語学論
村田さん 投稿者:Naima 投稿日:2009年12月 1日(火)19時16分28秒
素読舎のメソッドによる基礎作りの大切さをますます感じています。「映画のシナリオ」や「茶の本」ではなく、「中学生教科書べらべら読み」などの基本的なレッスンを受講したいのです。シナリオや「茶の本」は内容的には楽しいのですが、今自分に必要なのはメインテナンスではなく「基礎体力作り」です。
自分自身の英語のやりなおしと同時に、奈良分室を再開するための準備でもあります。
素読舎分室を再開せねば、という気持ちはずっとあったのですが、二股も三股もかけて仕事しているような私には素読舎のカリキュラムを全面的にカバーするということは不可能に近く、片手間に始めてもご迷惑をかけるだけだとあきらめていました。
数年前、分室として募集をかけたのですがままならず、私の英語教室の生徒達からは1人だけでした。しかし英語をやりなおしたいという主婦になら需要があるかもしれないと思い立ちました。自治体主催の主婦向けのカルチャークラブなどの英会話クラスはとても人気があるのです。お昼の時間帯というのもいいのです。
私のホームページで「素読舎分室:やりなおし英語」のクラス募集をし、週に1~2回、午前中に自宅を道場にします。個人的には中学教科書がいいかと思っているのですが、これは根石さんや村田先輩にご相談の上決めて頂かねばなりません。
私は1科目だけを扱わせて頂いて、それを終了した生徒には、根石さんや村田さん、吉さんご夫妻の電話レッスンに進んで頂くという魂胆です。勘違いな入門希望者をふるい分けるお手伝いにもなろうかと思うんですが。
それにはまず私が村田先輩からみっちり指導して頂かねばなりません。中学教科書レベルの英語をきちんと体得するということをあなどってはいけないなあと思っています。
つづき、またすぐ書きます。
村田さん 投稿者:Naima 投稿日:2009年12月 1日(火)19時59分23秒
来年1月より週1回でも2回でも素読舎の電話レッスンを受講させて下さい。教材は本当に基礎の基礎のものを選んで教えて頂きたいのです。私が近い将来、奈良分室を再開した時に使える教材を選んで頂けると嬉しいです。水・土・日曜日以外の12:00頃はご都合いかがでしょうか。
今回ガイド試験を受験してみて、中学生英語について考えさせられました。通訳ガイド試験というのは難しいと言えば難しい試験です。日本の神道と仏教文化について説明する場合、「神仏習合」「多神教」「みそぎ」などなど難しい英語を覚えなければなりません。
ところが、実際の観光客は、英語圏からばかりではありません。この難しい内容を英語圏以外の人々に説明するばあい、中学生英語で十分なのです。中学生英語で十分ではありますが、中学生英語で難しい内容をやさしく解くのがまた非常に難しい。
もう1つ、ガイド試験や英検1級を受験する人達は一応「上級者」ということにはなっています。なってはいますが、前にも言いましたように、三単現や複数の S、冠詞の付け間違いや脱落が頻繁に起こります。またゆっくりと噛みしめるようにしゃべる時には、こういう現象はおこりませんが、あわてたり強い感情に駆られてしゃべると、ガタガタになります。通訳やガイドといった職業を目指している人達も、こういう「癖」の矯正に苦慮しています。
中学3年間の英語をきちんと体得出来ている上級者はいるのか。
こういうことは素読舎のメソッドを基礎からきちんとやっている人には起こりにくいのではないかと思っています。もしそうなら、上級者のやりなおし英語としても効果があります。自分がモルモットになって試してみたいという気持ちもあります。
つづき、また書きます。
つづきです 投稿者:Naima 投稿日:2009年12月 1日(火)20時16分6秒
この秋、長野に伺った折り、ご相談しようとは思っていたのですが、出来ずに帰って来ました。どうも身勝手な条件のような気がして言い出せないままでいました。根石さん、爆発するかなぁ、と。実は、口べたなんです。誰も信じてくれませんよね。無駄口はバンバン叩きますが、肝心なことを口頭できちんと言えません。長野県民は議論好きとも聞くし...こてんぱんにやられそうで...
