語学論
「重ねて溶かして一つにする」
「重ねて溶かして一つにする」 投稿者:根石吉久 投稿日:2011年 3月11日(金)13時29分21秒
(略)
このところ、「言いながら書きながら思う」という言い方を続けてきました。
今日、「好きな本(名作)を単語集にする」という実験をやっている途中で、「言いながら書きながら思う」ということの実質部分は何かと考え、「重ねて溶かして一つにする」という言葉が浮かびました。(「好きな本(名作)を単語集にする」に関しては、いずれ生徒さんたちにおすすめするかもしれません。)
「言いながら書く」という時、「重ねて溶かす」のは、音と文字になります。「言いながら書く」ことによって、意識において、音と文字を「重ねて溶かす」わけです。
「書きながら思う」だと、文字とイメージを「重ねて溶かす」、あるいは、「重ねて溶かして一つにする」わけです。
「言いながら思う」なら、音とイメージを「重ねて溶かして一つにする」ことをしていることになります。
なぜ「重ねて」なのか。
語学においては、音と文字とイメージというものは、当初まったくばらばらで別のものだからです。それを「一つにする」という作業は、「磁場」を欠いているのですから、「自分で」やらなければなりません。この作業については、自分以外の他の誰をもアテにすることはできません。
「言いながら書きながら思う」ことの実質部分は、「重ねて溶かして一つにする」です。
音や文字やイメージを、「重ねて溶かして一つにする」ということは、人間の意識以外の何によっても不可能です。逆に、どうして人間の意識だけがそれをやれるのかは不可解です。生物的な進化の途中で何がどうなってそんな能力になったのかがわかりません。突然変異のような契機があったのかどうか、そういうことには私は無知であり、わかりません。
「重ねて溶かして一つにする」という言い方は、ここに「磁場」という観点を持ち込むと変容します。
語学では「重ねて溶かして一つにする」ということを「自分」でするわけですが、「磁場」においては、「重ねて溶かして一つする」作用が「磁場」そのものからやってきます。
「重ねられ溶かされ一つにさせられる」というような場面が生じるのが「磁場」だと言えばいいと思います。さらに、「重ねて溶かして一つにする」と、「重ねられ溶かされ一つにさせられる」ことが意識の混乱として入り交じるのが「磁場」なのだと言えばいい。つまり、「磁場体験」と「語学」とが入り交じるわけです。
「磁場体験」が語学的体験なのか、体験的語学なのか、これは一つの難問ですが、私のイメージでは、語学的体験と体験的語学が、やはり「入り交じる」のだと考えています。
語学的体験と体験的語学をはっきり区別することも、これまではなされていません。
実際の「磁場体験」では、それらが入り交じるのが通常であったとしても、原形としては、それぞれが区別されるべきです。認識までが、「入り交じり」では話になりません。(何がキャンパスで学生たちと話して下さいかよ。)
私の生徒さんは、日本在住のまま語学として英語をやる人たちですから、ひとまずは「重ねて溶かして一つにする」を存分にやるべきです。
「重ねられ溶かされ一つにさせられる」体験に耐えられるだけ、「一つ」の数を、その厚みをつくるべきです。
「磁場」に渡ることができるという厚みを作ってから、つまり「準備」をしてから、必然性があれば、「磁場」に入るべきです。
これが、「予防医学」としての語学論だと言えます。学校も英会話学校も「予防医学」をひとつも持っていないということにもっと注意深くあるべきです。子供を幼児英会話に通わせている親たちには、「予防医学」のかけらもありません。
「磁場」だけがもたらす作用を「語学」から求めることは倒錯でしかないことをはっきりと腹に納めるべきです。
もし、このこと一つを日本人が本当に腹に納めるならば、これまでの英会話学校などは全部つぶれるはずなのです。あそこに集まって「場」を成すのは日本人であり、そこにできる「場」は、まぎれもなく「教室」であり、日本語によって形成された「意識たち」ですから、とうてい英語の「磁場」なんかであるわけがない。
ネイティヴの先生がいるではないか、という人がいるかもしれません。それは「英語による一つの意識=点」にすぎませんから「場」を作れないのです。
英会話学校の中には、英語の「磁場」はありません。
2,3歳の子供だけは、たったひとつの点を相手に、そこに「磁場」を作ってしまいます。そして、そこにできた自分という点が、通常の日本人の生活の中で孤島のような点になります。
日本在住のまま日本人がやるべきことは、語学だけです。これは、いつもながらの結論ですが、語学の中心に何があるのかと考えたわけです。その時、「重ねて溶かして一つにする」という簡単な言葉が浮かびました。