蛸足日録

帳面に手書きのものに、改まって酒を飲んで加筆

根石吉久



六月一日

 松岡さんから「快傑ハリマオ」創刊号用のフロッピー届く。
 庭のテーブルでお茶。
 詩の雑誌・「ミッドナイト・プレス」が発行されなくなってから、松岡さんが書くものがなかなか読めなくなっていた。ときどき松岡さんのものを読まないと 考えのボディがなまり、ネットで言葉を荒らすことが続くだけになる。松岡さんに書いてもらおうとしたのは、溺れるものが藁をつかもうとしたことなのだ。そ ういう人は他にもいるに違いない。そういう人に「快傑ハリマオ」を手渡そうと思う。
 郵便局で、英語レッスン代金受け取り用口座から三万円おろす。D2で、鯉のぼり用にロープ買う。八〇〇円余。バイク用ゴム紐三〇〇円余。モルタル用鏝三 〇〇円余。ノート、ボールペン各一〇〇円余。
 ノートとボールペンは日記をつけ始めるため。日記をつけておいて、後で、「快傑ハリマオ」の原稿にしてしまおうという魂胆。パソコンでじかに書いてもい いのだが、昼頃起きてそのまま普段の仕事机に座りたくないときがある。起きてすぐにパソコンを立ち上げようとすると、胸焼けのような感情、強い嫌気があ る。パソコンのハードディスクの回る音を聞くと嫌悪感がもやのように体の周りにただよう気がする。
 ツーバイフォー材の余った材木で作ったテーブルを娘が庭のテラスに出した。ここで、テラスでお茶を飲むという優雅がやれる。五万円もつかって、キャンバ ス地のシートで屋根もかけた。九八〇円のキャンプ用チェアは、娘がD2で買ってきて置いてある。わずか五年半で、けやきの株立ちがずいぶん茂り、通りから ほとんど庭の中が見えなくなった。手書きで、日記を、書くべし。つかの間、優雅を、やるべし。
 「快傑ハリマオ」には、ネットの掲示板「大風呂敷」の過去ログからピックアップしたものをそのまま原稿にしてしまおうと思っていた。電話で松岡さんにそ う言ったら、松岡さんが黙った。何か新しく書く方がいいと言われたわけではないが、そう言われたと思った。ノートとボールペンを買おうと思った。
 D2の買い物をバイクの後ろにくくりつけ、庭木、立木を切ったものを市がチップにしている場所に行く。市報に無料でチップをくれる日が載っていることが ある。その日以外でも、軽トラックを乗りつければ、重機で荷台に積んでくれるのかどうか訊きに行く。昼時のせいか誰もいない。帰宅する。腹が減ったが、昼 飯ができていない。畑までバイク。夏野菜の苗は元気。キヌサヤエンドウいくつかみつけ、ポケットにつっこむ。携帯電話から家にかける。女房は軽トラックで 家に帰る途中で、畑に向かう私のバイクとすれ違ったとのこと。気づかなかった。タマネギ三玉抜き、バイクにくくりつけて再度帰宅。きのう孫と千曲川で釣っ たなまずが台所で死んでいた。なまずをビニール袋に移し、冷蔵庫の冷凍室の下に入れる。蒲焼きにして食う予定。
 家の前の公園で、カラシナの菜の花を放置しておいたが、種がはじける寸前になっている。手で折ると種がはじけてしまうから、根元の茎を鋏で切って握り、 道沿いに叩きつけて歩く。去年も同じようにして種を撒いた。途中で第一食目。食後、日記をつけ始める。
 再度バイクでチップ製造所へ。鎖のひとつは開いていたが、やはり留守。そのまま畑へ。土の表面が露出しているところへキノコクズを薄く撒く。埋め忘れて いたアンデスレッドの小芋が小屋にあったので、二〇個ほど土に埋める。すでに芽を出したメイクイーンとアンデスレッドの根元の草をむしる。芝草っぽいもの だけ根まで抜く。スギナ、ハコベなどは根や根元を残し、茎の途中から手でむしる。道具も何も要らない。手でむしるだけ。弥生式以前。
 帰宅。女房とシゲルの陶房へ。シゲルが集めたリンゴの木をくれるというので、軽トラックで行く。手鉤を持っていくのを忘れたので、難儀する。あまり太い のは敬遠した。汗だくで帰宅。軽トラックから手鉤で丸太を降ろし、薪割り機を引きずり出す。この機械は四万円弱だがすぐれもの。これがあれば、あと十年ほ どは薪ストーブが焚けるのではないかともくろむ。十年たてば、孫にバトンタッチしたいというのが獲らぬタヌキの皮算用みたいなもくろみ。みっしりした太い やつは四万円の機械では割れないが、たいがいは割れる。剪定が多く節だらけのものでも、太い幹でなければ割れる。割れるというか、破壊してしまう。この機 械はコンデンサーで電気を溜めて瞬発力を作っているようだが詳細はわからない。
 途中で尾米川沿いの垣根に、はびこり始めた葛の茎を切ってしばる。去年の枯れた茎も使う。単にからめるだけでも、朝顔は巻き付いて登るだろう。この作業 がけっこう楽しくて、風呂に入る時間をのがす。あわてて飯。あわてて英語のレッスンに突入。レッスン後、掲示板「大風呂敷」の手入れ。『「磁場」vs. 「教室」対素読舎』書く。書きながら、缶ビール4本飲む。朝方寝る。



