ニャンニャン裏通り・出前版(2)

松岡祥男


(1)

猫 調子はどうだ。

松 まあまあだよ、何の調子か、知らないけど。

猫 村上春樹の『1Q84』について、その後、言い足すことはないか。

松 べつにないね。目に触れた範囲で世評も見たけど、とりたてて言うことはないね。おれ、電話、好きじゃないから、ケイタイも持っていない し、必要ないから持つ気もない。それでも、実務的には電話が手っ取り早いんで、よく使ってはいるんだけど、馴染まない感じは変らないね。ところが、おかし なことに、そんなおれにも電話友達ができたんだ。実際は一度も会ったことのない、十歳以上年下の。

猫 
気の毒に。おまえは言いたがりで、ろくに人様の話を聞かないタイプだろ、迷惑ってもんだぜ。

松 
それで、その彼と話してて、『1Q84』を「コケオドシの通俗小説だ」と言ったら、彼に「マツオカさんは読んでる途中では面白いって言ってた じゃないですか」って、云われたよ。おれは村上春樹の作品は殆ど読んでいる。それで短編作品はいいと思う、「螢」とか「中国行きスロー・ボート」とか好き だね。そこからいえば、『1Q84』って、固有の良さというのは皆無に近いね。いちばん虚しさを感じてるのは、作者本人じゃないかと思ってしまうよ。露骨 に言うと、出版社も書店も、本が売れればいいんだ。いい作品であろうが無かろうが。記念切手と同じさ、買って使わないのが好都合という。でも、作品は違う はずだ。その本性として、読まれることを望んであるものだと思う。そして、作家は表現的な自己実現が最初に来るはずだし、そのうえで、あくまでも他者に理 解されることを願望しているはずだ。

猫 
まわりくどいんだよ、なにが言いたい。

松 
なんだよ、おれのこと、他人の話を聞かないって言っておきながら。『1Q84』の中で、天吾がチェーホフの「サハリン島」をふかえりに読み聞 かせるところや、ふかえりが「平家物語」の壇ノ浦の場面を暗誦するところがあるだろう。あれはみごとだと思うけど、でも、村上春樹が力量を発揮すべきとこ ろは、そこじゃないね。この程度の引用の活用は、それなりの作家ならやれるはずだ。ほんとうにやるべきことは、投稿作の「空気さなぎ」が、表現として稚拙 であっても魅力あるものと設定しているんだから、まず、それを示すべきだ。そのうえで、天吾が加筆した「空気さなぎ」でどう洗練されたかを、実際的に描け ばいい。その方が、謎かけみたいな「猫の町」の寓話を挿入するよりも、ずっと優先するはずだ。

猫 
それは高望みってもんだ。それができるなら、『アンダーグラウンド』で、オウム事件に異論を呈した、たぶん吉本隆明の発言を想定したと思われ る「部分的には正論であったが、場合によってはいくぶん偉そうで啓蒙的だった」なんて言うはずがないぜ。吉本隆明はな、新宗教が注目を集めだした早い時期 に麻原彰晃の『生死を越える』や『亡国日本の悲しみ』『日出づる国、災い近し』をちゃんと取り上げ、批評している(ほかにも大川隆法『太陽の法』や統一教 会の『原理講論』なども)。わしの知る範囲で、それをやった者はいない。つまり、自分の見解をつねに開示しているんだ。べつに吉本隆明の考えに、同調する ことも、追従する必要もないが、この姿勢はなによりも尊重されてしかるべきなんだ。村上春樹が、この開かれた姿勢の貴重さを判っているとは、到底思えない な。じぶんで考えることが大事なのと同様に。むろん、そんなことは「あっしには何の関わりもないことでござんす」とは言えるだろう。しかし、村上春樹は講 談社の巨大なバック・アップで、聞書きの『アンダーグラウンド』を仕上げた。それはいいとしても、そこでの被害者への理解と配慮と同じように、他者の姿勢 や言説もちゃんとおさえないといけないはずだ、言い及ぶかぎりはな。わしはあそこで、村上が名を挙げずに批判したことに、あくまでもこだわるね。村上春樹 は、出版業界のシステムや常識に結構乗っかってやっているとしか思えないぜ。それに「大方が世論の袋叩きにあった」という言い方だって、おかしいぜ。たと えば産経新聞は、吉本隆明にオウム事件についてインタビューし、その記事を掲載した。その記事に対して、読者から批判が殺到したってことになっている。村 上春樹は、それを念頭に「世論の袋叩き」だと言ってるんだ。これは誤謬だ。新聞であろうが、雑誌であろうが、おまえが主宰している「猫々だより」という小 さな通信であろうが、依頼して掲載した以上は、場を主宰しているものは最後の最期まで、発言者(執筆者)を擁護すべきなんだ。それは表現の自由にかかわる 鉄則だ。たとえ、その内容(意見)が自社(自分)の見解と異なるものであっても、だ。そうでなかったら、まず第一に、相容れない人物や考えの持主には、始 めから依頼しなければいい。依頼しても、これは困る(不都合)と思えば、原稿段階で折角ですが掲載できません、ということにしないといけないはずだ。それ で掲載した以上は、もちろん、読者からの反応や反響は尊重されるべきで、できる限り公開されるべきだ。それが民主主義のルールというものだ。そのうえで、 〈あらゆる言論は自由である〉という不動の原理に基づいて、あくまでも自社(自分)にいちばん責任があるという原則的な立場を貫きながら、発言者(執筆 者)を擁護し、事態に対応するのが本筋というものだ。産経新聞のやったことは、まったく反対だろう。まるで吉本バッシングのために仕組んだようなものだっ た。それは、あの産経新聞の紙面に如実に現れていた。また、それが産経新聞が「三流」新聞でしかないということの自己暴露だった。それを作家として言論界 で飯を食ってきた村上春樹が見抜けなかったら、嘘だろう。まあ、作家が自立した存在という前提の話だけどな。

松 
そうだけど、もともと会社やスタッフというのは、当てにならないものかも知れないね。むかし伊東四朗が言っていたんだけど、なにかの撮影で伊 東四朗が着ぐるみを着て、やってたら、子供がいっぱい集まってきて大騒ぎになった。その騒ぎに数人の警官が駆けつけてきたそうだ。そうしたら、みんな蜘蛛 の子を散らすように居なくなって、着ぐるみの伊東だけが取り残された。それで警官にこの騒ぎはなんだと言われて、伊東四朗はじぶんで「撮影です」と説明し たとのことだ。その時、スタッフは遁走して誰一人として居なかったということだ。これが典型さ。都合が悪くなければ遁げるし、風向きが変われば、平気で非 難する側に廻ることだってあるんじゃないのか。だから、みんな、友達を大切に思うのさ、立場や利害を越えたものを持っていると思っているから。1984年 におれは、『同行衆通信』ってのやってて、そこで「1984年の冬なのだ」なんてのを書いて、山口県の西村光則がらみで、『漏刻』の連中とケンカしてた。