根石さんの期待を裏切っていることはず~っとず~っと気がかりでした。しかし素読舎の仕事は片手間には出来ない。夜の電話レッスンも無理。
裾野を広げるお手伝いなら出来るかもしれないと思いました。1年後にでもホームページで公募できる運びになればいいんですが。
苦肉の策、というわけです。
つづきのつづき 投稿者:Naima 投稿日:2009年12月 1日(火)20時57分1秒
村田先輩が午後の早い時間帯で電話レッスンを受けられるということなら、素読舎への入門者の幅も広がります。
素読舎の方式に強い関心をもっている英語塾の講師もいましたが、時間帯が夜のため入門が叶いませんでした。当時彼女が私に素読舎方式の説明を求めたので、知っている限りのことを伝えたところ、それを自分なりに適当にやっているようです。もともと國広氏の「只管音読」を売りにしていた人です。「素読」という言葉は掲げていませんが、問題ですね。必ず根石さんの了解を取って欲しいと言ってはおいたのですが。
こういう不埒な人達が出るのを防ぐ為にも、素読舎の英語に関心のある英語塾の先生向けのお昼間の電話相談室があるといいですね。そこから素読や音読による英語指導に興味を持っている塾の先生達を訓練する機会も出来ます。私のところにそういう要望が入れば戸倉分室を紹介することも出来ます。
それよりも、まず、とりあえず、私を入れて頂きたいんです。ご検討下さい。よろしくお願いします。
最後にもうひとつだけ 投稿者:Naima 投稿日:2009年12月 1日(火)21時40分2秒
一次試験が終わった8月末から二次試験に向けてスピーキングの練習を始めました。「すもう」「茶の湯」などについて1分弱の説明をする練習です。原稿を書いて覚えればいいようなもんですが、暗記したものは1つでも単語を忘れると、そこで真っ白になって収拾がつかなくなります。それで重要なキーワードだけ情報カードに書き留めて、それを元に英語で説明する練習をしました。
完全にシンタックスが日本語モードになってしまっていて、最初の言葉をどう切り出したらいいのか迷う事が多くありました。電話レッスンを徹底的にやっておれば、もっと「寝覚め」はよかったろうと思います。基礎体力不足です。
日本語圏で修得した英語力は3年間メインテナンスを怠ると、元のレベルを取り戻すのに必死でやって半年はかかるのではないでしょうか。私の場合、時間的余裕がなかったので猛然とやっていたわけではありませんが、それでもやるべきことはやったんです。しかし8月末から11月末までの3ヶ月では到底もとのレベルを取り戻すことは叶いませんでした。
面接では準備したことはそこそこ言えましたが、予想外の質問に対してはぼろぼろでした。言うべき内容はあるんですが、持っていたはずの英語力を上手に使えないんです。当然聴解力も落ちています。"good command of English" と"listening comprehension" という評価項目がありますから、この二つはアウトでしょう。ただ単語ばかりがワラワラと頭を駆け巡ります。無惨なものでした。
大事な投稿が続く最中に、個人的なことを長々書き連ねてお邪魔しまいました。申し訳ありません。
Naimaさん 投稿者:村田晴彦 投稿日:2009年12月 1日(火)23時44分4秒
「英語シンタックスの基礎体力のやりなおし」、私でよければお付き合いさせてください。多くの人の練習に付き合うのは、今の私にとっていい練習になると思います。
平日午後の早いうちっていうのは、私にとっても都合がいいです。
考え方としては、土曜日にやっているコーチ同士の自立練習と同じような感じだと思います。
問題はテキストなんですが、根石さんの作ったABCDがいいかなと思います。でも週1で30分から1時間ていうと、Naimaさんとやるとすぐ終わってしまうかもしれませんね。
一通りABCDが終わったら、中学生の教科書を、何種類かやってみたいですね。
それも終わってしまったら、「アメリカの歴史教科書」なんてやってみたいです。これは私の方の希望ですが。
テキストは、根石さんとも相談してみたいと思います。
村田さん 投稿者:Naima 投稿日:2009年12月 2日(水)01時06分11秒
ありがとうございます。ではとりあえずABCDから中学生の教科書でお願いします。
スカイプを申し込む必要はありますでしょうか。出来れば自宅の電話で間に合わせたいんですが。
根石さんに相談してみてください。よろしくおとりなしを
Naima さん、村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年12月 2日(水)03時23分33秒