六月二日

 一一時頃起床。酒のせいで胃が弱っている。レッスン直前に飯を掻き込むのもよくないのだろう。孫と「インド鉄道紀行」の素読。娘が近くでビデオを撮って いるので、孫がわざとちゃらんぽらんをやり、役者をやってしまう。娘に向こうへ行かせる。
 昼飯。庭のテラスでナマズの蒲焼き。晴れて暑い。
 食後お茶を飲んでいると、孫がゴーオンジャーのDVDを借りに行きたいとせがむ。長芋を種芋にする用事、鯉のぼりを揚げる用事、薪割りの用事などが済ん でからだ、夕方になってからじゃないと駄目だと言うが、孫はなんだかんだと同じ線で何度もせがむ。何度も同じことを言って断っていたら、孫から「俺の言う ことをきかないとツキアッテやらないぞ」と言われた。「〜しないと、〜してやらない」という語法の活用は見事である。
 鯉を箱から出して吊るための下準備を始めたら、孫はひとまず要求をひっこめて、鯉のぼりを上げるのを手伝い始めた。軽トラックの荷台に脚立を乗せ、ロー プで縛って固定。通りに接する看板の鉄柱の頭にきのう買ったロープを縛る。孫はロープがからまないように保持。家の裏から4メートルの単管をひきずり出し た後、中村の小屋へ単管用の金具を持ちに行く。この金具にテレビアンテナ固定用の金具を針金で縛り、単管の端に固定すると、地上からロープで鯉を上げたり 下げたりできるようになるはず。帰宅。女房、娘も家から出てきて、ロープのどこにどの鯉を結ぶか、ああだこうだ言う。一メートル五〇の鯉、赤と黒各一尾。 吊ってみると小さなものに見える。三〇センチくらいの子鯉を一メートル五〇の二尾の間に吊る。つつましやかな鯉のぼりができた。用事にかまけてひと月遅れ の鯉のぼりだが、なんとか孫が五歳の春に揚げることができた。
 カラシナの菜の花の枯れたものを根元から切り、公園のあちこちに叩きつけて歩く。来年も菜の花を見ることができるだろうか。種蒔き(種叩き?)の後、薪 割り。材の芯が虫に食われたもの多く、何の幼虫か、いくつも芋虫が見つかる。孫に昆虫を飼うプラスチックの箱を持ってこさせ、薪を割りながら虫を箱にいく つも放り込む。餌になる木の切れ端も多めに入れ、孫に如雨露で水をやらせる。早く薪割を終わりにしろ、早くゴーオンジャーのDVDを借りに連れていけと孫 がせかす。少し暗くなった頃、薪割をやめ、平安堂へDVDを借りに行く。結局、長芋を切ることまで手が回らなかった。
 平安堂から帰宅して、孫とパソコンでゴーオンジャーを観る。なんで闘っているのか、理由がよくわからないが、ゴーオンジャーはよく闘う。闘いの背後にも のすごい炎が燃えているが、誰があんなに燃やしているのかわからない。夕飯ができ、ゴーオンジャーの闘いは一時停止。食後、庭のテラスの電灯で日記書く。 孫はDVDの観戦にゴーオン。煙草をとりに家に入ると、孫がソースケが死んだと言う。ソースケって誰だ、赤い服のやつかと訊くと、そうだと言う。体の大事 なところに敵が何かを刺し込んだので死んだと言う。「体の大事なところ」については詳しく訊かなかったが、いやな話だなあ、ゴーオンジャーは死ぬのか、ウ ルトラマンなら死なないのにな、と言ったら、孫は「うん」と言った。