猫 
その時、おまえが何をしてたかってのは、なんの意味もないぜ。

松 
違うよ、村上作品とは全然関係なく、二五年前のことで、言っておきたいことがあるだけさ。このケンカの段階では、おれは西村光則と一度も会っ たことはなかった。そもそも西村を知ったのは、その頃、愛媛県の宇和島に住んでいた小山俊一さんから紹介されたからだ。たしか西村が出していた『ひょうせ つ』という通信誌を4号分くらい、小山さんが送ってくれた。それで、西村に連絡して『ひょうせつ』の読者になったんだ。その後、小山さんにお会いした時 に、その事が話題になったんだけど、小山さんが「誤字が多い」と指摘したら、「そんなことはたいしたことじゃない」と彼は言い返してきたとのことだ。それ で小山さんは、「どうも自分は教師根性が抜けきっていないようだ」と云われた。西村は『ひょうせつ』(1975年11月創刊)以前に『長州新聞』『THE  AZAME通信』というのを出していたらしいけど、それは見たことがないね。『ひょうせつ』はガリ版B5二四頁で、ほぼ月刊ペースで出していた。その集 中度と、自己切迫した孤独な存在感が際立っているようにみえた。彼は精力的で、他にもいろんな同人雑誌に寄稿しているようだった。やがて、そのひとつ『漏 刻』と西村との間でケンカが始まった。で、事情はよく判らないが、『漏刻』側は複数だし、坂井信夫のなんか一段高いところから物を言うような態度が癇にさ わった。そこで、このケンカに介入したんだ。

猫 
他人のケンカに口を出すとろくなことはないぜ。そうでなくても、酒場で連れがケンカを始めて、止めに入って、殴られたりしたら、今度は自分が 主役になっている場合だってあるんだからよ。

松 
まあね。その後西村と実際的につきあうと、彼の悲劇的な面がだんだん見えるようになった。彼はその場では何も言わないのに、あとになってか ら、そのことを取り挙げて批判することがしばしばあった。これは悪意というよりも、決定的な資質的〈弱さ〉だと思ったね。だから『漏刻』とのケンカにし たって、悪いのは西村の方だ。その場ではなにも言わずに歓待をうけながら、あとになって、「あの連中は」だとか、「あいつの言ったことは」なんて書きたて たら、それは誰だって怒るよ。

猫 
おまえだって、サボリの不登校だったように、嫌なことからは逃げるし、面と向かって事態に対応するよりも、裏へ、陰へ、廻ろうとする傾向があ るだろう。他人のことが言えるかよ。それで、おまえはたんと反省したのか。

松 
いいや、しないね。事情はどうであれ、あれは言葉の上のケンカとして、あの通りだと思っているよ。

 わたしの知り合いで農業をやり、お米作りに熱心な人がいた。詩を書く人でそれが知り 合った機縁だった。あるとき彼にお米はもとをただせば南方系のものでしょう。どうして新潟とか秋田とか、どちらかといえば北の寒いところに美味い銘柄のお 米がとれるのかと尋ねたことがある。
 彼の答えのうち主要な考え方は、南のほうだとあまり手入れをしなくても、お米が実るということがあるのです。それで何となく油断することがあります。北 の寒いところでは、少し手を抜くとすぐお米の収獲量品質に影響するから、熱心にならざるを得ないところがあるので、その経験がつみ重なって美味い稲の品種 ができ栽培の方法も発達することになり、いわゆる銘柄品が生まれるわけです。そういう答えが主要なことだった。
 彼はついでに、稲の育ち方、その様子は、毎日違うのです。丁寧に稲の表情をみてまわって、これは水が少し足りない、これは日照の具合がわるいから、何を 加えといったことを、丁寧にこまかく配慮してやればやるほど、いい実りになります、どこでもほんとは手当て次第で銘柄品くらいのものはできるわけです。そ う語ってくれた。
 わたしは大いに啓蒙され感服した。彼はかくれた篤農家だとおもった。彼の言葉は次第に宗教的な秘境を語るようになって、わたしなどの思慮がとどかない彼 方へすすんでいった。ただ彼の孤独な篤農のたたかいの不幸が、彼の明るい信仰の言葉にそのまま転移しているようにおもえてならなかった。でも彼の宗教性へ の転移を否定する気にはなれなかった。彼の宗教性の深みも浅さもお米の栽培の体験の生まれかわりのようにおもえるからだ。
 (吉本隆明『食べものの話』「お米挿話」)

 これは西村光則のことを語ったものだ。ここに言われているように、西村はしだいに、こちらからは神懸り的な思い込みとしか思えないようなことを言い出し て、互いに疎遠になっていった。しかし、これはもともとの資質だとおれは思う。彼は憑依する人だった。彼は、百姓にも、石積み職人にも、なりきれる人だっ たんじゃないかな。彼の出している『ひょうせつ』の誌名は、氷雪だろうか、まさか剽窃じゃないだろう、などと仲間うちで話したこともあるけど、そのままに なっていた。『ひょうせつ』が50号になった時、彼は雑誌『試行』の第50号の編集後記を丸ごと引き写して、じぶんの編集後記とした。ここにきて、おれは そういうふうに思ったね。そこから思い返すと、彼は知り合った頃は、宮沢賢治になりきろうとしていた。賢治の生き方から、字の書き方まで、全部をじぶんの ものにしようとしていたんだ。通常の「かぶれ」や「模倣」とは次元が違うような気がした。古来、詩人とはこういう存在なのかもしれないと思い、おれなどの 到底及ぶものではないと、いまでも畏怖しているよ。それが何の宿りなのか、どこから湧き出たものかは判らないけれど、