Naima さんが abcd をやるのはまったく賛成できません。こんなことを言う村田君は脳味噌が薄いと思います。なんでこんなに薄くなってしまうのかわけがわかりません。まともに語学論をやらないから罰が当たっているのか。そうだとしたら当然の報いだと思います。
Naima さんの問題意識のうち、三単現の s, 冠詞の有無、定冠詞か不定冠詞かなどは、知識としては基礎知識ですが、日本で英語を作った上級者について回る問題です。英語ネイティヴは5,6歳でもう感覚化されており、この文のこの場所でなぜ a なのか、この文のこの場所ならなぜ the なのかを説明できなくても、使う場面では間違えないということが起こります。a や the が冠詞だということさえ知らないのですが、使う場面では間違えない。
東大の英文科の教授も間違えるが、ネイティヴの5,6歳は間違えないというような例はごまんとあると思っています。みんなしらばっくれているだけです。
an apple と the apple を例にとると、日本人の文法意識では、apple という「同じ名詞」に、an と the という別の冠詞がそれぞれ付いたものととらえてしまうのは仕方のないことなのです。同じものにちょっと別のものがくっついたのだから、似たようなもんだろうと思ってしまうのです。文法意識から見れば確かにそうなのですが、ネイティヴの使用意識からすれば、an apple はこの形で一つであり、the apple もまたこの形で別の一つであり、もともと「別の名詞」だといっていいくらいなことが生じているのだと思います。an apple の不定冠詞を定冠詞に変えて、the apple にするのではないのだと思います。an apple でひとつの単語、the apple で別のひとつの単語であり、後に「そういえば、この両方に apple が含まれてるなあ」と気づくくらいなことが生じているのだと思います。生活語と語学の対象の言語は根底からして、「生きる世界が違う」のです。そういうことが、三単現の s, 冠詞の有無、定冠詞か不定冠詞かなど、すべてについて回るのです。
ネイティヴの5,6歳の子供が全然迷わずに使い分けるようなことに、日本人の上級者が四苦八苦するということは、言語を初めから使用言語としている子供と、文法的に解析を通し、理解を通じてから感覚に至る外国語習得者の違いです。ごくあたりまえのことです。言語的ネイティヴは、感覚から理解に達し、外国語習得者は理解から感覚に達する。「起点」が違うし、ベクトルが違います。ネイティヴの使用言語では、イメージそのものが「ネイティヴ」なのであり、「土地」に対して「地付き」のものです。外国語習得では、イメージは「仮構物」です。外国語習得が本当に面白いのは、「仮構物」からでも根が生えるということです。無機物が有機物に変わるところです。本当に外国語に上達した人は、当該言語の「磁場」に暮らせば、少しずつそこに暮らしの根を張っていくでしょう。それぞれの上達のレベルに応じた、人づきあいによって。
Naima さんはこの例の外側にいます。私もそうです。私なんかは、「日本語ぺらぺら」なのに、千曲市鋳物師屋という「土地」にすら根を張れないで、インターネットで英語のレッスンをしているような根なし草です。
ですが、名前に「根」だの「石」だのあるせいか、百姓の育ちのせいかどうか、「根」のことはよく考えるのです。無意識のまま子供を「幼児英会話」などに通わせる親を「馬鹿」呼ばわりするのはそのせいかと思います。あのスチューピッドの親たちは資本主義にしてやられている人たちです。スチューピッドにキューピッドたちがやられ、子供が「石」になっていくのです。ガイジンの教室でどれほど活き活きと動き回ろうと、あれらの子供たちは、活き活きとした石=「ウマズメ」になります。
いくら口の達者な英語ネイティヴの子供でも大人でも、神仏習合なら神仏習合の過程で「今来の神」をなぜ日本人は歓迎する性向があったのかなど、99パーセント以上の人が何の説明もできません。もしかしたら、100パーセントかもしれません。99パーセントと100パーセントの間に、99.99999・・・という分数もあるので、ひとまず100パーセントと言わないでおきますが、Naima さんは、ガイドとして腕を磨いていけば、0.00003パーセントとか、0.000000005パーセントとかいう数字の内にいる人になるのです。誰もその数字を正確には固定できないだけで、そんなもんです。