六月三日

 松岡さんから郵送してもらったフロッピーを教材作り用のパソコンで読み取り、USBメモリ経由で、ネット接続してあるパソコンから村田君にメール送信。 雑誌をやろうと考えて、数日、「パーソナル編集長」というパソコンのソフトをいじってみたが、どうにもわかりにくいソフトで、また今回もギブアップ。ごみ 問題関係のビラと同様に、村田君に「ワード」でやってもらうことにした。
 孫はまた体の具合が悪いと言い、保育園を休んでいるが、ぴんぴんして家の中を駆け回っている。山にイカリソウを取りに行きたいと女房が言うので出かける ことにしたら、孫が一緒に行くと言う。具合が悪くて休んだのだろう、家で寝ていろと言うと孫はぐずった。そのうちに娘が行きたいと言い出す。娘も子供が具 合が悪いわけではなくて、家で遊びたいのだと承知の助なのである。孫一人を家に置いていくわけにいかないので、結局全員で行くことになる。この孫は学校へ 通うことができるようになるのだろうか。
 女房が出かけるのに手間どっているので、エンジンポンプを始動させ、下肥発酵液を庭に撒く。この下肥発酵液は、去年頃までは「うんこ汁」と呼んでいた。 京都の日本バイオテクノが開発した発酵槽を通って後、貯留槽にたまった発酵液である。水洗トイレから発酵槽に流れ込んだ「原液(うんこ)」が三日ほどで、 うす濁りのある水になり貯留槽に流れ込む。水位の落差を使っているだけだから、電気代はかからない。微生物も殺菌剤など投入して殺してしまわない限り、一 度買うだけであるから、金はかからない。ほとんどすべてを水状にしてしまうので、くみ取りの費用もかからない。とにかく一度設置すれば、後はまるで金がか からない。
 貯留槽は「蒸発散槽」という名前だが、どうも、地下に洩れ出す設計になっているらしい。そうでなければ、貯留槽の水位がいつも一定であるはずがない。こ のシステムの場合は、洩れ出すことは気にしていない。市販の便器の黄ばみ取りなどは使わないし、日本バイオテクノのまともな酵素洗剤(一部酵素洗剤を混ぜ て「酵素洗剤」として売っているまがいものではない)で洗えば、市販の黄ばみ取りよりきれいに便器の汚れはとれる。こういう場合、市販のものを使うより値 段が高くなるのが通例だが、日本バイオテクノの酵素洗剤は使い回しができるので、総合的に見れば高くはない。例えば、洗濯に使った後の酵素洗剤入りの水 で、車を洗ったり、窓磨きに使ったりできる。もっとも、我が家では車を洗うということはないが…。
 トイレ用のシステムでは、三つの発酵槽にそれぞれ組み合わせの異なる微生物が棲んでいるらしい。この微生物の組み合わせが日本バイオテクノの企業秘密に なっている。一般のパルプ百パーセントのトイレットペーパーを使えば、トイレットペーパーも微生物が食ってしまう。貯留槽にたまったものは液肥になる。濁 りはあるが水状だから、エンジンポンプで汲み上げられる。川の水で倍に希釈して、家の前の公園の芝に撒くことがあるが、三日で処理した便所の下水だと気づ く人はいない。自転車に乗った人も、そのまま通り過ぎていく。今日は、庭の植物に希釈せずに撒いたが、撒いた直後にわずかに臭っただけ。その後、家から出 てきた女房も娘もまるで気にしない。
 この発酵液を「うんこ汁」と最初に呼んだのは私だが、それが定着してしまって、娘や女房は人に話すときでも「うんこ汁」と言っている。ちょっとあんまり だから、「発酵液」と言えと申し渡してある。しかし、今でも娘や女房は、ときどき大きな声で「うんこ汁」と呼称する。