 訪れたきみ子と一緒に何処へ行くでもなく、廃屋へ引き込んだ3時間の間、最後の恋人 へ、もはや何の方途も何の意義もみだせなくなったきみ自身を、そのこころとからだを晒け出そうとして、疾走し、かく狂気した。今日はなんだか変だ?
とっても変だ?
と云う感じは、最後まで消えなかった。変にきみ子へのしかかり、絡みつき、きみ子の下着を取ろうとするのだが、ちっともうまくいかない。明らかに、きみは ためらっていたのだっ。ためらっている手がまともに動かないのだっ。なぜか途中でやめることもできなくなって、無理矢理、やっと下着をはぎとってしまい、 とうとう交わるとこまで行ってしまった。子供を、赤ン坊を生もうとして性交するのではなく、性交したくて、そうするのでも全くない。もし云うことができる とするなら。子を殺すための子を生むこと、子を生まない子を生むこと、つまり、きみ子ときみのあいだに生まれる前の子、その子殺しの性交、もしくは、ひと りの〈死体=死者〉を生む性交を試みたのだと云えるにちがいない。ちがいなかったっ。
 (西村光則「手記〈罪状〉の一片」『ひょうせつ』第54号)

 ここに全部、出ていると思う。この異性との交渉場面は、性的欲望に衝き動かされながら、その快感や甘美さを打ち消そうとする〈分裂の表出〉だ。この表現 は〈固着〉していて、繰り返し現われる。これは親の性的な嫌悪や忌避からの刷り込み(投射)のようにみえた。エッチの場面をこういうふうにしか描くことが できないことは、相手の体のうえで自己劇を演じているだけになってしまう。実際とは違っても、この思い込みは〈強力〉だ。これが資質の根にあるものじゃな いかと思ったよ。誰でも性的には大なり小なり倒錯的だとしてもね。その後、彼は銅版画に没頭していると風の便りに聞いたことがある。また福岡のある場所に 彼が創った造形作品が展示されていて、その写真がネット上に出てたね。『ひょうせつ』という誌名はたぶん「マチウ書試論」からとったものだ。

猫 
そのつづきでいえば、『同行衆通信』は1980年4月創刊、それで第55号(1994年1月)で終刊している。でも、おまえは最後の方は編集 から降りていただろう。

松 
うん。ひとつのことを十年続けると、ボロボロというのは言い過ぎにしても、くたびれるよ。なんでもそうなんだろうけど、長く続けていると重く なるよね。で、身軽になりたかったということもあったね。それで鎌倉諄誠さんに言って、編集(タイプ打ち込みから発送作業まで)から降りたんだ。それで も、根石さん・奥村真さん・中村登さんの三人が、前に出していた『パンティ』という雑誌に誘ってくれたんだけど、じぶんは『同行衆通信』に主力を注ぎたい んで同人にはなれませんと言って断ってる。ほかにも、そんな話があったけど同じ理由で参加しなかった。だから、終刊まで関わっていることには変わりがない んだけどね。それから、この段階で、もうひとつ区切りになることがあった。鎌倉さんの本(『センスとしての現在の根拠』)が深夜叢書社から出ることにな り、その刊行の目途が立ったことだ。じぶんだけでなく、一緒にやってきた先達の著書が刊行されるところまで行けば、じぶんとしてはやるべきことはやったと 思った。

猫 
まあ、生活だって、決して平穏無事ってわけじゃないからな。

松 
うん。それから編集は鎌倉さんがやったり、鎌田吉一や伊川龍郎がやったりした。そして『風のたより』に引き継がれたわけだ。1992年、おれ は二十年近くやっていた建築現場の仕事を辞めて、失業者になった。それで、じぶんの時間が出来たんで、この機会に遊んでおこうと思い、一週間くらいの予定 で上京した。その留守に、鎌倉さんから電話があって、「今度、家を出ることになりました」と云ったそうだ。電話を受けた妻は、東京にいたおれには連絡して 来なかった。おれが動揺すると思ったからだ。で、帰ってくると、実は、ということで、妻から聞いた。びっくりしたよ。なにしろ、二十年以上足繁く通い、家 族ぐるみのつきあいだったから。でも、なにが原因で家族と別居することになったのか、よくわからなかった。また、そんなこと、聞けることでもないよね。そ の頃、たしか鎌倉さんは、弟の通孝さんの珊瑚工芸品の加工の仕事を手伝ってたはずだ。おれの方も、とにかく新しい仕事を見つけないといけないんで、就職活 動に専念するしかなかった。

猫 
もともと、書くことを第一義としてたわけじゃないからな。

松 
そうだね。六〇年代末期から七〇年代初頭のじぶんの体験をずっとしつこく引きずっていて、その体験やじぶんのことに、言葉をあたえたかっただ けだね。積極的な動機を挙げれば。で、それが曲がりなりにもできるようになるのに、たっぷり十年の歳月を要した。だから、おれにとって『同行衆通信』はそ ういうものだった。そのための言葉が、詩であろうと、批評であろうと、他の何であろうと、関係ないよ。とにかく一所懸命やった。だって、『同行衆通信』な んて、和文タイプ打ち放しで、校正なんかやってなかったからね。勢いまかせの誤植だらけの発行物だったんだ。それで十年、やってきたんだ。また、それがで きた背景としては、仕事が割りと気楽で、一日の労働を終われば、あとは全然それに拘束されることなく、すぐに切り替えることができた。だから、続けられた ような気がするんだ。でも、周りからすれば、金(稼ぎ)にもならないことに入れあげて、むきになってやっているとしか映らなかったはずだ。変な趣味みたい にね。それは一定の理解を持っていたって、そうみえたはずだ。また付随することでいえば、俯き込んで続けていると、しだいに深みにはまり込んでゆく。これ は外側から眺めているものとの乖離をどうしても生むよね。気がつくと、夕暮れになっていたみたいに、家族の間でも、いつの間にか溝ができてたっていうこと もあり得るからね。なにはともあれ、よく続けられたと思う。だが、これからは難しいと思ったね。それどころか、高校中退で、手に職もなく、体力もないおれ に、容易に新しい仕事が見つかるとは思えなかった。覚悟をもって臨まないと、仕事があるとは思えなかったね。

