語学論

体感 (音の本質)

桐田真輔さんの書評から 投稿者:馬の骨 投稿日:2010年 7月17日(土)13時48分18秒

山口謠司『ん 日本語最後の謎に挑む』(2010年2月20日発行・新潮新書 680)は、日本語の「ん」という言葉の使われ方を、その歴史的な変遷をふくめて探求した本。「古事記」にも「万葉集」にも、「ん」と読む仮名が一度もでてこない、という印象的なエピソードの紹介(第二章)から本書ははじまる。これはもちろん「ん」という発音がなかったのではなく、仮名文字がなかったということで、文字としての「ん(ン)」は、「民衆の文化が言語として写されるようになる平安時代末期、音を表すための文字として姿を現したのである。」とある。この普及に関して仏教(天台密教)の果たした役割についてや、江戸期や明治期に至るまでの「ん」についての研究の紹介も新鮮。また本書には、まだ「ン」を表すための文字がなかった時代に、空海は「吽」という字に託して、「後に「ん」や「ン」で書かれる文字を発明しようとしていたのではないか。」という興味深い指摘もある。
(キキハウスより)



(参考)発音訓練 投稿者:そよ 投稿日:2010年 7月15日(木)04時27分4秒

根石さんに音の立体性に関する指摘をいただいたとき、以前から自分で気になっていたことだったのでとても嬉しかったです。
音声ファイルの「音の立体性」「最初の無料課程の生徒」を聞くと本当に参考になりました。
特に音がはっきりした様子、息の強さが違うように感じておりました。

気になってネットで検索したところ「中津燎子」さんという女性を見つけ、以下の発音訓練サイトを見つけました。
一文の中での音作りが大切なのは理解しておりますが、息の使い方についてとても有益だと感じました。
とくに「アルファベットの練習」「コンビネーションの練習」は動画説明もついており、どれくらい息を強く出しているのかが分かり大変面白かったので、皆さんにご紹介したくこちらに載せてみます。
私もまだabc部分ぐらいしか見ていませんが、ご参考にしていただけたらと思います。
http://www2.e-kokoro.ne.jp/digital/abc/alpha/frame_Aindex.html



そよさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 7月18日(日)03時32分3秒

 中津燎子さんのお名前は以前から存じておりましたが、(動画で)お顔を拝見したのは初めてでした。この方の教室で習った生徒さんが私の生徒さんになったことがありましたが、英語の音が備わっているとは思えませんでした。生徒に強引に英語の音を出させようとして、口にタオルを突っ込んだりもしたらしいですが、それでも中津さんが出させたいと思った(はずの)音は出ていませんでした。

 問題は音の説明法にあると思います。
 この方は、「個々の音」しか扱っていません。そして、口の開き加減を元に音を説明しようとしています。

 舌の動きも説明に加わりますが、それらの説明が「個々の音」の本質を言い当てているとは思えませんでした。
 口の開き加減や舌の動かし方を元にしても、音の本質をとらえることはできません。

 「口の両端に力が入る音」、「息の通り道が狭い音」、「喉に力が入る音」などの言い方の方が本質をとらえることができると考えています。

 素読舎のレッスンで「文全体」を扱い、2万行から3万行を越えた頃に見ると非常に有益なページだと思います。素読舎のレッスンでは扱わないものも扱われていますので、媒介項として使うにはいいページです。参考になるところは多々あります。



馬の骨さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 7月18日(日)05時32分45秒

英語をやった者から見ると、日本語の「ん」は、結構あいまいな表記です。

「さんま」の「ん」は唇が合わさります。つまり、英語で言えば「m」の音です。
「かんけい」の「ん」は唇が開きます。英語で言えば、「n」の音です。

音自体より、それを表記するための文字が後でできてきたのは順序としてよく納得できますが、「さんま」の「ん」と、「かんけい」の「ん」は、それぞれ別の字であるべきだとも思えます。

多分、体感が同じなのだろうと思います。
どっちも、「鼻の穴」を使っている音だからです。



体感 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 7月19日(月)13時24分39秒

>音自体より、それを表記するための文字が後でできてきたのは順序としてよく納得できますが、「さんま」の「ん」と、「かんけい」の「ん」は、それぞれ別の字であるべきだとも思えます。
>多分、体感が同じなのだろうと思います。
どっちも、「鼻の穴」を使っている音だからです。

 馬の骨さんにそう書いた。
 「さんま」の「ん」と、「かんけい」の「ん」は、唇に注目すれば、違う表記になるはずなのに、日本語では同じ「ん」のままである。
 だけど、「鼻の穴」に息が響く感覚において「同じ」なのである、と。
 このことが何を意味するかと言えば、「ん」は口の形で説明しても駄目だということである。口の形には音の本質はない。この音を教えるとしたら、生徒に「鼻の穴に気を置く感覚」をつかませないと、音の本質を言えないということである。

 口の形というものは、外在的につかまえられる。一見科学的である。
 内在的に感覚でつかまえることは、非科学的に見える。

 以前、村田君が、yesterday の最初にある [j] を出すのに、「のどちんこを・・・」と言うのを聞いて、のどちんことか細かいことを言うなと言ったことがある。「喉に力を入れる」の指示でいいと言った。ポイントが喉にあることの指示とその音を実際に出してみせることのセットがあれば生徒は音が出せる。

 喉や鼻の穴が関与している音を言うのに、口の形を言ってもポイントがずれてしまうので駄目なのである。
 内在的に感覚をつかみ、それを手短な言葉で言い表す(説明を定型化する)という作業が必要なのである。
 説明の「定型化」が必要なのは、定型化されていれば、コーチ間で共有できるからである。


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