のこの夫婦のたどってきた道も終わらないみたい。なるようになるさと思っていたら、ひょいと人家が一つ現れた。じきに道はTの字にぶつかった。登れば高野山、下ればどこかの村か町に出るに違いない。そのときナビがどう言ったか覚えていない。ここではナビが何を言おうと下りを選ぶべきである。また人家があった。里に近づきつつあるらしい。やがて、平が見えた。ナビの言う通りに走る。一度人家の多い村の中の狭い道に入ったが、その後広い道に出た。やがて、川を越え、明るい道に出た。ナビの言う通り左折。コンビニに寄り、コーヒー。地図を見る。途中の標識で、大塔という字は何度か見た。五條という字も何度か見た。しかし、川を越える前に見たのは、九度山だった。完全に山地を一つまたいでしまっている。コーヒーを飲んでまた走る。どうやら紀ノ川に沿って走っているらしい。大型店やコンビニやチェーン店が並ぶだけの広い道を走って、なつかしさを感じた。たんぼや畑をつぶしてできたただ広いだけのどこにでもある新しい道路。長野にあるのと何の変わりもなく和歌山にもある道路。それがなつかしいのが奇妙だった。背中の方に真っ暗闇がある。だだっ広い杉の林がある。とてもこわい。でも、もうこわくない。ローソンがあるし、コーヒーも買える。山の中があんまり暗いので、このまま朝になった方がいいと思ったが、道の駅・紀の川万葉の里に着いたら、まだ0時過ぎだった。すぐ近くにファミレスがあるので、もう一度コーヒーを飲みに行く。ノートにメモしていて、1時閉店を店員に告げられる。道の駅に帰って、車の窓をダンボール板で張り、寝る。
19日。昼近く起きる。道の駅は野菜や果物を買いに来た客でごったがえしている。今朝採れたものか昨日の夕方採れたものかわからないが、ほぼ採れたてだ。そして、品物が安い。この安さはどこから来るのか。競争から来る。私の普段の生活圏に道の駅はないが、家から車で5分のところにパリオという店がある。農協が経営している店で、農家はここへ品物を持ち込むことができる。品物の値は農家が自分で決める。客は近在の非農家だ。品物が売れれば農協が値の1割5分を取る。それだけの取り決めだが、ここで値引き合戦が始まる。農家が品物を出品した場合、売り場で他の人の出品の値付けを見ることができる。自分が出品した品物と同じ程度の品物がいくらで売られているかを見ることができる。「なになにちゃんは、100円かあ、じゃあ、150円では売れないなあ」。農家による「自主的な」根引き合戦がある。店と店の値引き合戦ではない。農家と農家の値引き合戦であり、最小規模同士の値引き合戦だ。親父がパリオに出品していたので、あんな値で売ったら、出品する手間賃は出ても、ものを作った手間賃は出ないだろうと言ったことがあった。市場が相手にしないランクの品物だから構わないのだと親父が言った。市場が相手にしないものは、これまでは捨ててきたものが多いから捨て値でいいというのである。そうかと思った。一方に市場というものがある。だからこそ成り立つ安値なのだ。当然、農薬は市場に出す「みてくれのいい品物」と同じだけかぶっている。おそらく、紀ノ川万葉の里という道の駅のシステムも同じだろう。柿を買う。野菜果物売り場の二階が食堂になっているので、コーヒーを飲みながら柿を食う。紀ノ川の河原を眺める。女房が、俺が車で寝ている間に河原を歩いてみたそうだ。「変わらない、同じだ」と言う。変わらないというのは、千曲川と変わらないというのである。同じだと言うのは、川の浅いところの石に、ヘドロがからんでいて藻が付いていないというのである。道の駅の二階から見ているときれいな川なのだが、それは土手の上から見る千曲川がきれいな川だというのと同じなのだ。食堂のテーブルに地図を広げる。今日走る分は簡単だ。紀ノ川沿いに和歌山まで出るだけである。