Naima さん、試験は所詮試験ですから、とにかく合格してしまえばいいんです。その後の仕事というものは、仕事自体が教えてくれることがたくさんあるはずです。 God と無冠詞で扱われるあの西洋の神は、日本人からすれば、the God だというような説明こそ、ガイドを雇う人に必要な説明であり、「今何言った? the と言ったのか」という質問に対して、The!だけを答えれば、向こうが「ふうむ」と考え始めるようなことで、いい仕事になるのだと思います。仕事をやっていけば、仕事が教えてくれると思います。文法意識が有効になる場面がたくさんあると思います。
私は、欧米の政治力・経済力・軍事力の根底に God という化け物がいると思っていますが、アジアの人間としては、あれも a god なのだと言いたいところがあります。a god のくせに、あんまりでかいつらをしすぎる。欧米の政治力・経済力・軍事力のすべてを、その根底に潜む God を、意識においては地べたに叩きつけておきたいというブンガクの心があります。あんまりでかいつらをするんじゃねえよと思います。このようなブンガクの心から言わせてもらえば、ガイド試験の問題集なんかに書いてあることのうち、7割、8割はでたらめばっかりだろうとも思っています。
合格するまではそんな教材もどんどん使う必要がありますが、合格したら、柳田国男など読まれるといいと思います。柳田よりもニヒリズムの臭いが強いですが、最近のものでは、「性的唯幻論序説 改訂版」(岸田秀、文春文庫)なども、「常民」をとらえていると思います。(ただし、ほとんど毎ページに、「セックス」という語が登場します。)
ネイティヴの5,6歳の子供の使用意識ににじり寄らなくていいのかと言えば、やはりにじり寄る必要はあり、三単現の s, 冠詞の有無、定冠詞か不定冠詞かなどをどうするかという問題は残ります。
まずは、完璧主義を捨てるのが大事だと思います。そして、にじり寄ることを手放さないのがいいと思います。
で、話は最初に戻ります。國弘正雄が、ネイティヴが日常で話すのは8割9割が中学の教科書レベルの英語だと言い、中学の教科書をやるのがいいと言いました。ネイティヴの日常会話が中学の教科書「レベル」であるのは本当です。ですが、そのことから、中学の教科書をやればいいという結論に結びつけるところは、脳味噌が薄いと思っています。やっぱりあれだけ英語をやると脳味噌が薄くならざるを得ないのかと思います。(私は若い頃のいっとき、オナニーをやりすぎて脳味噌が薄くなったような気がしましたが、岸田秀によると、資本主義にだまされていたということらしいです。)
氷河が融けて水になって流れると、けっこうな水量の川になります。その川の流れだけ見ていると「中学の教科書をやれ」などという國弘流薄脳味噌の考えが出てくるのですが、その川の元には、どでかい氷河があり、そのどでかさは、ヨーロッパ語成立以後の全歴史のどでかさです。完璧主義は捨てるしかないと思いますが、ようしやってやろうじゃないかという無謀さも必要です。Naima さんは、そのどでかさの他に、日本語成立以後の全歴史という別のでかい氷河の水も流さなくてはならないのです。そして、全歴史という場合、書かれた勝者の歴史だけでなく、書かれてこなかった敗者の歴史も含むのですから。あるいは、柳田の「常民」のような、勝者・敗者の外側にいた人々の歴史も含むのですから。柳田の「常民」というものを外したら、日本というものはまるで説明できないのかも知れません。日本じゃなくてもそうなのだろうと思いますけど。幼児英会話に子供を通わせる親たちも「常民」なんだろうか。あの人たちは、日本の「常民」の歴史の中で、初めて「他者」を意識した人たちなのかもしれないのですが、やっていることが実に馬鹿です。日本人にとっての英語の問題は、そんなところにありゃしねえっての。
で、なかなか話が最初に戻れません。
三単現の s, 冠詞の有無、定冠詞か不定冠詞などは、易しい英語を扱うのでも難しい英語を扱うのでも、絶えず出会う問題です。だから、易しい英語をやればいいのでなく、難しい英語をやるのをお奨めします。抽象語のイメージの核をつかまえていた方が、ガイドをやる場合にも役に立つと思います。
実際に使うのは易しい英語でいいわけです。だけど、抽象語のイメージの核を持っている人が使うのと、「易しい英語しか使えない人」が使うのでは、英語が違うのです。ものごとを串刺しにするのは抽象語であり、日本のガイドが持つべきものは、個別の無数の具体語の他に、抽象語です。普段の仕事の99パーセントは、木刀(易しい英語)で済むが、いざとなれば真剣(抽象語)を取り出せるというガイドになって欲しいと思っています。