猫 
それで、やっと印刷屋に就職したわけだ。でも、おまえはすでに本を出してただろ。

松 
なあに、それはね、二階のベランダが鉄製で、雨の多い高知ではすぐ錆びるんで、ペンキを塗って補修しないといけない、これはかなり面倒だっ た。それに鉄は重いからね、家屋に負担がかかる。それで『意識としてのアジア』で貰った印税でアルミ製のやつに替えた。また、『アジアの終焉』の印税は、 うちは路地の奥まったところにあるんで、近所のガキどもの遊び場としては絶好なんだ。それで、うちの門は木の戸だったんだけど、ガキどもはそれをサッカー のゴールに見立てて、ボールを蹴り込む。そんなこともあって大分壊れかけていたんで、これもアルミ製の物に替えた。その程度さ。だから、そっちでやって行 けるなんて考えたことはないね。最初から、もの書き、詩人でも評論家でもなんでもいいけれど、そんなものになろうとも、なれるとも思っていなかった。そん なことは、ほんとうはどうでもいいことだ。体力もその他の能力も、「並」以下だという思いがずっとあって、それを本能的にカバーするために、じぶんにとっ て内なるものはあったと思う。その打ち消しも含めて、消極的に延長上のところにいるだけさ。ただ、おれの拙いものを認めてくれた人たちがいるから本になっ たんだ。だから、その厚意を裏切ることなく、どんなかたちにせよ、情況への関心を持続し、依頼があれば、できることなら応じようと決めた。それがいまで も、じぶんを支えている最大のものじゃないかと思っているよ。話を戻すと、鎌倉さんが家を出るまでは、おれんとこと歩いて五分くらいの近くだったけど、別 居してからは住む所も離れた。鎌倉さんは持病をかかえ、そのリハビリに努めていた。おれの方も新しい職場で精いっぱいという感じだった。だから、殆ど行き 来は無くなっていた。そして、『同行衆通信』は終刊を迎えたんだ。

猫 
しかし、それはおまえの事情と思いだろ、鎌倉さんがどう思っていたかは別だな。

 ごらんの通り紙面は元気ですし、北海道から沖縄まで読者の方もいて下さるのですが、 私は力尽きてしまったようです。(中略)
 三年と少し前、私は、珊瑚加工の仕事柄の加味されたケイ椎症といわゆる五〇肩で腕が上がらなくなり右足がまともに進めなくなって倒れて、一ヶ月程仕事を 休みました。それ以来、時々ハリやアンマに通うほか、毎日帰宅すると、自らケイ椎の牽引からほとんど全身の凝りのつきくずしもみほぐし柔軟体操、軽い運動 といったことを際限もなくつづけ、それでまた疲れ切って眠りにつく、といったような生活をつづけてきました。それでも、そうしてどうにか日常性を維持しな がら〈もう少しなんとかなれば〉〈もう少しなんとかなれば〉と思ってきたのですが、十月のある日、いつものように近所の公園で、果てしのない柔軟体操をあ きらめて軽く駈け足に移っていた時、ふっと〈もう、こういうことでしかないのだ〉という思いがやってきて、ストッと腑に落ちてしまいました。力尽きたのだ と思いました。ここで切りにしなければ、今度はそれすら覚束なくなってしまうにちがいありません。よくも悪くも言い出しっぺであったものとして、この辺で 始末とさせていただきたいと思います。
 (鎌倉諄誠「本号を以って同行衆・同行衆通信を廃刊いたします」『同行衆通信』第5  5号1994年1月)

 これが鎌倉さんの終刊の挨拶だ。

松 
鎌倉さんは1938年、高知県吾川郡名野川村北川の生まれだ。一時ペンネームに使っていた「北川四郎」というのは、ムラの名前と四男から来た ものだと思う。仁淀川上流の石鎚山系の山奥だ。それで、中学校卒業と同時に、集団就職で「近江綿糸」に就職したんだけど、大きな労働争議が起こり、自宅待 機ということになり、郷里に帰った。それから、家の農業を手伝いながら、地元の隔日の定時制高校に通っている。そして、高知大学に入学した。ちょうど安 保・勤評闘争の時代だ。高校の先生は法科を目指すように言ったらしいんだけど、本人は文科を選んだ。本人から聞いた話では「夏目漱石の小説に感銘し、大学 の文科は漱石みたいなことをするところだと思っていた」そうだ。それはおおいなる勘違いだったわけだ。それから当然のように時代の波をかぶり、その過程で 先輩の勧誘で日本共産党に入党している。この時代、花田清輝なんかの影響をかなり受けたようだ。それで、党活動のなかでも、独自の位置をもって活動してい て、結局除名されている。この辺りは、時代の隔たりもあり、おれなんかとは全く違う。

猫 
鎌倉さんは1964年にAVANT GARDE POEMSと銘打った『それでも なにかのひょうしに あなたの面貌がくるりと一回転して 反面になりそうな期待が 絶えずわたしを襲いつづける』という 仲間との合同詩集を出している。それは地元では話題になったみたいだな。それで、この作品集は地元の喫茶店や病院や居酒屋などの文化活動に理解のあるスポ ンサーを得て、その応援で刊行されていることが、実物をみるとわかる。

松 
そこら辺も違うね。おれなんか根からの劣等生で、そういう界隈とは一切無縁だし、向こう側からはいまでも、その資格に欠けると見なされている だろうからね。鎌倉さんは違ったはずだ。もともと、芸術的素質があって、文学だけではなく、演劇や音楽や絵画などにも造詣があった。むしろ、政治運動に吸 引されたことで、その可能性が殺がれたような気がするね。

 頑として 定年まで
 市役所臨時職員を通した
 それがあなたの
 戦後無頼派やダダイズムの風にふれた
 何かといえば夜昼ない放蕩にはしる風狂者としての
 ひそかな自戒とシャイな矜持のかたちだった
 そんなあなたをぼくはどこかかなしみながら
 どこまでも気軽に自由に振舞わせてもらった
 山下清昭さん
 一九九〇年一一月二四日
 の夜はすてきだった
 人のいいキリストのような貌をして
 長いいきさつ話の後
 あなたは背枕にもたれ
 大きくなった空っぽの澄み切った眼の奥をまさぐりまさぐり
 息を継ぎ足し息を継ぎ足し
 こう言った
 芥川を馬鹿にするものがおるけんど
 ぼくはそうは思わんねえ
 「人生は些事を愛さねばならぬ」
 たとえばこの一行がその辺に突立ちゅうと考えて
 朝起きて顔を洗って飯食って職場へ行く
 帰ってまた飯食うてセックスして
 その繰り返しが日常だとしたら
 その中に含まれてちょってそれに耐える
 なにかが
 ぼくは詩じゃあないろうかと思う
 日常言うてもとらえどころがないみたようなものじゃあけんど
 ただみなワイワイやりゆうにかあらんようにもみえるけんど
 そのワイワイやりゆうことが
 大事なことじゃないかと思えてきた
 ぼくには何も言うことがなかった
 肩痛こらえ鍼灸院の門限を気にしながらここまできて
 あわててまた来ますと挨拶すると
 傾いてニッコニッコと歩いてくるいつもの顔で
 あなたはまっ白な手を差し出した
 (鎌倉諄誠「山下清昭さん」『同行衆通信』第48号)