フェリーに乗って四国についてから先のことは考えていない。和歌山までの途中で、ETCの車載器をとりつけることにする。今のところ、予定はそれだけだ。疲れているせいか、腹が減らない。コーヒーを飲み終えて走り出す。ガソリンスタンドで何度目かのガソリン満タン。車用品の店を聞く。オートバックスの名前が出たので、ナビでオートバックスを探す。途中、柿の葉寿司中村本舗というのがあったので、車を駐めて柿の葉寿司食う。こういうものはちょっとだけ食べるのがうまい。走り出す。ソニーの3万円弱のナビは、ありきたりの道路沿いのチェーン店にはきちんと案内する。オートバックスで1万円ちょっとのETC車載器買う。取り付け料金がかかり、1万6千5百円払う。車載器取り付けの間、あたりをぶらつく。ツタヤで関西四国の温泉のガイドブック買う。本屋を出たらようやく腹が減ってきたのに気づく。ハンバーグのファミレスに入るが、食いたいものがない。コーヒーだけくれと言ったら、コーヒーだけの注文はできないと言うので店を出る。広い駐車場の中に、たこ焼きの店があった。たこ焼きを買い、自動販売機でお茶を買い、ツタヤの日陰のコンクリート地面にあぐらをかいて食う。うまい。200円か250円。長野のたこ焼きのほぼ半値。4時過ぎ、ETC車載器取り付け終わる。そのまま、ナビで南海フェリーへ。フェリーの窓口で、夕方7時20分発のフェリーを予約した者だと言う。車千円、人間一人千円だと聞いてきたと言うと、和歌山か徳島での旅館の宿泊を証明する書類を出せと言う。そんなことは聞いていない。車検証だけ持ってくればいいと言われたと言う。旅館に泊まった者でなければ、正規料金になると向こう様がつっぱね続ける。正規料金を聞くと車と人間一人で9千円だとのこと。「結構だ。高速道路で行く」と言い、フェリーを使う計画を変更。阪和道とやらに乗り、大阪でいくつかの有料道路を渡り、神戸、瀬戸内海の宙空を淡路島まで走る。淡路島に降りて屋台で明石焼食う。土産物屋をひやかし、レストランでコーヒーを飲んでゆっくり休んだら、夜9時をまわった。四国に入ったのは、フェリーを使った場合より遅くなった。そのまま高速道路で一挙に四万十町の手前の須崎市まで走る。道の駅・かわうその里すさきで車泊。
20日。いつものように昼近く起きる。道の駅でかつおの藁焼き食う。女房がなにかの混ぜご飯も買ってきたのでそれも食う。野田知佑あたりが、「日本最後の清流」だなどと言った頃から、四万十川は急に有名になった。女房は南国市の生まれだが、高知県内はいつでも行けると思い、ほとんどどこにも行ったことがないと言う。今回の旅で土佐に入ったらどこへ行きたいのかと聞いたら、四万十川へ行きたいと言った。昨日も温泉に入っていないので、地図で四万十川沿いに温泉を探し、大正温泉をみつける。ナビに道の駅・四万十大正を設定。よく晴れて汗ばむくらいの陽気。コンビニに寄り煙草買う。車の中でアイスクリーム。走る。途中、国道から海の方へ細い道を入り、海沿いを走る。車道脇の高い崖の上に車を駐め、土佐湾の波が寄せてくるのを眺める。飽きるまで海を眺めて、しばらく海沿いを走ってまた陸の方に向かったつもりだったが、再び海の近くに出た。今度は崖の上ではなく、浜に降りられる。女房は、さっそく浜を歩きに行った。俺は日差しがあるので歩きたくない。若い人たちがサーフィンをやっている。帰ってきた女房は、海の水が温かかったと言った。四万十川へ向かう。いつのまにか車道の脇に四万十川が現れた。四万十川沿いの土地は傾斜がゆるい。きつい瀬はほとんどない。なるほどカヌーでのんびり下るにはいい川だ。野田知佑は、「カヌーで下れる清流」と言えばよかったのだ。カヌー乗りのご都合で見た「日本最後の清流」なのである。それでうるおったのであれば、四万十町には結構なことだったろうが、もうブームは終わっている感じがあった。