語学論
「普通」を普通にする方法
「普通」を普通にする方法 投稿者:根石吉久 投稿日:2011年 7月31日(日)15時45分40秒
>今回の話の中でお気に入りのエピソードは、私は普通の勉強していない、と言ったことに対して小川さんが、普通じゃないのは素読舎で勉強したことだけですね、と返されたところです。なるほどなあ、と思っておかしかったのですが、同時にちょっと残念でもあります。素読舎がもっとメジャーになればいいのにと思います。
I村さんが EOEIC で高得点をされたので、村田君がインタビューを企画した。当日、私も参加させてもらったが、小川さんが「普通じゃないのは素読舎で勉強したことだけですね」と言われたことは覚えていなかった。村田君が起こした記事を読んでみたら、確かにそういうことが話されていた。
引用したのは、I村さんが素読舎連絡用掲示板に書かれたものの部分である。文中、「普通の勉強していない」は「普通の勉強しかしていない」の書き間違えではないかと思う。私には「普通の勉強していない」で十分に言いたいことが伝わるのだが、そうすると小川さんの発言にうまくつながらないのである。
書き間違えだとさせてもらったうえで、以下を書く。書き間違えでない場合でも、私の言いたいことは同じになるので問題はないだろうと思う。
「普通の勉強しかしていない」と勉強する本人が思う場合のフツウとは何なのかと考えた。自分で考えてこれをこういうふうにやったとか、人がこういうふうなやり方を薦めたのでやったとかいうとき、多くの場合、それが普通であることを確かめることはない、というかできない。やり方の外形は同じでも、勉強している人の中に起こることがまるで違う場合が多々ある。同じ単語を同じように扱っていても、イメージしているものがまるで違う場合もある。それ以前に、「イメージする」ということが起こっている人もあれば、それが起こっていない人もある。
勉強というものの外形と中身ということから言えば、何が普通であるかは確かめようがない。語学論という形で言うことはできるが、個々の例に則して確かめることはできない。
いきなり、イメージの生起のことなど考えず、もっとおおざっぱに「単語を覚える」だとか、「問題集をやる」というくらいの語で考えて、I村さんが「普通」と言われたのだとすれば、なんとなくそういう「普通」はある。TOEIC を受ける人たちは、普通そういうことをやるよなという場合の「普通」である。
これはあらゆる「枝」にあてはまる。中学生が中間テストの勉強をする、高校入試の勉強をする、高校入試、大学入試の勉強をする、英検の勉強をする、TOEIC の勉強をする、などなど。見逃してならないのは、これらがすべて「枝」なのだということである。なんとなく「普通」の勉強法があるということは、すべての「枝」にあてはまる。
「枝」というのは、素読舎の方法を「根」あるいは「幹」と考えた場合に、それらの勉強は「枝」になるということである。インタビューの中でも言ったが、練習量や時間配分が「幹対枝」で2対8になろうと、1対9になろうと構わない。そういう変則的なことは、日本在住のまま英語をやっているところから起こるのであって、本質にかかわらない。樹液がどこを通り、どこへめぐるか、先に通るところが「幹」であり、そこからさらにめぐっていくところが「枝」であるということにすぎない。
私が「普通」と書いていることに注目していただきたい。このフツウは、括弧つきのフツウなのである。普通、とは書くわけにはいかない。あくまでも、括弧をつけて「普通」としか書けない。普通に受け取れる普通ではないからである。
普通に受け取れる普通とは何か。話題を英語の勉強法に限らせてもらえば、英語を勉強して英語が使えるようになるということが普通のことだ。それが普通というものであるはずなのだ。
「普通」を普通だと思ってしまった時に何が起こるのか。一生懸命勉強したのに、英語は使えないということだ。数の上からは、これが圧倒的多数である。いくら数の上で圧倒的多数だからといって、私はそれを普通だと呼ぶことはできない。単に「普通」であるにすぎない。数の上で圧倒的多数であることは、「普通」であるにすぎない。
「普通」であっては駄目なのだということである。普通でなければ駄目なのだということだ。この「駄目」を作ってきたのが、文部省(現文部科学省)やその方針のもとでのらくらしてきた大学であることには、ここでは立ち入らない。
「単語を覚える」ってことは普通やる。しかし、「英語を勉強したから英語が使える」というところに結びつくかどうかという観点から見れば、落とし穴がいくつもある。「音が違う」というのがまずは考えつく落とし穴だ。音はコミュニケーションのインターフェースなので、それが違っていれば英語は「使えない」。「普通」にやっている人たちは、9割以上の人たちが音が違っているので、確実に「使えない」という状態に至る。それが「普通」だ。