で、結論だけ言いますが、イメージ核受肉教材の「13万行以降」と、「8万行台」をやられるのをお奨めします。それを幹として、自分が本当に興味のある分野で、ご自分で自由に枝を生やしていただくのがいいと思います。
とにかく、素読舎の練習を離れないというところが肝心だと思っています。
小川、氷河を考える 投稿者:Naima 投稿日:2009年12月 2日(水)22時10分57秒
年甲斐もなくガリ勉をしたので、試験が終わった途端、気がゆるんで風邪を引いてしまいました。風邪と鼻水止めの薬のせいもあって、頭がぼ~っとしています。
脳みそが薄いのは村田さんではなく、この私です。長年大風呂敷に出入りしながら、私はどこに目をつけておったのかと。
鼻水が止まったら、また書きます。
根石さん Naimaさん 投稿者:村田晴彦 投稿日:2009年12月 2日(水)23時39分1秒
>中学3年間の英語をきちんと体得出来ている上級者はいるのか。
Naimaさんに、昼間の練習に興味がありますという話をして、すぐにNaimaさんと練習するという話になって、うれしくなって有頂天になっていました。
Naimaさんが「中学生教科書べらべら読み」のようなことをやりたい、と書いてあるのを読み、國弘正雄さんがネイティヴの会話は8割9割が中学生レベルの英語だといっていたという話を思い出し、中学生の教科書レベルのものをやればいいと思いました。
中学生レベルのことをできるようにするにはそれ以上のことをしなくてはならない。そんな当たり前のことはわかっているつもりでしたが、全然わかっていませんでした。
希望していることに対して背景を考えずそのまま応じるのは、脳味噌が薄いと言われても仕方がありません。
昨日、「ていねいで乱暴な練習」という音声ファイルをyoutubeにアップしましたが、その中で根石さんが「練習の質を変えなければいけない」というのを聞いて、これは「脱皮」のことだなと思っていました。英語の練習は、たとえ同じ例文を繰り返し読んでいるとしても、常に読んでいる人にとっては新しいような練習をしなければならない。蛇が古い皮を脱ぎすてて、新しくなるように…そういうことを以前根石さんと話していたことを思い出していました。
Naimaさんのような上級者が、中学生レベルの英語をやったとして、新しいものに出会うか、と言ったら出会わないですね。
Naimaさんは、根石さんの言われるように、「13万行以降」と「8万行台」をやられるのがいいと思います。
Naimaさん、根石さん、すっとぼけた提案して恥ずかしいかぎりです。申し訳ありませんでした。
Naima さん、村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年12月 3日(木)00時08分28秒
どうも酒が入ってきついことを書きました。
私は「まったく期待外れ」という結果が出ると確信していますが、abcd をやってみてもらって、そういう結果が出ることを確認してもらうことは一向に構いません。ただし、これじゃ駄目だとわかったら、ただちに私が言う場所へ移動して下さい。
三単現の s, 冠詞の有無、定冠詞か不定冠詞かなどを「使う」レベルで迷わなくなるするためには、英語を離れず、絶えずやっていることでしか解決しないと思います。それで、わずかずつでも、5,6歳のネイティヴの「感覚」ににじり寄る以外にないと思います。一言で言えば、「勘を鈍らせない」ということだと思います。
これらの文法の理屈はもうとっくにわかっていることですが、なかなか理屈が感覚にならないのです。
三単現の s, 冠詞の有無、定冠詞か不定冠詞かが中学レベルのことだから、中学の英語をやればいいと考えるのは大きな間違いです。中学英語のレベルを、知識・理解にとどめず、感覚化するには、それよりはるかに高度な英語をやることを必要とするはずです。量的にも、中学3年間の教科書に収められた英語の分量なんかじゃとうていどうにもならないでしょう。
中学レベルの英語を本当に使えるようにするには、それよりもずっと高度なものを練習する必要がありますし、分量的にもはるかに多くやらなければならないはずです。
英語ネイティヴの日常の会話が中学の教科書程度のレベルのものだから、英語学習者が中学の教科書をやれば英語ネイティヴの日常会話のレベルに達するなどと考えるのは、とんでもない短絡的な思考です。
中学のレベルの英語がわかっていない人が中学の教科書を使うのはいいでしょう。そのレベルの知識や理解のレベルを越えている人が中学の教科書をやってもしょうがないのです。Naima さんに即して言えば、それよりもはるかに先を、つまり、今の自分の英語のレベルより少し上のレベルをやるのがいいと思います。