連休入りしているのに、あまり人をみかけない。つぶれた店などがぽつぽつと見える。長野育ちで、高校の時は山岳部だったから、山に入ればあちこちに清流はあった。カヌーなんかで下ればすぐにカヌーが折れるような清流だ。岩にぶつかる水が飛沫をあげ、段差が滝を連続させる清流である。四万十中流域のようにうなぎが棲めるような水ではない。アユだって棲めない。魚はヤマメかイワナだ。「日本最後の清流」でよほどきれいな水を思い描いてしまったので、実際の四万十川を見たら少なからずがっかりした。道の駅・四万十大正からは、木の階段を伝って四万十川の河原に降りられた。このあたりはかなり上流で瀬がある。川に手を入れてみる。谷川だが水は冷たくない。いい鮎が育つだろう。鮎を食ってみたくなり、道の駅に戻って店の人に聞く。鮎を食わせるところは沢山あるらしい。どこで食えるのかと聞くと、はっきりしたことを言わない。本当に知らないのかしらばくれているのかよくわからない。ご同業だからか。道の駅でうどんを食う。うどんを食わせるための調理場があるのだから、鮎を焼くくらいなことはできるはずだ。どうして鮎を食わせるくらいの工夫をしないのか。カヌーが終わったら鮎でいけばいい。情報館とかいうものがあるので入ってみたが、パソコンが一台置いてあり、インターネットで検索ができるだけのことである。こんなもの作るより、鮎を食わせろと思う。が、うどんで腹が落ち着いたら、鮎はどうでもよくなった。さて、温泉だ。めがけてきた大正温泉というのは、道の駅の人によると、去年旦那さんが亡くなってやっていないとのこと。和歌山で買ってきた温泉ガイドブックで、公共の湯を探す。近くに一つあるらしいので行ってみる。西土佐山村ヘルスセンター、一浴350円。非常に混んでいるのでロビーで待たなければいけないと玄関で言われる。どうせ、今日は道の駅・かわうその里すさきまで戻って寝るだけだ。ロビーにいても退屈だから、玄関にあった冷蔵庫から缶ビールを取り出し、受け付けで金を払って外に出る。車の後部ドアをはねあげて日除けにし、テーブルと椅子を出し、ガス焜炉で道の駅で買ったキスの干物をあぶってビールを飲む。夕方近くなって涼しい。湯からあがってきた外人さんが、干物を焼いている側を通り、日本語で「おいしそうね」と言った。おいしいよ。駐車場で飲んでいると車の出入りがわかる。入ってくる車より出て行った車の方が多いし、ビールも終わったので湯に入る。湯船は小さく、人が四人ほどしか入れない。入れ替わり立ち替わり人が動くがゆっくりさせてもらう。邪魔にならないところに場所をとって温めた体をさます。山の中を運転してお湯に入り、温めた体をさましていると土佐にいる気がしない。長野のどこかにいるような感じだ。湯から出ると、もう暗かった。どこをどう通ったのか、ナビの言う通り道をたどり、かわうその里すさきに戻る。お好み焼き、いわしの缶詰など。昼間は道の駅が混むので建物に近いところは寝るのにうるさいとわかったので、第二駐車場の一番奥で酒を飲みながら食べる。すぐ寝る。
21日。今日が、旅の目的地にたどり着く日。女房は同窓会会場へ、俺は松岡さんと高知市内の飲み屋へ。国道を走り、途中何度か海の方へ道を曲がるが、T字路にぶつかったりして、何度かナビに国道へ引き戻される。ナビの電源を切り、海沿いの道へ出る。仁淀川の河口で河原に降りて飯にしようかと思うが、どこにも日陰がない。晴れるとさすがに土佐だ。暑い。河原のひなたで人が遊んでいるが、車泊の連続で疲れているのでひなたに出たくない。また道に戻る。女房の生まれた南国市の村から車で10分くらいのところに前の浜というところがあり遊びに行ったことがある。かなり高いコンクリートの堤防があり、松林があり、松林の中に墓地があった。ここでも、広い道から道を一つそれると砂地の上に松と墓地がある。