語学論

「べた読み」の極端なもの

「べた読み」の極端なもの 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年 7月 6日(火)00時39分5秒

 今日、キリピーのレッスンをやっていて、吉さんが「違和感」と書いていたことを思い出し、たまたま参観してくれていた小川さんと、それについて話しました。吉さんが「違和感」と言っていたのは、このことだなというのがわかった気がしたのでした。吉さんは「磁場がらみの」とも書いていましたが、これは「磁場がらみ」による違和感とは違うと思ったので書きます。

 キリピーの読みは「べた読み」の極端なものです。

It's better than seeing this gorgeous body splattered all over the place.

この文の all over the place の all と over the place の間で切れるのを直した後、「べた読み」の極端なものが完成しました。つながってはいるのだが、this gorgeous body がひとかたまりの音に感じられない。単語三つをそれぞれ別々に読んでいる感じが抜けない。
 小川さんが、思い切ってゆっくり読んだらどうかと言われました。
 必要なのは「切断読み」だなと私が言いました。
 レッスンの最後で、「切断読み」を私が実演しました。そしたら、小川さんが、ゆっくり読んだらどうかと言ったのは、まさにその読み方だと言われました。

 「回転読み」を一つの極としますと、もうひとつの極に「切断読み」があります。

 「回転読み」では、連続性が問題にされますが、「切断読み」では、連続性と速度は無視されます。「切断読み」で問題にされるのは、意味が生じているかどうかです。音の動きを意味が生じる動きと一致させることです。
 小川さんは「思い切ってゆっくり」と言ってくださったのですが、「ゆっくり」であるかどうかではなく、意味が動くかどうかがポイントです。
 意味をひとまず除外して、音だけを完成させることはできます。その場合に、「べた読み」の極端なものができる場合は、それをいったん作り、その後それを脱ぎ捨てる。
 「べた読み」だけでなく、「べた読み」の極端なものも肯定する。いったんはそれを作り、その後にそれを脱ぎ捨てるというまわりくどいことが、日本人がやる英語の場合は肯定されなければならない。外在的な指示では直らないのです。

 吉さんが、「ひとつの単語のように音を扱う」と言っていたこともどういうことかわかったように思いました。キリピーの場合、「・・・でひとつだ」という指示の出し方で、数えきれずやってきたのですが、極端なベタ読みはいまだ解決しません。一つの文で解決しても、別の文ですぐにまた起こります。
 それは、ほとんどが10語を越える長さの文で起こります。

 今日は、all over the place は時間がかからず直りましたが、this gorgeous body は「ひとつの単語のように音を扱う」要領でいくらやっても解決しませんでした。どうしても三つの単語をひとつずつ読んでいる感じが残りました。
 「this gorgeous body でひとつだ」、とキリピーに何度か言いましたが、解決しませんでした。

 これは、外在的な(他人による)指示では解決しない本質を持つものなのだということです。
 キリピーが意味を生じさせ、自分で「this gorgeous body でひとつ」だとつかむ、それでひとつだと「感じる」ことが鍵です。内在的に実現させないと実現しない音というものがあるのだということだと考えました。

 「ゆっくり」でも「ひとつの単語のように扱う」でも解決しないのです。
 これが解決しない生徒は、キリピーを含め、私の生徒さんでは二人います。

 キリピーの問題の解決は「切断読み」だなあ、とキリピーに言いました。

 キリピーが「切断読み」のコツをつかむまでは、レッスンで「ベタ読み」の極端なものは肯定され続けます。
 脱ぎ捨てる時は、自分で脱ぎ捨てるしかない。


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