私がこれよりももっと大事な落とし穴だと思っているものもある。「なじみの度合い」というものである。「単語を覚える」というのは、原理的には「暗記する」と言い換えていいケースがほとんどだろうが、「暗記する」では、英語を言葉として使えないのである。イメージが無意識の領域に根を張っていないと言葉としては使えない。「なじみの度合い」というものがそのレベルに達していないものは使えない。しかし、やはり9割以上の人たちが、「単語を覚える」ときに、「暗記する」のレベルにとどまる。この理由によっても、9割以上の人は英語を使えるようにはならない。「普通」とはそういうものだ。
なにが「スピードラーニング」かよ。イメージの無意識への根付きはどう担保されるんだよ。そこがくらがりのままじゃないか。ああいうものが何度流行り、何度消えていったことか、と流行りというものに一発かませることにも応用が利く。
私は「単語を覚える」という言い方さえ廃止してしまったのである。
「言いながら書きながら思う」という言い方に変更してしまったのである。
学校ではまず言われることがない「音づくり」などという言い方でものを言うことも始めたのである。
これらの言い方が普通だと思っている。
9割以上(というより100パーセントに近い)人たちが「普通」におちいる。その中で、普通というものを持ち続けるのは困難なことだ。コーチにも生徒にも困難なことだ。その困難があるから、素読舎はメジャーになることがないのであり、その必要もないのである。しかし、生活が成り立つか成り立たないかという崖っぷちを歩き続ける困難はとびきりのものだった。「普通」を信じている人たちには、普通のことがなかなか伝わらないからだ。
「普通」を普通に変える方法はあるのか。ある。それを持っているのが素読舎なのであると言えばいいのだ。
生徒には何をやってもらってもいいと言ってきた。中間・期末テスト?高校入試?大学入試?英検?TOEIC?英会話?、何の勉強に使ってもらってもいいですよ、うまく組み合わせれば何に使ってもらっても効果があります。問題集を使ってもらうのも結構、単語を覚えてもらうのも結構、とにかく素読舎は、「なじみの度合い」を深めるという作業を続けます。イメージが無意識の領域にまで根を伸ばせる状態を作ります。何をやってもらってもいいんです。そう言ってきた。
逆に素読舎の方法をかみ合わせなければ、「普通」は普通になれない。全体の9割超の「普通」におちいったままであるだろう。
英語に関して、「普通」を普通にする方法は、今のところ多分、素読舎だけが握っているのだと思っている。もし他にあるのであれば、是非教えていただきたい。私は知らない。
素読舎が「普通」ではない。大いに結構なことである。そこからしか普通への道はつながらないのだ。
「普通」をやると高くつきますよ。普通、は存外安いものですよ、ということも付け加えさせてもらっておこう。インタビューでも小川さんがショックを受けたという言い方で発言されておられる。
一番安い「自学自習」というものがある。しかし、ほとんどの場合、英語に関しては音の面で自己流におちいるだけであり、結局は高いものにつく。やってみたが使えないというのは、高いものについたことである。お金を使っていなくても、エネルギーと時間を無駄にするから高いものになる。それも付け加えさせてもらおう。
訂正です 投稿者:I村 投稿日:2011年 7月31日(日)17時36分9秒
7月30日に私が連絡用掲示板に書いた部分を訂正します。
誤 「私は普通の勉強していない」
正 「私は普通の勉強しかしていない」
というつもりで投稿したのでした。失礼いたしました。
私が言った「普通の勉強」の意味ですが、一つには根石さんがおっしゃったような、英語を勉強している人なら一度は試したことがある勉強、というつもりでした。たとえば、単語表を作るとか、問題集を繰り返し解くとか、通勤中にスキットを聞くとか。英字新聞を定期購読するということは、私にとっての普通ではないです。いや、それが悪いということではなく、ちょっと私には真似できないな、という意味で。
さて、私が言った「普通の勉強」には、当然に素読舎のレッスンが含まれており、そのつもりでの発言でした。素読舎のレッスンは、私にとってそれこそ基礎中の基礎であり、スポーツで例えるなら、ランニングで足腰を鍛えるとか、筋トレをするとか、おろそかにしていたらいつまでたっても上達しないもの、という認識でした。
そういう訳ですので、小川さんに、普通じゃないのは素読舎だけ、と言われたとき、私が持っている普通の勉強のイメージと、世間のそれとのギャップに苦笑いして、同時にちょっと残念だったということです。
素読舎は特別に普通の勉強をするところです、とか言うといいんでしょうかねえ。