50センチほどの丸い自然石をそのまま墓石にしたものをみつけた。こんな墓はいいなあと声に出る。広い道のひとつ裏側の道は両側が墓地になって続いているが、プラスチックやビニールのごみが散乱している。どさっと捨てていったという感じにプラスチックやビニールが固まっている場所もある。墓地なのに。墓地が途切れるとうらさびれたラブホテルがあったりして、なんだかめちゃくちゃな感じがする。松はあるが日陰が小さい。墓地で焜炉に火をつけて炊事する気にはなれない。また広い道に出る。少し行くと渋滞になる。連休で桂浜に行く車が多いのだとわかる。Uターンして枝道に入り、ナビに高知城を設定する。だんだんと都会っぽくなってきて、どこをどう通ったのかわからないうちに高知城の北西あたりに出る。道路の端が無料で駐車できるようになっている。駐車許可区域をはみ出したところに車を駐め、許可区域に空きができるのを待つ。警官の姿をよく見かける。車を離れるとすぐに駐車違反の張り紙を貼られるだろう。城への登り口があり、自転車を駐めたりするためか、ちょっと広い場所がある。そこにテーブルと椅子を出す。城の大きな杉林が日影を作ってくれて、しばらく休むにはちょうどいい。お好み焼きを焼く。途中で、一台分空きができたので、車を駐車許可区域に移動させる。食後のコーヒーの湯を沸かしながら、松岡さんに携帯で電話。自転車で来てくれるとのこと。その間に城を見物する。石段を登り、平らになったところを歩いていくと、高い石垣を修復していた。そこからまた石段を登ると、鍵型に道が曲がり、やがて天守閣の前に出た。どこか一方に海がひらけてているような気がしていたが、どの方角も山だけなので意外だった。城は地味な感じ。中に入って見る気はない。露店をのぞく。土佐名物アイスクリンというのがあった。そろそろ松岡さんが着くかもしれないと思い登り口まで戻る。まだだったので、アイスクリンを買いにもう一度城内へ。アイスクリンというのは、アイスクリームの訛りだろうか。棒状のカキンとした氷かと思っていたが、ソフトクリームみたいなものだった。氷の細かい粒が混ざっているようだ。アイスクリンという響きがいい。夏の土佐だったら、アイスクリームなんて甘っちょろいことは言っていられないだろう。そんなことを言っている間に、だらだら溶けてしまうだろう。やはり、アイスクリンでなければならない。アイスクリンと発音するだけで、瞬間的に涼しくなる感じがする。今は秋だが、これは夏向けの語だ。ゆずの上に抹茶を重ねてもらい3つ買う。店の人が昔はバニラしかなかったと言っていた。登り口に戻る途中で、携帯が鳴るがアイスクリンで両手がふさがっているので電話に出られない。戻ったら、松岡さんが首にてぬぐいを巻いて立っていた。アイスクリンとコーヒー。座ってよもやま話。松岡さんに会うのは、3回目だと思っていたが、松岡さんの奥さんが数えたら、5回目だとのこと。そうですか、と驚く。記憶が二回分を一回分に合体してしまっているのがあるらしい。ああ、そうか、へべれけになって松岡さんと俺とで、岡田さんちに転がり込んで寝させてもらったこともあった。東京でも会っているのだ。あれは、ミッドナイトプレスを雑誌化する時だったのだろうか。岡田さんちで松岡さんと土佐の女の悪口を言って盛り上がった。俺も松岡さんも岡田さんも女房が土佐の女なのである。岡田さんは女房の山本さんが近くにいるので、盛り上がりにくかったようだ。山本さんがいなくても、岡田さんはそういう話では盛り上がらないかもしれない。山本さんはにこにこしていた。松岡さんはどんどん盛り上がる。行け行けどんどんである。土佐の女か。それはもう、盛り上がるしかない。俺もそうだそうだ、土佐の女にはひどい目に会わされると盛り上がった。わいわい言った。その後、夜中にほうぼうへ電話してほうぼうから迷惑がられた。