 たぶん、その頃からつきあいのあった知人を病床に見舞いに行った時のことを書いた〈追悼詩〉だ。この人は一度だけ見かけたことがある。ある夏の夕方、鎌 倉さんの所へ行ったら、家の前で二人が話していた。痩せた長身で、それこそ芥川龍之介に容貌が似ていた。その「山下さん」は長い間高知文学学校の世話役を していて、その運営誌である『高知文学』に作品を発表して、生涯文学への執着を捨てなかった人だと聞いた。鎌倉さんはその意味では、顔が広かったんじゃな いかと思う。1969年11月の新宿騒乱で負傷したときも、その手術費のカンパはその界隈からも集まったんじゃないかな。選挙制度が変わり小選挙区にな り、高知県も三つの区に分割されて一人区になっても、衆議院の議席を獲得したぐらい日本共産党や日教組の強い土地柄なんで、新左翼なんていったら、それこ そ「裏切り者」「人民の敵」ということになるんだけど、そこを突破できるだけの人格的なもの(人望)があったということだね。

猫 
「人民の敵」かよ、日本共産党が人民の何を代表しているというんだ。その神話は完全に霧散したぜ。日本共産党の下部組織の基本は、「民商」が その典型のように囲い込み戦術だ。組織やイデオロギーに囲い込こむことはあっても、決して組織を開くことはない。だから、全社会的な課題に現実的に到達す ることができないんだ。いくら〈党派〉的な綺麗事を並べたって、そんなの、駄目に決まっているぜ。日共に限らず、左翼の〈党派〉性は依然として残存してい て、例えば中国から輸入した餃子に毒が混入していた一件でも、輸入やその販売に関与した生活協同組合なんか、組合員の生活と健全な食を守ることをほんとう に第一の目的としているなら、その原因を政府の意向や政治的利害を越えて、徹底的に追及して「生協」の組合員に報告すべきなんだ。ところが、中華人民共和 国は社会主義陣営という政治的信仰からあいかわらず脱することができないから、有耶無耶のうちに済ましてしまった。ふざけるな、とはこのことだ。チベット 問題やウイグル問題を持ち出すまでもなく、どの観点からみても、中国が社会主義国なんて言えないことは歴然としている。初期社会主義者が描いた理想の実現 とはほど遠い。中国共産党独裁の社会国家主義だ、しかも、漢民族のリードする。それに、どうして「農工民」なんて言われる、出稼ぎの賃金もろくに支払われ ない最下層の労働者群が存在するんだ、むかしの日本の「土工」みたいな。「人民解放」が毛沢東の、中国共産党の、謳い文句だったはずだ。ところが、貧富の 格差は現在の日本以上だということは明白だ。まあ、歴史の厚みと大陸的な風土のひろがりは、島嶼的なこちらの感性では量りしれないところもあるだろうけど な。

松 
鎌倉さんは一時期、演劇活動をやってたとのことだ。秋元松代を尊重してて、いずれは秋元松代論を書きたいと言っていた。それから、ジャズはよ く聴き込んでいたんだと思う。絵画も、一時デザイン関係の仕事をしていたらしいし、通孝さんが「県展」の洋画部門で最優秀賞を受賞した時、画家を目指した いと言ったらしいんだけど、「絵は言語の表現とは違って、労力も時間も費用もかかるからね、それで返答に困った」と言っていた。その最優秀作はとても繊細 なのに奥行きがあって、おれみたいな絵心のないものが見ても、良いものに思えたよ。思想が世界認識の根底を決定づけるものだとしても、「考えてもごらんな さいよ。思想がかつて、本当の意味で人間を幸福にした例が、どこかにある?」という新井千裕の作品のセリフのように、思想なんて苦しいものだ。まして、政 治(運動)なんて途轍もなくくだらないものだ。情況の後退局面で引きこもりみたいにして、持続する意志を貫いた面もあるかもしれないけど、それは判ってい て、暗黙の前提になっていたと思う。そんなものを上位に置くものは、みんな権力と支配に通底してるんだ。その本質的な否定としてしか思想も運動もないはず さ。

猫 
まあな。人間の全的解放にとって、政治的解放なんてほんの一部分だし、個の実存にとっては、その背景を規定するにすぎないと思うな。存在は意 識を規定するというテーゼだって、社会経済構造が人間存在を支配するという唯物史観の定式ってことになっているが、そんなふうにわしらは生きていないぜ。 大きくいえば、意識は存在の規定を逃れらないことは言えるさ。江戸時代に生きてた者が、インターネットでの通信や航空機での移動などを現にあるように思い 描くことはできなかったはずだ。鳥みたいに自由に飛んで行きたいと思ったり、じぶんの思いを一瞬のうちに伝授したいと思ったことはあってもな。そこでいえ ば、人間は時代(世界)の制約から脱することはできない。それぐらいの規模をとれば、意識は存在に規定されるということになるかもしれない。しかし、社会 経済構造とその階級性が、そのまま個々の意識をリードするなんてことはないぜ。つまらない矮小化だ。

 98年9月、突然の豪雨が高知市を襲った。24日の夜から25日の未明にかけて総雨 量900ミリ余り、高知市の一時間雨量130ミリというまったく体験したことのない異常な豪雨に見舞われた。付近の道路は寸断され、私の住んでいた越前町 の道路をはさんだ北側や南側は床上まで水没した。空には龍を思わせる黒雲がうねり、無数の雷が 何の規則性もなく天球に弾けていた。テレビ・ラジオでは市 内のアーケード街が冠水し、市東部も国分川が溢れ泥の海に飲まれていることを伝えていた。この世の終わりが来たかのような豪雨の中で私たちも家屋の浸水を 覚悟し、最後の財産を二階に上げその時を待った。しかし幸いなことに越前町は水に浸かることがなかった。後に分かったことであるが、まだ高知市のほとんど が海であった紀貫之の時代に越前町は今の高知城がある小山の麓にあたる陸地であったことが幸いしたのであった。
 市東部の大津に住んでおられた鎌倉さんとの連絡はこのときから途絶えてしまった。
   (金廣志「鎌倉さんの思い出」『猫々だより』第53号)

 この事情は金廣志とまったく同じだな。

松 
鎌倉さんは家を出たあと、アパートの一室を借りて住んでいた。一度も訪ねたことはなかったけれど、確か一階といっていたから、この災害を免れ ることはできなかったはずだ。その当時、鎌倉さんは珊瑚加工から珊瑚店の営業販売に転じていたから、営業で県外へ出ることが多く、留守だった可能性が高 かった。もちろん、心配だから電話したけれど、つながらなかった。