 「うんこ汁」撒布を終え、皆で松代の皆神山へ。この山の頂上に皆神神社があるが、八〇年代のオカルトブームそのままの立て看板があり不気味。山が垂直移 動して造成されただの、古代の宇宙基地だっただの、世界最古最大のピラミッドだのと書いてある。神主がオカルトブームの頃の雑誌の記事にかぶれたものと思 われる。神社の境内を歩く。戸隠、聖山などと並ぶ、中世の修験道の聖地の一つであることは確からしい。このお宮の脇にいくつか石碑があり、出口王仁三郎の 皆神山への賛歌が彫られている。メモしてこなかったので正確ではないが、「世界の中央の十字形せる山脈」「珍の神山」というような言葉があったと覚えてい る。皆神神社が大本教とどういう関係にあるのかはよくわからない。そもそも大本教というものがよくわからない。第二次世界大戦中に弾圧されたということ を、人伝えに聞いている。
 皆神山の山腹に小さな古墳らしいものが二つある。特に何の保護もされていない。東側の山腹にあるひとつまで、先日浜田さんたちと歩いてみたが、その時イ カリソウをいくつかみつけた。その株をひとつふたついただきに参ったのである。皆神神社から歩いて古墳まで二〇分ほど。イカリソウは先日見たままに古墳の 裾にあった。小型スコップで掘ってビニール袋に根を入れる。野生の蔦も一株一緒に採れた。古墳からの帰りにチゴユリをみつけた。チゴユリはどうにも大変好 きである。小さな群れなので、三分の二を残す。うちの庭で生きてもらいたい。生きられれば殖えるだろう。庭に木が茂り始めたので、なんとかチゴユリが生き られるだろうと思う。チゴユリはカラマツなどの針葉樹の葉の落ちているところにあることが多い。秋になったら、庭のチゴユリの周りにカラマツの葉を敷き詰 めてやろうと思う。近くに蕗が多いので、蕗を採る。山の蕗は煮付けて食べるとうまいと女房と娘が声を揃えて言う。腹が減ったので、蕎麦を食べに車で山を降 りる。ねらった店は閉店時間になっていた。こむぎ亭にうどんを食いに行くことに変更するが、ここは定休日。前から入りたいと思っていた柳町食堂という店へ 回る。生ビール、ラーメン大盛り、ざる蕎麦大盛り、おろし蕎麦、天ぷらうどんを注文。それぞれ一口ずつ食べてみたが、うどんがうまい。ラーメン、蕎麦は不 可でない程度。孫はざる蕎麦大盛りをうまいうまいと食べた。去年までは、大盛りを一つ頼み、私の分を分けてやれば足りたのに、いつのまにか一人前を食べる ようになり、今は大盛りをたいらげるようになった。普段は小食なのに、蕎麦は別らしい。
 一陽館へ。最近はこの温泉がお気に入りでよく来るようになった。孫とは一度一緒に来たが、女房、娘は初めて。気に入ったらしい。温泉が自噴する音が野天 風呂の近くで鳴っている。ぬるくも熱くもなく、体がほぐれる。地のじいさんたちが多く、耳に入ってくる話を聞いていると面白い。先日は、声のでかいじいさ んが、千曲川が汚れたことに何の対処もしない漁業組合をこきおろし、あんな川の魚はもう食えないと憤慨していた。俺はまだ食っているがと思いながら、目を 閉じて聞いていた。一陽館の建物は実に古びていて、周りに巨木が多い。壁のペンキがはげ落ちているのまで気に入っている。ちょっとした別天地。これが平地 の外れにあるのがありがたい。村田君を連れていった時は、村田君が「つげ義春ですね」と言った。
 すっかり眠くなり、帰りの運転に気をつかう。帰宅して、そのまま布団にころがり込んで寝る。夜中二時、目が覚めたので、日記をパソコンに打ち込む。