松岡さんちへはしらふで一回、酔っぱらって一回か二回行っている。しらふで行ったときのことは覚えていないが、酔っぱらって行ってビートルズの「イマジン」を聞いたことを妙にはっきり覚えている。女房の家に法事などがあって土佐に来たときは会っていたし、外で会ってそのまま飲みに行ったこともある。5回か。記憶というのはいい加減なものだ。子供の頃の話になり、小学校の頃のことはほとんど何も覚えていないと言ったら、それは変だと言われる。そうですか、普通記憶がはっきりしてくるのは中学くらいじゃないですかと言ったら、そんなことはないと言われる。入学式のこととか、初めて教室へ入ったときのこととか、普通はよく覚えているもんだと言う。誰が勉強ができて誰が勉強ができなかったなんてこともよく覚えているもんだと言う。いやあ、そういうことは何も覚えてないなあ。校門の石のざらざらした感触とか、コンクリートの渡り廊下の質感みたいなのは覚えているが、人間のことは覚えてないなあと言うと、やはり変だと言われる。根石さんは、俺の知っている人の中で変であることにかけてはトップクラスだと言われる。仙人だと言われる。そうですかと女房がまじめくさって言う。なにがそうですかだ。俺なんかより、お前の方がよっぽど変だと言いそうになるが言わないでいたら、せいさんはまともだと松岡さんは言う。そりゃ違う。女房は仙人ではないかもしれないが、浮き世離れが突拍子もない。天からパンが降ってくると思っている。天から降ってきたパンがお店に並んでいるのだと思っている。それを買うお金も天から降ってくると思っている。知識としては、パンはパン屋が作るのだと知っている。だけど、知っているだけだ。本当は天から降ってくると思っている。その意味では、女房の方がはるかに仙人なのだが、そんなことを言ってもしょうがないので笑っているしかない。せちがらくなくていいじゃないかと言う人もいるが、横着として全面的にくり広げられることがあるのが困る。横着のことも言ってもしょうがないから笑っているしかない。高知城北西の裾も苦しい場所になりかけた。ああ、わかったと松岡さんが言った。根石さんは学校が嫌いなんだと言った。そうだ、そのことだ。俺は学校が嫌いだ。松岡さんによると、学校の中にいても、俺の心が学校の時空を生きなかったのである。学校の中で生じることがリアルじゃないから何も覚えていないというのだ。非常に納得できる話だった。学校で起こったことはなにもかも夢のようなものだった。だからみんな忘れてしまったのだ。小学生にしてすでに現実を失っていたのだ。自分の身が置かれた場所が現実ではなかったのだ。家を出て、家のすぐそばの川のあたりで魚と遊んでぐずぐずしていると、おふくろが「学校へ行け」と叫んで石を投げたことがある。石で学校へ追われたのだ。お袋は泣きそうな声でわめいていた。そういうことはよく覚えている。バーカと言って、釣り竿を取りに家へ戻り、千曲川の本流に釣り糸を垂らしに行ってもいいのだが、小学校入学当時はおふくろが恐かったので重い足をひきずって学校へ行った。で、小学校6年間を通じて、ほとんど何も学校のことは覚えていない。みんなそうじゃないのかと思っていた。しかし、松岡さんによるとそれはそうじゃないとのことだ。さすが、松岡さんだ。そこんところをわかってくれる人はなかなかいるもんじゃない。松岡さんが、女の子(今の奥さん)を追いかけて東京へ行った話なども聞く。高知の高校にいた頃は、その女の子は赤い鼻緒の下駄を履いて学校へ通っていたそうだ。どういうことかすぐには話がわからない。「ただの不良だよ」と松岡さんは言った。松岡さんは赤い鼻緒のことを言うとき、ちょっとうれしそうだった。いきなり、「根石さんとせいさんはどんなふうに出会ったんですか」と聞かれた。