うまい喩えがないかなと考えて、次のようなものを考えました。
砂金を集めることに喩えてみます。砂金を集めるには、金を含む砂を動かして集めるでしょうが、そのときどれほどの砂を動かしてどれほどの金が集まるかを考える必要があります。まったく金の含まれていない川底の砂をいくら動かしても金は集まりません。金を含んでいる砂を動かすしかありません。金を含む砂を動かすとして、集まった金(感覚化された文法)を眺めた後で、捨てなければならなかった砂の量を眺めれば、うんざりするほどの量であるはずです。馬鹿らしいほど砂の山が大きいのです。これが語学です。
しゃべっている内容がたとえ中学レベルであろうと、英語ネイティヴの中に動いている「感覚」は、幼児から連綿と途切れることなく続き、(夢の中にまで及ぶことを考えれば)(英語による)生活の厚みと同じだけ厚いものです。言語活動のすべてが、幼児からずっと「感覚」と共にあります。しゃべっている内容が中学の英語レベルなので、中学の教科書をやるのがいいなどという國弘正雄の考えは、実に愚劣です。くだらない「内容主義」だとしか言いようがありません。「只管朗読」の正しさを一方に見るとき、一方で実にくだらないことを言うものだとため息が出ます。
生活の厚みと同じだけ厚いネイティヴ話者の「感覚」は、語学がどう逆立ちしても追いつくものではありません。どうしようもなく厚いのです。
金の塊に穴を掘って金を探せば、みつかるものはみんな金です。だって、そこには金しかないからです。これがネイティヴ言語使用者の言語です。文法なんかすべて感覚として存在しています。私たちにとっての日本語がそうです。
掘っても掘っても出てくるのが金ばかりであれば、そんなものに大して価値はないでしょう。だから、語学をやる人にとっての金は、ネイティヴの人たちにとってはただの石ころみたいなものになります。日本人が自分のしゃべる日本語を金だとは思わず、ただの石ころみたいに思っているのと同じです。
(話が逸れますが、「幼児英会話」で日本語のシンタックスや感覚を弱めてしまえば、日本語も英語も「感覚化された部分」が両方とも鉛やアルミになってしまうという風に、ここでの喩えを転用することができるかと思います。)
語学は大量の砂を動かしてわずかな金を手に入れる作業です。で、その場合、中学3年間の英語教科書三冊分をまともに練習して、砂一握りを動かしたと思うくらいでちょうどいいと思います。Naima さんはそういうレベルにいる人です。今、中学の教科書なんかやっても、多分一粒の金も増えないと思います。
どうも、昨夜は大変いらつきました。村田君が Naima さんを abcd の練習なんかに誘導しているのが、どうにも我慢がならないくらいのいらつきをもたらしました。なにをとぼけたことを言っているんだろうと思いました。
私の教材づくりが14万4千行くらいに達しているので、9万行くらいのところから始めて、毎日1万行くらいずつずれた場所を6カ所くらいコーチをしてもらうのが、今の時点では一番いい基礎固めになると思います。つまり、9万行台、10万行台、11万行台、12万行台、13万行台、14万行台の生徒をほぼ毎日コーチする。一日30分で、自分の勉強をする場合のベースになる部分(決して錆び付かせてはならない部分)を確保できます。
理論的にはそれがベストですが、実際はその相手になる生徒がいません。つまり、現在の素読舎の全体を考えても対応できず、実際は不可能です。
次善の策としては、今、吉さんが相手してくれているかたさん(「自立練習のみ」=無料課程)の相手を Naima さんにしてもらい、私と女房と村田君でやっている「コーチの自立練習」に参加してもらうことくらいで、錆関連(錆を落とし、錆を寄せ付けない)の理想的な練習の半分以下の効果は望めると思います。足りない分は、その分だけ自分の練習に励んでもらうことで十分効果は出ると思います。
ただし、例によって、これらの適当な枠はすべて夜の時間帯です。
あるいは、さまざまなレベルの生徒の「コーチ付きの自立練習枠」というものを作って、Naima さんが開講する枠で「自立練習」をやってもらうというテもあります。私が、生徒さんたちに、「自立練習のみ」(無料課程)に移行していいよと言えるようになる時期を早めるためにも。
午前中とか午後に村田君と練習してもらうのは、私自身が村田君にすすめたことです。賛成しますが、やることを間違えると必ず「なんでこんなにすかすかなんだ?」ということになります。なんで abcd なんてものを村田君が考えついたのか。肝心なことがまるでわかっていないのだとしか思えなかったので、昨夜は実に落胆しました。