猫 
鎌倉さんは2003年4月12日島根県の出張先のホテルで倒れて、亡くなった。

松 
うん。それで最後に会ったのが、『同行衆通信』の終刊前なのか、その直後なのか、定かじゃない。これはなんとも言えない感じだね。ただ、最後 に電話で話したのは、よく憶えているよ。伊川龍郎の初めての本(『休日の村上春樹』)が、沖縄のボーダーインクから2000年5月に刊行された。このこと を、どうしても伝えたかった。それで、意を決して、鎌倉さんの勤めている会社へ電話した。連絡を取りたいから電話番号なり住所を教えてくれと言ったんだけ ど、家族でなければ教えられないと言われた。それでも、おれは引き下がらなかった。古い友達だといい、どうしても連絡を取りたいんだと言って粘った。そう したら、こちらの電話番号を言えと云った。本人から連絡するようにするから、ということだった。そして、秋田県に出張していた鎌倉さんから電話がかかって きた。それで話をした。それが最後だ。

猫 
………。

松 
おれはこの話で、迂闊にも、初めて気がついたことがある。おれはじぶんが詩が書けなくなったのは、自然発生的な書き方から、意識的な書き方に 転換しないといけないところで、書けなくなったと思ってきた。それはじぶんの表現意識としては事実なんだけど、振り返ってみると、『同行衆通信』の終わり とともに、詩が書けなくなってるんだ。これには正直驚いたよ。それがじぶんにとって、鎌倉さんがいかなる存在だったのかを、告げていると思う。
 (2009・8・8)




(2)

松 第45回衆院選はおもしろかったね。

猫 
ああ、画期的な結果になったな。おもしろかったのは開票速報だけどな。民主党がこれほど大勝するとは思ってなかったな。自民党の自滅という側 面と、小沢一郎「自民党つぶし」の成就ってことだろうな。民主党308議席、自民党119議席だから、完全に勢力図が逆転した。

松 
ところが、高知県は全県三区、自民党独占という全国的な流れに逆行した結果になった。それだけ、高知県は疲弊してどん底だということだ。なに しろ、高知県の県民一人当たりの平均年収は171万円ということだからね。自民党の民主党の政権になれば、もっと公共工事は減り、地方は閉塞するという威 しに屈したんだ。それと民主党の三人の候補が、いずれも何の実力もない女性候補で頭数を揃えただけって印象のうえに、素人としての魅力も乏しかったから、 自民党の凋落は分かっていても、顔ぶれを較べると、やっぱり現職の方が頼りになると思ったんじゃないかな。

猫 
貧すれば鈍すで、比例区も含めると全国で唯一、高知県民は野党議員ばかり選出したことになるぜ。

松 
そうだね。

猫 
小沢の刺客送りはよかったな。長崎2区へ薬害肝炎訴訟のふくえり(福田衣里子)を送りこみ、久間元防衛相を蹴落とした。また森や福田の総理大 臣経験者に対しても、女子アナなどを当てて、出口調査では「森」は伐採されたかもしれないと思わせたほどだ。結果的には3千票差で森が当選したけど、冷汗 を流したはずだ。公明党の太田代表をする党幹部は刺客にやられて落選だ。野次馬としてはサイコーの気分だったな。ところで、おまえは投票に行ったのか。

松 
行ったよ、ふだんは行かないけど。もし投票率が全体の五〇パーセント以下なら、選挙は無効、全員落選ということになり、立候補者は総替えで選 挙のやり直しとか、あるいは今期は議員無しということになるのなら、おれは絶対に選挙に行かないよ。まともに相手する気もしない政党と、あまり顔も見たく ない候補者から、誰かを選ぶ気なんか無いからね。しかし、そんな高度な選挙制度じゃないから、こっちが棄権しようがしまいが、お構いなく議員は選出される 仕組みだからね。

猫 
これで、すこしはおもしろくなるといいな。

松 
まあ、どうなるにしろ、民主党にやらせてみることは悪くないよ。おれのすぐ上の兄なんか、選挙なんて全然関係なかったんだけど、土方仕事もな くなり、食いつめて、田舎に引き込んだ。で、ずっと自民党政権でやってきて、田舎は廃村同然だし、じぶんも無職渡世に転落したんで、こんな政治はもう駄目 だということで、民主党へ投票したとのことだ。それでも現職の壁を破ることはできなかった。

猫 
今度の選挙では、どの政党もマニフェストを掲げたわけだが、その中で、幸福実現党(幸福の科学)が、北朝鮮のミサイル攻撃から日本を守るだ の、消費税を廃止するだの、といってたが、そんなもの、宗教団体のたわごとで、殆ど誰も相手にしないから問題にならない。北朝鮮に、ほんとうに戦争する 〈国力〉があるはずがないぜ。そんなことは、これまでの戦争を分析すればすぐ判ることだ。どれだけの兵力や武器や費用などの〈国力〉を要するか、考えてみ ろよ。ところが、たかがロケットの打ち上げや核武装の準備ぐらいで、それが戦争につながるがごとく思うのは、お粗末な空想にすぎない。そんな子供騙しの宣 伝に乗るのは馬鹿なことだ。あんなもの、何の脅威でもないぜ。北朝鮮なんか自壊寸前だから、核開発なんかちらつかせて、外交戦略にして国際的な援助を引き 出そうと政治的綱渡りを演じてみせているだけだ。あれが国内的にリッチで、対外的にも余裕があれば、あんなことをするはずがない。つまり、「国家」間の政 治的な〈外交〉問題になり得るかもしれないが、全く現実的な課題にはならないことは自明だ。ところが、その位相の違いや断層をわきまえず、政府やマスコミ の反北朝鮮キャンペーンにつられて、「防衛」や「軍備」について口出しする、だらしない連中が、左翼の中にも結構いるぜ。そんなのは、みんな「幸福の科 学」と同列だ。それより、日本共産党の食糧の自給率を五〇%にするというのは許せないと思ったな。こんな出鱈目なことがよく言えるものだ。中山間地の農村 は荒廃の極みで、限界集落や崩壊集落になっている現状も、農業就業人口は減る一方で回復する可能性はないことも、また輸入に依存するほかない食糧事情も、 全部頬かぶりして、虚妄なる主張をやるなんて、たわごとを通り越して、悪質なデマゴギーだぜ。だいたい、日本共産党にちゃんとした農業論や社会構想がある はずがない。それは実際的に問いつめれば、すぐ露呈するはずだ。こいつら、いまだに一世紀以上前のエンゲルスやマルクスの農業論を下敷きにして、それで農 業問題が解決できると考えているんだ。汗の染み込んだ土地に対する農民の土地の所有意識を問わないことにしたって、日本の狭い耕作地で共同耕作や協同農場 なんか展開できない。せいぜい、今農協がやっている協同管理と共同出荷のシステムが上出来で、これを越えるだけの構想も実践力もいまのところ難しい気がす る。日本共産党の中央委員会の密室作成の党方針なんか、農業問題に手が届くはずがないのさ。自分たちの運動の基幹をなすと考えている労働問題だって、まっ とうな運動もできないのに、笑わせるな。似非インテリ集団でしかない日本共産党にそんな実力がもしあったら、日本共産党へ一票投じてやるさ。