六月四日

 朝方までパソコン打ち。朝、庭に出て植物を見ると、つい手を出したくなるところがみつかり、寝そびれた。うつらうつらした程度で昼近く起きる。寝た気が しない。庭のテーブルでお茶、ぼんやりしたまま飯。皆神山の山道で採ってきたミツバ、魚の粕漬け、その他。
 村田君、中村君来る。村田君の車で長谷寺駐車場へ。浜田さんが先着して待っていた。ペットボトルのお茶を一本買う。歩き始めてすぐにヘバる。荒れた畑が いくつも目につく。コンクリートで舗装した農道の割れ目から、草が生え勢いが出てきている。このまま放置すれば、やがて歩けない道になるだろう。猪の平か らジミる水なのか、杉林の地面に水分が多い。シダのたぐいが大きな葉を広げて一面に生えている。地面を掘って、池にしてあるところを一つみつける。金魚が 泳いでいる。こんな山の中に誰がわざわざ池を作ったのか、何のためなのかわからない。気が付くと、池は一つや二つではない。浅い谷になっている地形の斜面 を登ると、総計十以上の池があった。どの池にも魚がいて、上の池から下の池に塩ビで配管までしてある。石を配置したり、園芸種の植物を植えてあったりす る。園芸種が周りの野草の中で浮いている。趣味からすると、老人の趣味だと思われる。若い人がやったとは思えない。明らかに誰かが遊んでいるのだ。谷を 伝って登っていくと、またあったという感じで池が現れる。そうとう広い範囲にわたって、小さな池が点在する。しかし、いったい何のためなのか。大きな石を 動かしたりするのはなまじな労力ではない。皆で首をかしげる。「塩崎には変わり者のおっしゃんがいるなあ」と思わず声に出る。小さな谷の治水を考えている のだとも思えない。大雨が降れば、一挙に水があふれる程度の小さな池がいくつもあるのである。やはり何のためにやっているのかわからない。
 ふと、シロウのおやじさんのことを思い出す。このおやじさんは女房と夫婦喧嘩をして、ふいと家を出たきり連絡がなかった。数日して、北海道に行っている ことがわかった。長野から、軽トラックを運転して、どこでどう泊まったのか知らないが、物見遊山を兼ねてふらふらしていたら、北海道までたどりついたのだ という話だった。自分の山の中に、手だけでいくつも小さな池を作っているおやじさんも、女房にどやされたりしたのだろうか。「業を湧かし」、やがて「怒り がねばりになる」初老の男がなんとなく想像される。それとも、夫婦仲は良くて、女房は、「うちのとうちゃんは、まあ、せっこよくて、朝から晩まで山に入っ たきりだ。何の仕事をしてるだか知らねえが、まあ、毎日弁当持ちで、よく働く」などと言っているのかもしれない。多分、女房は、亭主が山林で金魚を飼って いることは知らないのではないか。
 上の方に、キノコの種菌を打ち込んだクヌギかナラの丸太が積んであった。如雨露がある。きのこを生やすために丸太に水をやるためと思われるが、きのこ栽 培の丸太の量を考えると、やはり池の数が多すぎるし、あまりにも広い範囲に点在している。どう見ても、池づくりに専念していて、きのこ栽培は片手間仕事だ としか思われない。そもそもは、じとじとする斜面の排水をねらったものかもしれない。自然が形成した小さな谷の谷底を掘ると、地下に水がしみこむ水位を下 げることができる。そういう工事を何カ所かやっているうちに、掘ったところが池になると思いつき、池づくりのおもしろさにハマったのではないか。しっかり とハマったために、酔狂としか見えないまでに、池づくりに専念したものと思われる。明らかに山仕事ではなく、池仕事であるし、金魚仕事である。老人は、 朝、山の仕事場に着くと、まず金魚に声をかけるのではないか。「元気にしてたか?」とか。自分の山の中にいくつも金魚を囲ってかわいがっているのであれ ば、俗世間の人間の思惑から完全にひとまずは「外出できる」。浜田さんは、「いい趣味だ」としきりに感心していた。
 山林で金魚を囲う趣味人の地主さんに会ってみたいと思ったが、谷筋に池を点在させた趣味人は現れなかった。
 猪の平の池。若い人が二人、ルアーでブラックバスを狙っていた。曇天で釣りにはいい空だが、釣れていない。池の西側の湿地を歩き、ゴルフ場の芝生の上に 出る。ほぼ尾根まるごとと、信更の方角への斜面の広がりの木がなくなり、芝生になっている。芝の手入れに農薬を使っているなら、猪の平のブラックバスも食 べる気にならない。芝を歩いているうちに雨になる。ゴルフをしている人は一人もいない。雷の避難小屋があったので、雨宿りする。山を登る途中で、タカシが 仕事を休んで暇そうにしていると、携帯電話を切った村田君が言ったのを思い出す。タカシに電話して車で迎えにきてくれるようにしてくれと村田君に頼む。電 波が悪く、携帯はすぐに切れるが、何度かトライし交渉成立。小降りなので歩き出し、途中でタカシの車に出会う。桑原のラーメン屋で五人全員カツ丼。中村君 と二人でビール一本。空手と太極拳の話。竹林の湯へ。銭湯っぽく、湯は塩素の臭いがするが、二五〇円で座敷が使え、畳に横になれるところは、近在ではここ だけ。九時過ぎ帰宅。眠くなり、そのまま寝る。


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