女房の友達が大学の同級生で、と言おうとしたら、松岡さんは、「やみくもに押し倒したりしたんですか」と言う。「いやあ、まあ」と言う。「松岡さんはどうなんですか」と矛先を向けると、松岡さんも「いやあ、まあ」と言った。脇で女房が喜んでいる。いやはやである。ときどき、警官がうろちょろするが、駐車違反の取り締まりだろう。女房の同級会の集まりの時間が近づいてきた。ひとまず女房を同級会の会場へ送り届けることにし、松岡さんにいったん帰宅してもらい、女房を会場に送って戻り、教えてもらったビジネスホテルから電話することにした。夕方のラッシュが始まりかけた頃だが、行きは比較的車が流れた。片道四十分ほど。女房を海岸に近い観光ホテルの玄関に降ろしたら、ご一行のバスもちょうど着いたところだった。高知市内へ帰る途中で、車の流れがまったく止まったので、適当に枝道へ入る。どこをどう通ったのかわからないが、市内に近づいてからナビの言う通り走っていたら、松岡さんに教わったビジネスホテルに着いた。フロントで満室だと言われる。外に出て、いくつかあるビジネスホテルを眺めるが、一つも電灯のついてないホテルがある。携帯から松岡さんにかける。十分ほどで松岡さんが見えたので、松岡さんに携帯電話を渡す。松岡さんは自宅にかけて番号を調べたり、ホテルに問い合わせたりしてくれたがどこも満室。高知港の近くに飲める場所はないだろうかと相談する。直江津港などからの類推だが、港には適当に車を放置できる隙間がところどころにある。確か、港と市内を結ぶ電車があったような気がした。松岡さんの帰りの足が確保できれば、港の方で飲むのもいいと思った。車の中で寝るのでいいと思ったが、まあホテルを探してみようということになり車で回る。他もやはり満室。最初のホテルから見えた電灯のついていないホテルはつぶれたのだそうだ。他にもつぶれたホテルがいくつかあるそうだ。いくつかホテルがつぶれ、ホテルの数が少なくなり、連休になったから、どこもかしこも満室になったということらしい。こんなことはこれまでなかったことだとのこと。松岡さんの友達のKさんの家に行く。空いているガレージに駐車させてもらうことになった。Kさんの車で、飲み屋街へ送っていただく。最初に入ったのが、おぐらやだったか。飲み始めたら、急に酒が回ったのか、おぐらやの様子だけ覚えているだけで、その後どこにいたのだかわからない。おぐらやで軽く飲んで、他の店へ移って飲んだはずだが、軽く飲んだ酒がよく回って、移った店にどのくらいいたのかわからない。前に一度来たことのある店ですねえと店を見回したことを覚えている。上の空みたいになって、やたらに軽く口が動いた。知らないところを歩いて、戸を開けたらまたおぐらやだったということは覚えている。テレビを観ながら何か言ったら、松岡さんが俺の坊主頭をぴちゃぴちゃ叩くのに気づいた。「なに言ってんだ」と俺の坊主頭を両手でぴちゃぴちゃ叩いて喜んでいる。松岡さんも軽くノッテきたなと思って、うひゃひゃひゃとなるが、「なに言ってんだ」ということの「なに」がその時点でもう思い出せなかった。何かのすけべ話に口をはさんだのだったと思うが・・・。何言ってんだ、ぴちゃぴちゃ、うひゃひゃひゃ。それが続いた。小学校6年間のことを思い出せないのは、学校という時空を生きなかったからだが、すけべ話もそうである。すけべを生きるのでなくて、すけべ話だけしていると、すぐぴちゃぴちゃであり、「あはは、なに言ってんだ」と言われたときには、何を言ったんだったかもう忘れている。話の脈絡はわかっているはずなのだが、それでうひゃひゃひゃと笑うと、何の話だったか忘れている。目がどろんとしてカウンターに顎が着きそうになって、おぐらやを出てどこかへ歩いた。少し歩いたら、最初に断られたホテルに出た。