松 
わかるよ。何の展望もなしに、農民層に取り入ろうとしてるだけだ。おれは去年の年末の派遣切りで職業難民を一時的でも救済するための「年越し 村」を開設したのは圧倒的に良かったと思ってる。それで、「介護」関係は人員が不足しているから、そちらへ向けてハローワークなんか斡旋をしていたけど、 老人の下の世話ひとつで、希望者の半数は脱落しているんだ。そこをクリアーしたとしても、介護の仕事は大変で並大抵じゃない。

猫 
そう思うな。

松 
おれが小学校のころ、同級生の中に開拓村のやつがいたんだ。敗戦で引き揚げてきて、生活の場が無いものが、山の上の山林を切り開いて開拓村は 作ってた。それで、そこからくるやつらは、おれなんかよりも貧しい気がした。おれんとこも、兄なんか靴なんか買っても貰えないんで、通学するのに藁草履 だったらしい。おれなんかになると、黒ズックだったけどね。それ以上に見えたね。それで苦労して開拓した村は高度成長期に入り、みんな都会へ働きに出て、 一代限りだ。それどころか、いまや昔からの村だって廃村になっている。そこで、地方へ行けば、結構いい土地が空いているし、そんなに難儀しなくても生活を 営むことができる余地はある。それは慣れるまできついだろうけど、頑張り甲斐があると思うな。

猫 
まてよ。おまえなあ、そんな開拓民や移民の奨め、ひいては無宿人狩りになりかねないことを言って、恥ずかしくないのか。そりゃあ、日本共産党 のアホ話に調子を合わせると、そんなことを言ってみたくなるのも判らないわけじゃないけどな。そのインチキさが移って。それは緑豊かな田園風景は眺めるに は申し分ないさ。わしのふるさとなんか、いまや猪とモグラと烏の楽園だ。で、怠け者の自分のことを考えると、草、ひとつ取ったって、草はどんどん生い茂る し、雪掻きほどじゃないとしても、草刈は面倒でやちゃいられない。それに感覚的にもすっかり退化して、いまや蛇を見ただけで心臓が止まりそうになるくらい だ。また体力的にも、とても田舎暮らしはできそうもない。だから、はじめからそんなことを言う資格に欠けるぜ。

松 
……。自殺者が年間三万人を越える現状を考えると、公党なら責任をもって何とかしろ、食糧の自給率五〇%を目指すというのなら、その具体案を 出せと、おれは言ってるだけだよ。

猫 
それはどだい無理な注文ってもんだ。日本共産党なんていまでも、やがて資本主義は行き詰り、崩壊するのは歴史的必然で、革命が起きる。そし て、自分たちが権力を掌握する日がいつか来ると信じてるんだ。そんなの妄想だって言ったって、本音のところでは聞き入れはしねえよ。やつらの得意な「科学 的」とか「建設的」とかの口癖とは裏腹に迷信から脱け出ることができないのさ。で、中国共産党やその他の社会主義勢力をどこかで空頼みしながら、批判的勢 力として党勢を拡大してゆけば、いずれはと思ってんだ。ほとんど病気だぜ。で、それこそ、この連中の口癖の「現実を直視した」ことなんかないんだ。いまの 自分たちの実力で何が出来るか、ここまでは現在の政治状況でもできるってことを、明確にして、その目標に向かって精一杯取り組むなんてことはやりっこない のさ。その先にしか政治革命の可能性はないのに、一般労働者のことなんか何も考えちゃいないぜ。もっと言えば、今度の民主党の勝利を「夜明けは近い」と 思ってるのさ。民主党の政権が失敗したら、いよいよ真打ちの登場だとね。昔、どこかで社会民主勢力が破綻したあとに、出番が廻ってきた時のように。そんな のが通用する時代かよ。

松 
そうだね、日本共産党みたいな大看板を掲げた錯誤的な勢力よりも、「年越し村」を開設したような、小さくても動きのいい活動グループの方がい いよね。党利党略も、じぶんたちの陣営に水を引くことも、あまり無いと思えるからね。それに民主党は、自民党の旧田中派を軸にした寄合所帯だ、間違っちゃ いけない。おれが最近いちばん腹が立ったのは、JT(日本たばこ協会)だ。未成年の喫煙を防止するためにという名目で、自動販売機でのタバコの購入にはタ スポを必要とするようになった。ところが、JTはタスポによる顧客の購入履歴のデータを検察(および警察)に流していることが公然の事実となったんだ。そ れはこんなものが出来た段階で、こうなることは予想された。この〈高度情報管理社会〉だ。「個人情報保護」を建前にしながら、その裏で「個人情報」は売ら れているし、鉄道・バス共通のICカードの利用データも、公権力に筒抜けだ。電話の電波は簡単に傍受できるし、クレジット・カードの利用データだって管理 されてる、コンビニやスーパーマーケットに行けば常に防犯カメラが作動しているからね。向こうからは丸見えで、じぶんも知らない自分の情報をあっちが持っ ていても、ちっとも不思議じゃない。だから、そんなことに神経質になっても無駄だし、いまさら隠すこともなければ、逃げる理由もないから、好きにすればい いと半ば諦めているさ。それでも、JTが頭にきたのは、こいつら平気でタスポを作った段階で顧客は、公権力への情報提供は了解済みだとぬかしやがったから だ。そんなことは、どこにも銘記されていない。ただ、タスポの所有権はJTにあるとされていて、それを拡大解釈すれば合法的ということになるんだろうが、 こちらは騙し討ちにあったみたいなものだ。なによりもその平然たる居直りが許せねえ。

猫 
JTのペテンは見え見えだぜ。やつらは嫌煙権運動に押されて、CMでは喫煙マナーを守りましょう、タバコのパッケージには有害ですなんて、わ ざとらしく記載しているが、テレビドラマなんかの中では木村拓哉などを使って、やたらと喫煙シーンをやらせているだろう。隠れCMだ。おまえ、やつらへの いちばんの反撃は、きっぱりタバコを止めることだ。

松 
そんなことは判っているさ。おれもタスポは破棄する。ただね、建築現場なんかで一仕事終って一服つけるのはこたえられないからね。漁師なんか 漁を終えて、潮風に吹かれながら吸うのは最高だと思うよ。ところが、嫌煙権運動の連中はなんでも一律に禁止すべきだと、まるで正義のように主張する。冗談 じゃないよ。それはおれだって、所構わず吸いはしないよ。病院の待合室や電車の中や、明らかに他人の迷惑になる場所ではね。そんなの常識問題で、運動なん かにすることじゃないだろう。むしろ、こいつらの知識の構造が問題なんだ。唯脳主義のバカと同じように、なんでも頭で理解できると思っている。それで問題 を平板に捉えて、タバコは有害だからみんな止めるべきだという主張は、どこでも通用すると信じて疑わない。事務の女性が昼休みや一日の仕事を終って、職場 の上司や同僚の視線のないところで、喫煙しているのをみると、一本のタバコで、どれだけ心が寛ぎ、気持ちが安らいでいるだろうと思うよ。それに対して体に 悪いなんて云えるか。心身のバランスからいっても、そんなことは云えないんだ。ほっといてくれてんだ。嫌煙権運動が特権的な横暴だとするなら、JTっての は面従腹背の悪企業さ。それで嘘の清潔ごっこだ。こんな世相だから、おれは粋がって、「酒とタバコは人生の楽しみだから、なんと言われようと止めない」な んていったら、そばで聞いていた義兄に、「そんなこといってるが、実際、歳くって、からだが思うようにならなくなってみろ、酒やタバコなんか真っ先に止め る」、自分がそうだったって、云われたよ。返す言葉はなかったね。

猫 
そういうことは、面々御計らいというのが原則だ。

松 
文部科学省の指揮下で全国一斉学力テストを実施して、その順位を公表して、バカ騒ぎをやってるだろう。そんなものでほんとうの学力なんかわか りっこないよ。学力は人間の全能力の一部にすぎない。その学力にしたって、判断力もあれば、思考力も、応用力も、記憶力もあり、そのフィールドは恐ろしく 広いはずだ。たかが暗記力を競って、どうだこうだ云っても無意味だ。だいたい、インターネットに出てるさまざまなデータを見てても、ただデータを並べてい るだけものが多いような気がするね。つまり、空箱だけを集めて中身は空っぽってやつだ。ひどい場合を考えると、ある著作があると、その本を読んだことも、 手にしたこともなくても、書名のデータだけなら集められる。それを羅列しただけでも、情報としては一応の体裁を呈するからね。で、作家の年譜なんかにして も、他人の苦労して集めて作ったものを、ちゃっかり拝借して、それで、いかにもそれらしい体裁の下に公表するケースだってあるんだ。で、滑稽なのは、他者 の作成したものを参照するのはいいが、そのあと、じぶんがそれに当って確認しないから、間違った箇所はそのまま踏襲することになる。巧く上前をはねたつも りでも、すぐに馬脚をあらわすのさ。

猫 
そんなこと言っても通用しないぜ。そんな安易なやり方でも、既得権を獲得すると、権威をもつからな。それは学力テストとその結果の公表に対し て、都道府県の行政から教育委員会、学校関係者から父兄まで、躍起になっているのと同じだ。学力なんかより、ずっと大事なことがあることを大人たちが示せ なくて、未来なんてあるはずがないぜ。子供たちがこんな連中を踏み越えて、自在に振舞うことを願うだけだな。

松 
おれ、吉本隆明に関しては少しは知っているんだけど、例えば雑誌『現代思想』の特集号(2008年8月増刊)なんかひどいね。ろくにその著作 すら読みもしないで書いている奴が多過ぎるよ。最首悟なんか文庫本の『マチウ書試論・転向論』をタネに、わけのわからないエッセイを書いているんだけど、 その文庫本の解説を踏み台にしていて、その解説の執筆者を「月岡敏行」なんて書いている。最首が月村敏行のことを何も知らないにしても、言及するなら、少 なくとも相手の氏名くらい間違えずにちゃんと書け、このバカ全共闘が。

猫 
最首って、元東大助手だろ。この男は、吉本の「頽廃への誘い」を全く理解することが出来ずに、1969年にくだらないことを書いて雑誌に発表 し、それを批判されたことにこだわっているだけだ。それから40年近く経過したというのに、相変わらず腑抜けの繰り言を並べているんだ。おまけに最首は、 吉本隆明の「冬」という詩を『少年』という近年の本から取り出して、変な「こじつけ」に「こじつけ」を重ねているが、そこから推察すると、この男は吉本の 『初期ノート』も、詩集も、まともに読んでいないことになる。こんな弛んだ姿勢で、じぶんたちの敗北と挫折を越えることができないのは当り前だ。

松 
まあ、凄まじいことになってるね。『吉本隆明詩全集』第1巻の解説を書いてる城戸朱理なんか、その解説で「『親鸞 信の構造』と題する大著を 著すことを思えば」なんて書いているよ。なにが「大著」だ、吉本隆明にはそんな書名の本は無い。この野郎、ほんとうに吉本の親鸞論を読んでいるのかと疑い たくなるよ。こんな野郎が詩人づらして、毒にも薬にもならない学生のレポート同然の、無内容な「解説」なんか書いているんだからね、絶句するよ。

猫 
しかし、両方ともそうだが、担当の編集者がそれくらいことは原稿段階で指摘すべきじゃないのか。

松 
それができないから、こういうことになってるのさ。社会が荒んできているように、知的な界隈も荒廃の度を深めてるんだ。もともと最首悟や城戸 朱理なんて関係ないし、また、こんなことは取り上げるに値しない瑣末なことかもしれない。しかし、これが政治から社会、思想から教育にいたるまでの大枠の 根本的な頽廃が、こんなところまで達しているとするなら、こういう言説や態度も無批判に放置すべきじゃないと思う。子供たちに「学力低下」なんて言うまえ に、じぶんの言ってることや、やってることを内省しろ、だ。
 (2009・9・30)



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