松岡さんは自転車を引いてよろつき、俺は寄り道をしてよろつく、途中、よろついて神社に入ったら、狛犬の顔がどひゃーと目の中いっぱいに広がりびっくりして写真を撮った。お茶だったかコーヒーだったか買って、線路脇のコンクリートに腰を降ろして話す。古賀忠明が部落解放同盟に呼びつけられて福岡から大阪まで行ったことがあるが、そんな密室の中へ出かけていった古賀もよくないという話。今の部落解放同盟は、実体のない観念をでっちあげてゆすりをやってる金権にすぎないという話。すぐ脇に線路を高架にしている工事がある。何のためにこんな無駄なことをするんだかという話。瞼が重くなってきたとき、行きますかと松岡さんが言った。松岡さんの心配りはいつも細やかだ。Kさんのガレージに戻り、お別れした。高知市内を松岡さんは自転車でいっぱい走ったのだろうか。市内の地理がまるでわかっていないので、どんなにお世話になったのかもよくわかっていない。携帯電話から電話して、奥さんにもいくつもホテルの電話番号を調べてもらったりした。お手数をわずらわせた。車にもぐり込んですぐに寝る。
22日。朝10時頃か、目をさましてKさんにお礼を言いに行く。上がるように言われ、Kさんがやっている塾の部屋に上げてもらい、コーヒーをいただく。弟さんが長野県の小川村に引っ越す予定だという話を聞き、浄化槽や薪ストーブの話になる。女房の同窓会がもうそろそろお開きになっているだろうと思い、Kさんにお別れする。携帯で女房に電話し、ナビで御免の駅を設定。その後、携帯電話の電池切れる。考えていたのと反対の方へ、ナビが連れていく。完全に方向感覚を失っている。御免駅近くで方向感覚戻る。同級生の車で送ってもらうと言っていたが、女房はなかなか現れない。近くのスーパーでバナナとヨーグルト買い駅で食べる。やがて、Yさんという人の車に載せてもらって女房が来た。俺はJRの御免駅で待っていたのだが、御免の駅は路面電車の線路にもある。毎日、チンチン電車で市内の中学に通っていたので、女房にとってはチンチン電車の駅が御免の駅なのである。いくら待っても俺が現れないので、女房とYさんで、ひょっとしてJRの御免駅かもしれないと言い、来てみたらいたとのこと。携帯の電池が切れ、その後乾電池からの充電がうまくいかなくなったので連絡がとれなかった。Yさんにお礼を述べお別れする。ここから帰り道。山越えで行くか海岸づたいに行くかで迷ったが、女房がもっと海を見たいと言うから、室戸岬へ向かう。昼過ぎ、御免を出て、室戸岬で夕日が沈んだ。その後は、夜の海沿いの道をただただ走る。町はたまに現れるだけ。こんなにも町がないのかと思う。信号もほとんどない。コンビニに寄ったときは、すでに香川県に入っていた。新興のビル、新興の住宅街がある。ナビの言いなりに走り続け、ナビの言いなりに淡路島の上を走り抜け、ナビの言いなりに神戸を抜ける。夕飯は、王将で餃子と何かのどんぶり。京都の山の中の道の駅(名前忘失)で車泊。
23日。京都の町の中までの道が渋滞で長い。止まってばかりで進まない。途中、コーヒーで一休みした。いまどき珍しい喫茶店らしい喫茶店だった。(名前忘失)京都の町へ入り、どこにも寄らず走り抜け、琵琶湖の脇を走り、新幹線の線路脇の道の駅(名前忘失)に着いたときはすでに暗かった。半日以上走って、これだけしか進まないのかと思いいやになる。炊事して食べて休む。高速道路に乗ることに決める。連休最後の日だから、0時前に高速に乗れば、千円で更埴インターまで行ける。ナビの言いなりに近くの入り口から入る。ナビの言いなりに高速の上を走り、サービスエリアで二回休む。前方に延びているのは、道路というものだが、これは時間が飴みたいに延びたものだと思った。その先で終わりになっているのだと思った。まだ暗いうちに帰宅。
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